goo blog サービス終了のお知らせ 

PPKオーナーの奮闘コーナー

写真付きで日記や奮闘の様子をお知らせします。

記紀の道

2013-11-14 15:42:57 | リラックス
さる、11月9日大塚台団地の皆さんで西都原古墳に 「家族ふれあいウォーキング大会」 と称しでかけました。

大塚台団地からバスで役40分程でこのはな館に着きました。

この場所には何十回かは来ておりますが、博物館の中にも入ってないし、古墳について感心を持ってみたこともありませんでした。

実に恥ずかしい限りです。

このはな館の目の前にある 『男狭穂塚(おさほづか)』ニニギノ尊・ 『女狭穂塚(めさほづか)』コノハナサクヤ姫のご陵墓 をスタートとゴールとし古代ロマンの世界にスワープしました。

まずは、鬼の窟を通り一路,西都市街地にある都万神社へ古墳広場の丘から降りて行きました。

都万神社もうなぎの入船に行く時に通る位で、特別気にしていませんでしたが、ここには日本一長い太刀が奉納されているのでした、初めて知りました。

都万神社を出て稚児ヶ池の淵をまわりだすと、記紀の道の中でした。

稚児ヶ池のまわりの気持ちの良いこと、左手に湖面右手に畑と続いていましたが、途中でいきなり未来の世界に行った気分になりました。

畑の中にいきなりソーラーパネルが整然と並び、工業団地に来たかと思いましたが、今は畑で野菜を作るよりも電気を作った方が農家も安定経営が出来る時代が来ているんだなと感じました。

私はこの場所を 『ソーラー畑』 と呼んでみました。

しばらくして池の端に来た頃、池に流れ込む小川がありました、逢初川でした。

逢初川ぞいに上っていくと、左側に八尋殿がありました。

更に進むと無戸室(うつむろ)と言われる所が有りました、今は何も無くただ大木が悠然と立っているだけです。

この無戸室にはこんなお話があるようでした。

新婚の一夜を明けたニニギノ尊は、士族征伐のたびに出て数ヶ月して帰って見ると、コノハナサクヤ姫がすでに臨月になっているのを知り、彼女の貞操を疑った。

コノハナサクヤ姫は戸のない八尋殿、すなわち無戸室に火をつけて、『もしあなたの子をみごもていないのなら焼け死ぬであろう』と言って殿内に入ったが、火の燃えさかるときに、火照命(ほでりのみこと)、火須勢理命(ほすせりのみこと)、日子穂穂出見命(ひこほほでみのみこと)の三神をうんだ。

古事記や日本書紀によると、火照命は海幸彦、日子穂穂出見命は山幸彦とよばれていた、という事でした。

無戸室の直ぐ先左手にうぶゆを使ったという、児湯の池がひっそりとたたずんでいました。

その先に恐怖の石貫階段! 鋭角168段の手すりも何も無い石段でした。

地元の方によれば、戦時中に作られたそうですが、上にあがると一気に古墳広場が広がりました。

この石段はプロ野球のヤクルトの練習に使われているそうです。

広場に出て爽快な気分になり、コスモス畑を一気に通り抜けるコースでした。

約2時間、8Kmのゆったりコースでした。

私たちはこの広場で昼食を取り、皆でたのし~いゲームをしました。

ゲームは○×で分かれるもの、問題は古墳に関するものや、ご当地西都市に関わる問題でしたが、意外と知らないものですね。

その後はバスで博物館に移動して初めて入館しました。

古墳の中に入るような神秘的な演出でびっくりしました。

地下に広がる幻想的な世界はいかにも何も無い古代を実に見事に表現しているようで、感動いたしました。

たまに、自分のルーツを知ると言う事は大切な事かも知れません。

もっと宣伝しないといけませんよね。





第32回大塚台秋祭り

2013-10-30 10:11:11 | リラックス
Dsc04481

雨が降るかと心配した秋祭りがパラパラ程度ですみました。
前日までの天気予報降水確率80%でした、慌てて雨対策に右往左往しました。



Dsc04387

夕方から祭りの出店準備があちこち始まりました。
Dsc04385


Dsc04388

17時過ぎから2つのステージで出し物が始まります。




Dsc04405




Dsc04416


出店も色々ありました。



Dsc04389


Dsc04394


Dsc04399


Dsc04395

とにかく人が多くて大盛況でした、多くの人に楽しんで頂けたのでとても感謝です。
しゃしんが多いので次回祭りの写真編で掲載したいと思います。




入院 その3

2013-07-10 14:36:45 | リラックス
4月11日    73.1Kg

毎日少し息の上がる状態を続けている3月29日の事・・・

この日は仕事が終えた後妻は娘の所に食事の準備や家の片付け・掃除をするため泊まる日だった、3月18日にお産をして間もないのでお店の隣の4階の部屋はとても便利で良かったと「勧めた自分」としても納得していた。

