のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

小林よしのり氏 / 「百田を叩くのは、言論の自由である」

2015年07月01日 22時22分56秒 | 憲法解釈論
百田尚樹
‏@hyakutanaoki さん(以下、百田)がこんな迷言を吐いている。

――これまでマスコミやネットにどれだけ叩かれたかわからん。そのたびに本の売れ行きが減っている(^_^;)
ふつうこれだけ叩かれたら、少しは反省しておとなしくなるのに、百田くんはまったく懲りない。なんでか自分でもわからん(^_^;)
多分、頭のネジがどこかおかしいのだろう〔16:13 - 2015年7月1日 〕――

本の売れ行きが減っているのは、

本自体の中身について

(おや?)

と思うことが山のようにある…と、

世間が気付き始めたことに尽きるんじゃないだろうか。

マスコミに叩かれたから

というのは、

お門違いな分析だと思うな。

週刊誌には、

「作家タブー」というものがあって、

百田を叩く人間はいなかった。

新聞紙やらテレビは、

ゴマをする一方だった。

「批判」の「ヒ」もなかった。

それが一転、

本が売れなくなり始めたとしたら、

妙な政治家の応援やら、

作品として出来上がる小説の怪しげな作りから

百田の人柄

ひいては彼の小説家としての

能力を市井の読者層が疑い始めたということだろう。

もし、自分の著書の売り上げが減ったことに

恨みを持ち、

沖縄2紙を愚弄したのだとしたら、

八つ当たりもいいところだ。

読者に見限られたのは、

マスコミではなくて、百田さん、あんた自身の責任だよ。

嘘を織りまぜて小説を書き、

ばれた嘘ととも

崩壊しそうな作家の哀れを感じる。

上っ面だけの

虚飾を求めれば

求めるほどに世間の侮蔑を買うだろう。

たとえば、

百田が褒めちぎる

この人、

――辛坊さん、歯切れいいなあ(^^)
さすがや!
youtu.be/tVbAdPKYvto〔23:43 - 2015年6月30日 〕――

という動画を見てみよう。



批判に値しない

屁理屈を辛坊治郎さん(以下、辛坊)が滔々としゃべっている。

お笑い芸人(?)のノリだ。

しかし、芸能とは到底、言い難い。

辛坊には、

Keiichi OKU 奥 慶一 @k1oku さんの、

この言葉を捧げよう。

――深みを求めるのが芸術 (art)
浅みを装うのが芸能 (pop culture)

(本当に浅くてはだめ)〔7:59 - 2015年6月30日 〕――

好き放題に講釈を垂れている法律のど素人の彼には、

(無茶苦茶、言うたらあかんわ)

と抗議の電話が殺到しないのだろうか。

桜チャンネルという。

ある種、カルトの教祖が滔々と嘘をまくしたてる

番組に似てなくもないな。

辛坊の講釈は、

考えるのも馬鹿らしい論理で成り立っている。

要約すると、

関西の

「そこまで言って委員会」という番組では

似たような発言が一杯ある。

(そのような俗悪番組を放置している一方で)

百田を批判するのは

彼の「言論の自由」を犯すことになり

許されないんだ、と。

この見るからに面の皮が厚いだけの

この人、本職はなんだろうか。

本当にお笑い芸人なのか。

笑わせるために言っているにしては落ちがない!

場面が何回切り替わり

その度、幼稚な話をされ、ずずっと話が暴走したままだ。

あれ、あれ

という印象だな。

「いい、悪いじゃない」

と辛坊は、言うけれど、

問題の核心は、

その「いい」か「悪い」かなのだ。

なぜ、こんなこと、

いい大人が分らないんだろう。

見ていて腹が立ってきて、

動画を見るのは、

半分で精一杯だった。

ただ、一言、

百田の言論の自由を守るという発想、

転倒しているよ

ということ言ってやらねばと、

朝から考えていた。

今夕、

小林よしのり氏が

簡潔に

「百田を叩くのは言論の自由である」

と述べておられてて

気持ちが晴れ晴れとした

(監視で委員会 @tonden2 さんのツイート〔21:44 - 2015年7月1日 〕、下記〔資料〕参照)。

百田氏の行使しているという主張している

「言論」は、

権力の側からなされた

まさに、

言論弾圧のための言辞だ。

そんなもの、

人権として許容されようがない。

自由権として守られるのは、

権力の暴走からだ。

御用聞きのように権力に媚を売る者の

言動は、

自由権保護の埒外にある。

民間であろうが、

公人であろうが関係ない。

その点を

曖昧にするため、

辛坊は、

安倍某という自民党の総裁の立場にある者が

「百田を処分し得ない」

ということと

あえて話をごっちゃにしようとしているように見える。

毎日新聞が記事で明らかにしたのは、

百田の発言は、

憲法が保障する「言論の自由」を逸脱したものだ、

ということだ。

すなわち、

その彼の発言の性質は、

サカキバラ元少年Aが被害者をあざ笑う行為と

同じだ。

その譬えのうまさに脱帽だ。

むしゃくしゃとした思いが表現を得て

(やった~!)

