何度も書くようですけど、
郡山で見た、この
ポスター、
頭にきます。
大阪に貼ってあったのなら、
納得です。
しかし、東京にさえ貼ってなく、
新潟にもなかったのに、
よりによって「こっからは、東北」という地域で
このポスターは、
地元の人を欺いています。
じゃないでしょうか。
地味に見えて、
ど派手な
このポスター、
見逃しはなかったはずです。
実は、旅行の行き先に
「飯舘村」は、含まれていませんでした。
あんな線量の高いとこ、
身に危険が及ぶと分っていて、わざわざ行くか
と思っていました。
しかし、このポスターを見て、
気が変わりました。
新幹線で
郡山駅から福島駅まで
すぐそこです。
11月20日、日曜日、降り立った駅は、
閑散としてました。
郡山の駅の比ではなかったです。
地理が分らないので、旅行案内所に入りました。
「飯舘村に行きたいんです。
バスの経路、教えて頂けませんか」
「バスは、走ってないです」
「じゃ、歩いて行きます。大体の
道順でよろしいです。
地図を売っているところ教えて下さい」
「歩いて行ったら、帰れなくなりますよ。
一日では行けません」
「じゃあ、何か交通機関は…?」
「川俣までならバスで行けないことはありません。
でも、本数が少ないです」
「バスを待って一日が暮れた、
ということに
なりはしないですか」
「…」
「じゃ、タクシーですね、それしかないようですね」
「本社を通して下さい。
本社がOKと言えば、OKです」
というような話の後、
タクシー乗り場に向かいました。
心は、そのとき、
歩いて行くことに決していました。
でもまぁ、一応、声はかけて置くか
ということで、
タクシーの運転手さんに
気持ちを伝えたところ、
二つ返事で応じてくれました。
下の写真は、多分、阿武隈川でしょう。
川沿いに
車が走り出しました。
着いたのは、こちら。
飯館村役場です。
役場には、当直の方がいらっしゃいました。
「大阪の方に避難される
希望を持った人、いませんかね。
大阪で確認を取ると、希望者がゼロなんです。
それが信じられない…。
住む場所なら
何か所か提供できるし、
直接、会ってその旨を伝えたく
大阪からやって来ました」
と、来訪の要件を告げました。
役所機能は、飯野に移転しているとのことでしたので、
そちらに向かうことになりました。
別れ際、
その役所の人が
「村の人、避難の説得には応じないですよ。
意固地になってますから…」と、
一言、おっしゃってました。
精悍な顔つきの方で、
こんな人が懸命に声掛けして無理なもの、
どうして僕にできようか――
と思いました。
それでも、ジーパンに汚れたジャンパーを着込んだ
僕を相手に最敬礼で見送って下さった
この役所の方の御苦労を思うと、
簡単には諦める気になれなかったです。
ただ、飯野までの
のどかな風景を見てると、
ここを立ち去りたくないという
村の人の気持ちが
分らなくはなかったです。
本当に
心安らぐ地です。
車内からの撮影で見苦しいとは思いますが、
ぶれた写真はぶれたままに
アップしておきます。
クリックすると、
写真が大きくなります。
郡山で見た、この
ポスター、
頭にきます。
大阪に貼ってあったのなら、
納得です。
しかし、東京にさえ貼ってなく、
新潟にもなかったのに、
よりによって「こっからは、東北」という地域で
このポスターは、
地元の人を欺いています。
じゃないでしょうか。
地味に見えて、
ど派手な
このポスター、
見逃しはなかったはずです。
実は、旅行の行き先に
「飯舘村」は、含まれていませんでした。
あんな線量の高いとこ、
身に危険が及ぶと分っていて、わざわざ行くか
と思っていました。
しかし、このポスターを見て、
気が変わりました。
新幹線で
郡山駅から福島駅まで
すぐそこです。
11月20日、日曜日、降り立った駅は、
閑散としてました。
郡山の駅の比ではなかったです。
地理が分らないので、旅行案内所に入りました。
「飯舘村に行きたいんです。
バスの経路、教えて頂けませんか」
「バスは、走ってないです」
「じゃ、歩いて行きます。大体の
道順でよろしいです。
地図を売っているところ教えて下さい」
「歩いて行ったら、帰れなくなりますよ。
一日では行けません」
「じゃあ、何か交通機関は…?」
「川俣までならバスで行けないことはありません。
でも、本数が少ないです」
「バスを待って一日が暮れた、
ということに
なりはしないですか」
「…」
「じゃ、タクシーですね、それしかないようですね」
「本社を通して下さい。
本社がOKと言えば、OKです」
というような話の後、
タクシー乗り場に向かいました。
心は、そのとき、
歩いて行くことに決していました。
でもまぁ、一応、声はかけて置くか
ということで、
タクシーの運転手さんに
気持ちを伝えたところ、
二つ返事で応じてくれました。
下の写真は、多分、阿武隈川でしょう。
川沿いに
車が走り出しました。
着いたのは、こちら。
飯館村役場です。
役場には、当直の方がいらっしゃいました。
「大阪の方に避難される
希望を持った人、いませんかね。
大阪で確認を取ると、希望者がゼロなんです。
それが信じられない…。
住む場所なら
何か所か提供できるし、
直接、会ってその旨を伝えたく
大阪からやって来ました」
と、来訪の要件を告げました。
役所機能は、飯野に移転しているとのことでしたので、
そちらに向かうことになりました。
別れ際、
その役所の人が
「村の人、避難の説得には応じないですよ。
意固地になってますから…」と、
一言、おっしゃってました。
精悍な顔つきの方で、
こんな人が懸命に声掛けして無理なもの、
どうして僕にできようか――
と思いました。
それでも、ジーパンに汚れたジャンパーを着込んだ
僕を相手に最敬礼で見送って下さった
この役所の方の御苦労を思うと、
簡単には諦める気になれなかったです。
ただ、飯野までの
のどかな風景を見てると、
ここを立ち去りたくないという
村の人の気持ちが
分らなくはなかったです。
本当に
心安らぐ地です。
車内からの撮影で見苦しいとは思いますが、
ぶれた写真はぶれたままに
アップしておきます。
クリックすると、
写真が大きくなります。
フウ~ っと大きくため息が出ます・・
今現地で暮らしていらっしゃる方は、お役所の人が言うように、被曝しようが土地から離れる気は無いと決心した人達だと思います
東北の地に根を張って生きている人は、関西と言うと地続きの隣国位の感覚があると思うのです、文化が大きく違いますからね・・
馴染めるか?と言う不安があると思うのです
忠太さんの声掛けに反応するのは、すでにどこかで避難生活をされている子育て中の人ではないでしょうか? 借り暮らしから定住して暮らしを立て直したいと思っている若い世代はいらっしゃるのでは・・?
可能なら、ネットワークを作りたいです、福島の人たちを孤立化させないための。
瞬時を争うのに、前に進めない――ことにじりじりとした焦りを感じます。
子育て中の人にも、もちろん、声掛けしてゆくつもりです。でも、ここで生活できるのか、という不安を払拭出来ない限り、遅遅とした歩みになるでしょうね。
僕がポスター1枚で心変わりしたように、ほんのちょっとしたきっかけで多くの人が動く可能性があります。その足掛かりを作りたいと思います。
不思議なくらいにゃん☆
がんばってにゃん☆
応援してるにゃん☆
言葉べたでにゃん上手ににゃんかけずににゃん☆
ごめんなさいにゃんね☆
言葉がなくても通じるものがあるし、コメント、ありがとうとら。
頑張るじゃん!