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【国際線フライトと海外の旅の物語】 (第78回) タイでの日常生活と食生活(その2)

 もう30年前の1993年~1995年に家族と共に赴任した「タイの生活」の続編(その2)である。

交通事情
 1993-1995年当時は高架鉄道の「スカイトレイン」、地下鉄の(バンコク・メトロ)はまだ工事中だったが両方との現在ではバンコク首都圏の重要な交通網となっており、また、交通渋滞の緩和にも大きく寄与している。
 「タイ国鉄」はタイ国内全体に路線を持っているが基幹路線を中心であり、首都圏のアクセスラインにはなっておらず日常活動の足になる鉄道はなかった。

 よって、バンコク市内の市民生活の足はバス、自家用車、モーターバイク、メータータクシー(シーロー)、ツクツク(サムロー=小型3輪自動車)、バイクタクシーであった。
 大型のバスも各地多数走っており安く利用できたが路線が複雑で良く分からなかったことと、個々に運転手付きの車(レンタカーで新車のトヨタコロナ)を持っていたので、2年間、私個人はタイのバスには乗ったことはなかった。

↑クルンテープ・アピワット中央駅

 しかし、バンコクの生活に慣れ気丈(?)な妻は利用していたことがあった。唯一、列車で観光目的でカンチャナブリのクワイ河鉄橋に行った時、バンコクの「フアランポーン駅」から乗ったことがある。現在は新しい駅の「クルンテープ・アピワット中央駅」から地方への発着駅となっている。
 普通列車や近郊列車、観光列車などに関しては、これまで通り「フアランポーン駅」発着である。

 
↑↓フアランポーン駅
 
                  ↑クワイ河鉄橋
 出張でタイ国内の遠隔地に行くときには飛行機でその近くの空港まで飛び、社用車は現地で待機してくれていた。特に地方は車がないと話にならないので社用車には陸路先回りして現地に行って貰っていた。

 空港は当時、ドンムアン空港で現在のスワンナプーム国際空港(2006年開港)はまだ開港していなかった。現在では国内がドンムアン、国際がスワンナプームと分けられている。

↑スワンナプーム国際空港

↑ドンムアン空港

 国際線はタイ国際航空、国内線はバンコク・エアウエイズが主に運行させている。
 当時のドンムアン空港に行くには、ほぼ並行した鉄道もあったが空港利用には全く機能を果たしていなかった。また、事実上、高速道路か一般国道の2種類しかなくほぼ並行している鉄道は空港利用には全く機能を果たしていなかった。
 ホテルと空港間にはリムジンバスがあったがバンコク市内のでに自宅があった1993年~1995年はタクシーを利用することが多かった。これまでタクシーはまだメータ付きでなく、乗車の時一々運賃交渉するのが鬱陶しいしかった。慣れぬ観光客などは高い運賃を取れることもあった。その内、メータータクシーが一気に増えほぼ運賃交渉をせずとも安心できるようになった。


 タイでは特にバンコクでは市民の足、小型3輪自動車である「トゥクトゥク =サームロット」が有名である。
昔、日本で軽自動車が発売される前に「ダイハツ・ミゼット」と言う小型3輪自動車を出していたことがあった。そのミゼットに似た3輪車「サムロー」が「トゥクトゥク 」である。バタバタと爆音と噴煙を出して走るツクツクはタイの風物詩の1つだろう。
 そのツクツクはタクシーを使うほどでも無いところへちょっと行くときや、渋滞で急ぐ時、荷物がある時など利用することが多く便利である。50バーツも出せばかなりのところまで行ってくれた。観光客も珍しいのかよく乗っているのを今日でも見ることができる。


 従って人々の足は車とバス、近場はツクツクが庶民の足であった。人間で言えば毛細血管に似て、交通渋滞が激しいバンコク市内の小路(ソイ)を走る「バイクタクシー」は少々危険であるが最も速い足である。
 乗車する人はヘルメットをかぶり後部でドライバーにつかまり走るが女性はバイクの後部座席に横座りで座るが危なかっしいがそれでもスイスイと洪水の車の間をぬって走ってゆく。

