
愛車とパチリ。奥の方の桜がソメイヨシノ。現在日本の桜はその八割がソメイヨシノと聞きました。すっかりお馴染みの桜品種にして、桜そのものを身近にしてくれたのもこれですよね。パッと咲いてパッと散る。その潔くも儚いところが我々日本人の胸を打つとかなんとか。
けれども大島桜と江戸彼岸桜の交配と言われるこの染井吉野は、交配種らしく丈夫という特性を得ながらも、樹齢も短く、そのままでは実を成して次の世代を残す術を失ってしまったそうです。
特に戦後大挙して植樹された為、数年前よりその多くが枯れ始めていることが問題として伝えられています。人の営みに照らし合わせ、儚く散りながらも毎年花咲かす健気さ等が美しく謳われたりもしますし、樹齢の点はそれに輪をかけるかもしれません。
でも本当に儚いのは、人の悪戯の為に次世代を残せない生命を生んでしまったことじゃないかと思えるんです。散るために咲くどころか、枯れる為に生き続ける。ある意味、より人間らしいのかもしれませんが・・・ ・・・
実は朝顔だとか錦鯉、江戸の昔から、風流を謳いながらも何かしっくりとこない人の傲りは多かったりするんですよね。そう思うにいたって、殊更桜に慈悲を感じた、今年の春なのでした。