ザッ、ザッ、ザッ−。琵琶湖に程近い古民家の屋根から、乾いた音が小気味よく響く。敷き詰められたヨシの束が、こてやハサミを手にした職人によって表面を整えられ、湖国の原風景を織りなしていく。
「これは近江八幡(西の湖)で採れたやつ」。琵琶湖産の「ヨシ」を使った屋根の施工や、すだれ、建材の製造販売を手掛けるタイナカ(東近江市福堂町)の3代目、田井中敏己社長が、葺(ふ)き替え工事が進む屋根の上で教えてくれた。

↑写真:中日新聞より
「タイナカ」は1933年(昭和8年)の創業以来、近江八幡市南津田町などで地主と契約してヨシを刈り取り、選別、乾燥、加工までを一貫して自社で担っている。
琵琶湖産の「ヨシ」は、古くは「江州葭(よし)」とも呼ばれた特産品。
長さや色つやによって、すだれやよしず、障子の建具などに加工され、京都の茶室や料亭から全国に知れ渡った。同社の製品も京都迎賓館(京都市)や、平成の大嘗祭(だいじょうさい)に納品しており、田井中社長は「琵琶湖のヨシはどこにも負けない」と胸を張る。
刈り取りは毎年、1〜3月にかけて実施。その量は年間で3トントラック40台分ほどになるが、色や形の悪いヨシ、混ざった他の植物などは手作業で取り除くため、今年の分で使い物になるのは「2割ぐらい。あとはダメ」ときっぱり。
降水量が少なかったり、雪が積もったりすると品質は落ちるが、善しあしを左右する明確な要因は分からないという。「自然が相手だから、出来の良い年は20年に1度くらい。割に合わんよ」。毎年欠かさず刈り取り、野焼きをすることで、良質なヨシが生えそろうのを待つしかない。
刈り取り後は、火事のリスクを分散させるため、6カ所の倉庫で保管し、数年から数十年かけて乾燥させる。茎は、皮の付いた部分が本来の色を保ち、皮のない部分はあめ色に染まる。こうした色の違いや、黒ずんだ節との組み合わせ方、編み方により、独特な色合いや絵柄になる。「(創業者の)おじいさんの頃の、1980年代後半のヨシも寝かせてある。品質がいいと何十年も持つから、次々と売れるものではない」
近年はホームセンターなどで安価な中国製が並び、ヨシが生い茂る土地の管理に手を焼く地主も出てきている。電力不足だった東日本大震災の直後には、パチンコ店などが室外機を覆うため、すだれの需要が急増したが、新型コロナ禍では、飲食店や旅館からの注文が激減するなど、ヨシを取り巻く状況は厳しさを増している。
同社も新型コロナ禍のあおりを受け、昨年の売り上げは半減した。自社での刈り取りをやめ、業者から調達すれば、経営面では楽になる。田井中社長の代だけのことを考えれば、新たに刈り取らずとも、先代の残したヨシを使えばいい。それでも「ヨシ専門のすだれ職人は国内でも数えるほど。うちが刈り取りをやめたら、琵琶湖のヨシは終わってしまう」と田井中社長。「琵琶湖は宝やから、大事にしないと」と表情を引き締めた。
タイナカ
東近江市福堂町1426
<中日新聞より