バンコクの寺院と観光地巡り
 タイは仏教徒の国で信心深い。国教は仏教で国王は仏教の庇護者でもある。
僧侶が毎朝托鉢に回る。大抵のタイ人は仏教を信じていて寺院だけでなく市中の仏像に頭をたれ拝む。タンブンと言ってお布施もする。
 タイの男性 は20歳の成人後に出家を経ることで一人前になると伝統的に考えられていて数か月出家する人も多く、結婚 などの前に出家をする方も多い。

 タイの国中に立派な寺院が多く、首都バンコクには「エメラルド寺院」の通称で知られている「ワット・プラ・ケオ(王宮)」は、1782年にラーマ1世が現在の王朝であるチャクリー王朝を開いたときに護国寺として建てた寺院で最も有名な寺院がある。男子も半ズボンなどは認めれず長ズボンの着用が求められる。(持ってない者には臨時に長ズボンを貸してくれる)
 
 ↑ワットプラケオ(王宮)

 「ワット・アルン(暁の寺) 」はチャオプラヤー河の岸辺にひときわ美しい大仏塔 がそびえたつ、「ワット・ポー 」は長さ46mの巨大な寝釈迦仏の寺。ワットポーはタイ古式マッサージの総本山。

↑ワットアルン            ↑ワットポー(涅槃寺・寝仏寺)

 この他、訪れていない立派な寺院が至る所にあったので今から見ればもっと頻繁に行けばよかったと思う。

タイの水上マーケット


 バンコクの南西約80kmにある「ダムヌン・サドゥアック水上マーケット」は一番有名な水上マーケットである。活気があって素朴な見どころがあるここの水上マーケットにやはり一度は行ってみたいところである。
 早朝から昼過ぎまで開かれているが市場がもっとも賑わうのは朝8~10時頃である。可能であれば朝9時頃までに到着した方が良いと言われる。
その他にも数カ所水上マーケットがあるようだが私達は行ったことがない。

買い物・お土産
 バンコクでは日常生活の食料や生活用品等はほぼ何でも買える。バンコク市内には数店、日本の食料品のスーパーマーケットがあり普通の生活には不自由することがない。また、日本のデパート(伊勢丹、大丸等)や現地資本のデパート内のスーパーにも日本の食品も売っている。

 タイ人の市民が利用する現地の大小の市場や商店街があり、そこではタイのあらゆるものが買える。時々、タイの市民生活を知るためにも言っていた。
その1つに泥棒マーケットと呼ぶ大きなバンコク市内のローカルマーケットでは時々、「アサヒドライ」がバンコクのローカルマーケットに出回る、そんな情報があった時はマーケットに出かけたものだ。只、アサヒドライが製造が日が経っていることから気が抜けて美味しくなかったことが多かった。多分、船員が無断で持ち込んだものに違いない。(国際線の船は公海・領海外では無税。領海に入って持ちこむ場合は税金を払う必要があるが無断で持ち込んだものだろう)

チャトチャクのウイークエンドマーケット


 バンコク郊外のチャトチャククと言う地区に大きなマーケットがある。ここはタイの陶磁器、彫り物、衣料品、観葉植物、肉や魚も売っており、観光客は必ずと言っていいほど訪れる。私は妻と日常の置物や土産物をよく買いに行っていた。

 私はバンコク市内の靴、スーツ店でオーダーメイドしていた。帰国の何か月前には懇意にしていた中華系タイ人の家具店でライティングデスクを特注した。あれから30年近くになるが今も愛用している。また、日本人経営の画廊ではタイ人の画家にバンコクの風景水彩画も描いて貰ったことがある。
 1995年に帰国後、何年かしてバンコクを訪れた時、家具店で久しぶりに再会して旧交を温めたこともある。

タイシルクのジムトンプソン

 
 「ジム・トンプソン」 こと ジェームズ・ハリソン・ウィルソン・トンプソンは、アメリカ人の実業家、軍人。タイ王国のシルクを世界に広めたことで知られる。 
 「ジム・トンプソン」は、1948年以来、米国人ジム・トンプソン氏が情熱を傾け育て上げた手織りタイシルクの芸術品だ。「タイの至宝」として珍重され、永年門外不出を守ってきたが、いまや世界的なブランドとしてその名を馳せている。 
 商品は飽きが来ず、タイへの観光客の殆どが何らかのジムトンプソン製品を買って帰るほど外国人にも有名である。
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