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「百済寺」境内に伝わる「ねずみ地蔵」・「矢杉」民話(東近江市)

 大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」の放送が始まり、舞台となる県内は盛り上がりをみせている。

そこで、織田信長の百済寺焼き討ちに抗ったねずみを祀(まつ)る「ねずみ地蔵」、葉を矢に変じた「矢杉」の百済寺周辺地域に伝わる民話がある。

 「百済寺」は湖東三山の1つで有名な寺である。606年の創建。平安中期以後、天台寺院として発展して1000坊を擁し、「地上の楽園」(ポルトガル人宣教師ルイス・フロイス)とされるほど隆盛を極めたが、1573年4月に信長の焼き討ちで壊滅的な打撃を受けた。  

信長は当初、寺領を保証して穏健な姿勢を見せていたが、敵対する南近江守護・佐々木六角氏が立てこもる鯰江城に百済寺が兵糧米を送ったことを知って激怒し、柴田勝家らに焼き討ちを命じたとされる。

 民話によると、織田軍が境内に押し寄せ、五ノ谷川を挟んで矢を射かけたところ、どこからともなく無数のねずみが現れて矢を受け止め、僧兵のもとへ運んで行った。  

それでも織田軍がはげしく攻め寄せると、今度は境内の大杉の幹が大きく二つに割けて大蛇の姿に変わり、杉の葉が無数の矢になって織田軍めがけて飛び出していったという。しかし、多勢に無勢で、全山は灰燼(かいじん)に化した。現在の境内は、1650年以降に再建された。  

矢を受け止めたねずみを祀る「ねずみ地蔵」や、大蛇に変じた「矢杉」と呼ばれる大杉は、五ノ谷川にかかる極楽橋を本堂側に渡って直ぐの参道脇にある。

百済寺 東近江市百済寺町323

<滋賀報知新聞より>

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