と思った。

さて、そのやったという思いを、

「表現の自由」の見方、

すなわち、憲法の条文の読み方として説明したい。


議論すべき

前提となる命題は、

次のごとくだ。

すなわち、民間人だからと言って、

何を言っても許されるわけではないということ。

「公共の福祉」

に服すという原理がある

(「憲法第21条」参照)。

こういう制約あればこそ、

名誉棄損とか脅迫等で裁けるわけだ。

もし、民間の発言だったら、

不可侵、絶対のものだったら、

刑罰規定による処罰は、

憲法違反ということになる。

ごくごく当たり前、常識的な話と思っていた。

しかし、百田や辛坊の理解の可能な範囲を超えているんだろう。

辛坊の歯切れの良さは、

敵味方の峻別と

敵の手足を奪う型どおりな非難にあるばかりではない。

権力によって立つ割り切りだ。

つまり、権力によって立つ側には、

「公共の福祉」による制約はないという

独自解釈が

自明の理として

措定されているのではあるまいか。

だから

論点が百田氏に言論の自由ありや否やの一点になるのだろう。

また、「言論の自由」という

抽象的なことに

論点が絞ることによって、

視聴者をして

思考停止に向かわせる効果もある。

そんなことをする目的は、

要するに、

権力に歯向かうものを葬りたいためだと、

僕は見ている。

百田のような人間にとって、

確かに

こんな分かりやすい論述をする人間は、

まあ、あまりいない、ということになるだろう。

しかし、実際のところは、逆だ。

辛坊に対する、

小林よしのり氏の是々非々に則った発言こそ、

貴重だ。

同じく自民党若手議員が講師として招聘しようとしながら、

百田の場合とは異なって、

要請が拒絶された小林よしのり氏が

分かりやすい痛烈な批判を百田に投げかけているのは、

何とも皮肉な巡りあわせだ。

一刀両断に、小林氏は、

百田を叩く言論の自由が論点であり、

その自由が「ある」と

言い切っている。

抽象的に論ずる限り、沖縄の人にも

百田にも同じように言論の自由があるように“見える”。

しかし、具体的考えた場合、

沖縄の人の反論の権利のみが問題になる。

言論を抑圧するため、

人格を傷つけるデマで包囲されんとしているのは

沖縄の人たちだからだ。

反撃は、

まさに百田を叩く権利として

立ち現われる。

それは、

辛坊が立ち入らせまいとする

「いい、悪い」の問題だ。

足を踏み入れ、

決着をつけるしかないのだ。

しかし、

――議論したら負けるから、封じるしかない。
だから小林よしのりが来る勉強会も、中止に追い込む自民党。 〔13:00 - 2015年7月2日 〕――

というわけだ







情ないと言うしかない。

すなわち、腐った林檎は

一個、二個でなく、「たくさん」(ほぼ議員全員の意味)であり、

小林よしのり氏が

「ワシは、自民党の中でもレベルの低い一部の人が言っただけだとは考えないんです。こういう言葉遣いが自民党の中でも普通に普段日常行われているんだと思ってます。そういうレベルにまで落ちている」んだな、と嘆く(報ステとNEWS23を応援する会@ouenhst さんのツイート〔12:50 - 2015年7月2日 〕)。

浅ましや。



〔資料〕

「百田を叩くのは言論の自由である 」

   BLOGOS: 小林よしのり(2015年07月01日 09:57)

☆ 記事URL:http://blogos.com/article/119944/


未だに憲法とは何か、立憲主義とは何かが
分かってない人が多い。

百田尚樹がマスコミに批判されているのを見て、
「表現の自由」が侵されていると主張する人がいる。

これは間違っている。

百田尚樹が沖縄の新聞を潰せと言うのは、民間人が
表現の自由を行使しているのだから勝手である。

だが、マスコミ・民間人がこれを批判するのも
言論の自由を行使しているのだ。

民間人が民間人を叩くのは自由だから、在特会が
罵詈雑言のヘイトスピーチで在日朝鮮人を叩くことを
禁じることが出来ない。

サカキバラ元少年Aが被害者をあざ笑うのも
言論の自由を楯にしているから困ったものだし、
当然、それを叩くマスコミも言論の自由を
行使しているのだ。

わしはヘイトスピーチも元少年の出版物も、
「公共の福祉」に反していると思うが。

つまり憲法21条の「集会、結社及び言論、出版その他
一切の表現の自由は、これを保障する」という条文を
守るのは、権力の側なのである。

憲法は国民が国家権力を縛るためのもの、という
立憲主義の本質が未だに分かってない人が
いるのが問題だ。

なんと、自民党議員の中にも、表現の自由を守るのは
自分たち権力者だと知らない者が多い。

例の百田を呼んだ妄言勉強会の連中である。

自民党の議員はネトウヨがバッジつけてるだけの
バカが実に多いのだ。

安倍首相からしてネトウヨがコアな支持者だから、
その配下の議員たちが立憲主義を知ってるはずがない。

だから勉強会でマスコミの潰し方、言論の自由を
抹殺する方策を出し合ったりするのだ。

大西議員のような権力者が、スポンサーを利用して、
朝日新聞を潰せというのは、政府批判を委縮させてしまう
効果があるから、憲法違反なのである。

それでなくても、最近の大手新聞やテレビは、
安倍政権批判を若干手控える傾向がある。

「NEWS23」は権力監視の使命をよく全うしている
と思うが。

今の状況は、とことんマスコミへの権力の干渉を
批判する論調が必要である。

百田が批判されるのは、権力と結びつく人間だからである。

ネトウヨ化した権力者たちを扇動する危険性が
あるからである。

立憲主義の何たるかを知らない権力者、
言論の自由を弾圧しようとする者は、
国民の敵だからである!



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