少し話はそれるが、蒼空くんが産まれた頃娘は、宮交シティから八重川を越えた川沿いに立つ彼のマンションの1Kの狭い部屋にいた。

車の免許のない娘は駅に出るにも宮交シティに出るのも、もよりのバス停に出るのも、近くのスーパーに出るにも赤ん坊をかかえて10分~15分かかるようでした。

娘が働きだしてからは、われわれが毎日娘と蒼空くんを送迎するのが日課となっていました。

お互い1人の時は大したことは無いが、子供が出来たらそうはいかない。あまり不便さを感じていない旦那を娘に説得させて、娘の職場である大塚台の公団住宅に引っ越したのである。
8
1Kから3DKに広がり家賃は少し増えた位で済み、4階で日差しもよくスーパーは敷地内、バス停は公団横にあり、隣にある職場には蒼空くんの面倒を見てくれる「じ~じ・ば~ば」つき、おまけに直ぐ隣の生目台団地には旦那の実家がある、前のマンションとは月とスッポンである。


妻が娘の所に泊まり、わたしが家に帰り独身生活をエンジョイする予定だったのだが、日向のはっちゃん(妻の母)が突然、ひ孫見たさと、何か手伝おうと店に来てくれたのである。

結局、はっちゃんが妻と娘のところに泊まると旦那が緊張してゆっくり休めないという事で、私と家に泊まる事になった。
その変わりはっちゃんが食事まで作ってくれると言う、ありがたい事となった。

しかし私のエンジョイは次回とあいなりました。

そんな3月29日家で食事を頂き(野菜たっぷりのちゃんぽんを完食!と記憶)ほどほどにリビングでテレビを見て「おやすみなさい!」と2階の自分の部屋
9
に入りました。

テレビを見ながら眠くなるのを待っていたのだが、今日は何かいつもと違う!・・・
息苦しさが止まらない、横になってみるかと寝て見たがやはり息苦しく「みぞおちから喉の付け根」のあたりまで締め付けられるように痛い!

やはり駄目だと起き上がりソファーでテレビを見てれば眠くなるだろうとしていた。

眠れないままいる午前3時半頃、下ではっちゃんが起きてキッチンで何やらガタガタと何かの準備を始めたようだ。

いつもの習慣でこれぐらいの時間になると目が覚めるようで、日向の家でもいつもこうしているのでしょう、そう言えば日向のお父さんが生きていた頃泊まりに行くと、いつもこんな時間に父ちゃんと母ちゃんが話していたように覚えている。

息苦しさと痛みとが「モワー!!!!」と襲い掛かり、もしかして「俺!駄目かも・・」と頭の中をよぎったが、まだ生きてるぞ・・ 

10
はて?救急車を呼んで夜間救急指定病院の医師会病院に運んでもらったものか??? 


近所中がびっくりして迷惑をかけるといけないな、まだ死ぬほど苦しい訳でもないから・・

もっとも死んでみた経験がないので「死ぬほど苦しい」という苦しさの程度を知らないのだからあまり適切ではないのだが・・・

妻に連絡をしたいような心細さが襲ってきたが、携帯も下に(1階)置いてきたままだし、もう少し様子を見て見ようと又テレビを見た。

息苦しさと痛みで見るというより紛わせたくて、眺めてるようなうつろな感じだった。

11
明日の土曜日はお客様の予約も満遍なく入っていたような気もしたが、この状態ではどうしようもないから、一番で福井先生の所に行って痛み止めとか喉の拡張とか処置をしてもらおうと決めた。

妻に電話しようと思うのだが如何せ午前4時では妻も疲れているし、野島家(娘の家)もびっくりするだろうから後2時間、6時まで頑張って待とう・・・

この2時間の長かりし事 ・・

やっと6時になり階段を降りて「おはよーございます!」と言い携帯を持って2階に上がった。

はっちゃんは起きていてごはんの準備をしていた・・
気づかれずには済んだようだった。

2階の部屋から妻に電話をして、今日は病院に行くからお客様の予定を変更してもらうよう頼んだ所だった。
急の電話に妻もさぞ驚いた事だろうけど、肝の座っている妻は「わかった、気をつけておいで」と言って私を嗜めていたようだった。

