のんきに介護

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アベプラ:鈴木賢 vs 小川榮太郎 「性的なことは、秘すべきなのか」

2018年09月22日 21時39分51秒 | マスコミ論



この番組、公平な立場で討論させるつもりがあるんだろうか。

司会者がわざわざ、

「それは小川さんに言ってるんですか」

といった恫喝めいた質問をしていた。

逆に、小川に同様な問いかけはしていないのは、

この番組の立ち位置をよく説明している。

小川さんは、

性的な事柄は、

社会的な議論の対象にするな

という立場なんだから、

鈴木さんに

嗜好と指向の違いを問うのは自己矛盾だよ。

司会者として、

議論を整理する必要があるんだから、

そこは、

きちんと言うべきだ。

また、

小川さんは、

嗜好と指向を同列に置いている

と批判されている。

しかし、より直截に言えば、性的な事柄は、

十把一絡げで

性的な問題と四つに取り組む気がないということだな。

どんな問題でもそうだが、

十把一絡げのままでは会話が成り立たないのは

当然ではないか。

小川さんは、

開き直って「教えてくれ」と言っていた。

鈴木さんは、

確かにゲイであることをカミングアウトした勇気ある人ではある。

しかし、この問題について

答えられるだけの情報の持ち主なのかどうか――。

嗜好と指向の二つ、どこがどう違うのか。

自己抑制力が

関係するか否かで区別できるだろう。

mt@meto20170328さんの次の教育の目的に関する一文が

それを考えるに当たって参考になる。

いわく、

――民主主義教育の目的は自己の確立です。衝動や欲望によって自己の行動を抑制できない人間が社会の大勢を占めるようになったら、民主主義は崩壊します。言論の自由に代表される自由の権利も危機となります。我が国の義務教育の目的も自己の確立です。かつては国民的教養とも言っていました。〔16:52 - 2018年9月23日〕――

このツイートにある

「衝動や欲望によって自己の行動を抑制できない」特徴ゆえに、

「嗜好」は、

時には治療の対象、時には犯罪として取り締まられるわけだ。

その点、

生来的(生まれつき)である「指向」とは異なる。



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