PPKオーナーの奮闘コーナー

写真付きで日記や奮闘の様子をお知らせします。

承り 13

2007-02-11 14:47:50 | リラックス

PPK(ピンピンコロリ)-10

Dscf0030 本家のお爺さんの逸話については、周りの親戚からお聞きした事でしかないのですが私の認識している限りで語りたいと思います。

やはり農家の跡取りとして多くの家族の面倒を本家でみていたようですが、とても厳格で厳しい人で農業家というよりお商売の方が向いていたのかも知れません。

当時宮崎ではそうなに普及していなかった「たばこ」の栽培にもいち早く取り組まれて、一時期は県内の農協でも1・2を争うような集荷高があったように聞きました、その証拠に息子である私の妻の父は農協のタバコ事業の全国大会に宮崎県代表で出席したこともあるように聞きました。

いずれにせよ、そうした先見の明もあったようです。家はそれほど豊かではなかったようですがご自分はしょっちゅう旅行に出かけて見識を広めていたようでした。

Dscf0047 道楽といって良いのか解りませんが、そんな生活の中でも屋敷の東側にプールかと思われるほど立派な池を自分で作られ,そこに入郷地区(宮崎県日向市から山沿い諸塚椎葉に向かう一帯)に鯉を買い付けにでかけては池にはなして世話をされていました。また敷地内に立派な庭園をつくられ毎朝「ほうきの目を立てて」綺麗にされ、汚れている日は一日たりともなかったと(お元気な時は)聞きました。

また近隣の家で飲み方をするのが大好きで、ある時は飲みすぎて田んぼの畦道でこけて大怪我をしてひっくりかえっていても、平然と飲み方を続けられたそうで、周りの人に呆れかえられて居たようです。

結局何をするにも自分で思うところを徹して生きられたと言えると思いますが、徹する度合いの問題で桁外れに拘り追い求め行動を積み重ねられたのだと思います、人がピンピン生きてコロリと死ぬにはこの燃えるようなエネルギーの注ぎ口を見つけられるか否かが大きく左右するように思います。