電話して少しほっとしたのか、ソファーでテレビを見ながら時間が来るのを待
12
つ余裕が出てきたようだった。


1時間ほどした午前7時ごろ、妻が帰って来た。
私の様子が少し異常な事態と察知して迎えに来たようだった、「私が運転するから準備して」・・・

じつに手際の良い妻である。
保険証は入れた?お金はこのまえの様に足りなくならないように・・・
やはり妻には一生頭が上がらないのだろうなーと再確認をする。

店についてから急いで私は運転して福井医院に行った。
午前8時30分というのにすでに診察がはじまっており10数人は診察室に入っていたようで、私は20番代だった。

受付で今日来た理由を言うのですが、待っていると今日は何で来たのかと診察担当者が聞きに来た、「前回の診断結果をお聞きにみえましたか?」 ムッ!!
13
苦しいから来てるのに、どうして何回も何回も説明しないといけないのか頭にくるー ムッ!!  でもやっぱり・・・ 「昨日の夜から息苦しくて、喉のこの辺が痛くて診て頂きたいのです・・」

つづきあり


入院 その1

2013-05-25 14:01:47 | リラックス
やはり入院中の日記をアップします。


平成25年4月10日   73.9Kg

今日から日記らしきものを始めたいと思う。
今は入院して12日目になりますが、少し体調が良くなるとどんどん退屈さが増してくる。

思い起こせば全ては自分の愚行の積み重ねではあるが、気がついた時は遅い!
よく言われることとは知りながら、まさか自分にこんなに早く・・・

昨年の夏、3年かけて伸ばしていた髪をばっさりと切りました。
体調の変化なのか、異常気象のせいか頭の中にぶつぶつが沢山出来て痒いので、シャンプーしやすくするために思い切って・・という感じが始まりかも知れません。

10月ごろ保健所への申請のため妻と共に健康診断書を取りにいつも診てもらっている内科医の所に行った時の事でした、血圧が少し高いですねー、たばこは吸ってる?肺に一部影があるんだけど・・・


たばこはやめて15年が過ぎていましたが、どうしてだろー
血圧もいつも120前後、145なんて全くの未経験!!!

ちょっと心配・・

年末に近づいたころ、商店街で購入してある血圧計を預けてある隣の佐藤さんの所から借りてきて毎日計りだした、血圧計が悪いのか・計り方が悪いのか140代から150代が続く。

そのころから階段を上り下りすると何か息切れがするようになり、どうしたんだろう? 内心不安に思う日々が続いていた。

このころから私が主体で毎月土曜日開催の大塚台ロハス朝市が5年を過ぎんとし、他の場所同様マンネリ化に陥り、何とも打開策が無く、袋小路に嵌っていたので自分の体調不良を理由に2ヶ月に1回に伸ばし、内容の濃いものへバージョンアップする事を提案し始めた頃でした。

体調はそんなに変わりはしなかったが、商店街の階段で山形屋ストアに行くときなど、昇りの階段を少し早足で上がると息が上がっていて 「年なのかな・・」 などと心の中で呟いていたりもした。

でもどこかで健康への不安と自分へのなぐさめも同居していたように思う。
人間て、なんて弱いものか・・己の健康にすら真正面から向かえないのだから、他の人や我が子に偉そうな事は言ってはいけない・・そう感じる所でした。


つづきあり



心筋梗塞でした。

2013-05-14 04:24:45 | リラックス
3月29日の夜、二階の寝室で寝ていたのですが、何か息苦しくて横になっても起きていても、どうにもならない状態が続き起きたままでテレビをみていたのですが、今度はみぞおちから喉の付け根にかけて締め付けるような痛みが出だしましたました。

これはちょっと異常事態だな~!!

救急車を呼ばないといけないかなーと考えながら、真夜中で近所迷惑だしまだそんなにでもなく生きていられそうだから朝まで頑張ろうと思いじっと耐えて居ました。

じっとしていると色々な事を考えてしまい、「俺はこのまま死ぬのかなー」「息苦しいのは胸でも悪いのかなー」「喉が痛いのは喉頭ガンとかだろうか?」

明日の朝一番で福井先生にみてもらおう・・・

明日は土曜日でお客様の予約が結構入っていたから、妻に伝えておかないと・・・
でも、今は午前3時だから電話は6時になってからしないと妻も疲れているだろうから。

この時妻は娘の出産後の手伝いで泊まり込みをしてる所でした。

6時をすぎた頃電話を入れると眠そうな声で、気をつけて行ってと言われほっとした所でした。

安心したせいか痛みも少し収まった感じはしたのですが、息苦しさは一緒でした。

そうこうしているうちに妻が帰って来て、さー準備しましょう!私が運転していくからと言い入院への始まりとなったのです。

続きはまた後日!