のんきに介護

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イスラームは導きのない者にイスラームを教えようとしない ~ 「右手にコーラン、左手に剣」は、捏造

2016年03月20日 08時46分02秒 | 宗教
中田考bot
‏@NakataKo_bot さんのツイート。

――聖書を異教徒に配り読ませたがるキリスト教と異なり、イスラームは導きのない者にイスラームを教えようとしない。イエスも仰っているのだけれど。「聖なるものを豚にやるな。歯を剥いて襲いかかって来るだけだ。」彼等に対してはただ黙って公正に遇し寛容に庇護するだけ。<2010.03.17>〔11:48 - 2016年3月19日 〕――

宗教というのは、

レベルのとても高い処世訓を含んでいます。

「名言」

などと言うと、

宗教の冒涜と指弾されるかもしれません。

しかし、本当です。

高邁な教えは、

卑近な問題にも寄り添ってくれるのです。

すなわち、

「イスラームは導きのない者にイスラームを教えようとしない」とは、

卑近な問題を含んでいるけれど、

人生において

人に傷付けられずに

生きる秘訣だと言っていい過ぎでない気がします。

信念に関わる宝物に関しては、

沈黙を守ることがベターってことです。

大切なことを他の人にペラペラとしゃべって、

相手は、

盗めないものならば

教えられて感謝するどころか、

逆恨みしてくるのが落ちという結果を覚悟しておいた方がいいのです。

人間って、

自分のものでないモノや理解できない事柄となったら、

それを否定するんです。

その狭量さこそがその方の身を守る防護服なんでしょうな

(どんなに主観的であろうが、当の本人が身を守る術と信じ切っているのです)。

イスラム教徒の、

この「沈黙のススメ」のような教えって、

意外でしょ?

子供の頃、

「右手にコーラン、左手に剣」

というのが、

彼等イスラム教徒の布教の特徴だと聞きました。

それによると、

教えを受け取らないとなったら、

左手に握った剣で容赦なく斬りかかってきそうですけど、

実は、それは誤解という話です。

ウィキペディアには

「実際には『コーランか貢納か剣か』といわれていて、イスラム帝国が占領した敵の都市に住んでいた住民にいった言葉とされているが、全くの捏造であり、想像上の言葉である」

と説明されてありました。

☆ 記事URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%81%8B%E5%89%A3%E3%81%8B

これが正しいとするなら、

日本の創価学会員の方が了見が狭いかもしれませんな。

批判すると、

「仏縁がない」で済ましませんものね。

僕は、

創価学会の人、何人かの人を論争したことがあります。

知らないことを指摘してあげるほどに、

敵愾心を持たれてしまいました。

まるで親の仇のように

恨まれましたな。

彼等は、もっと俺たち、私たちは、人間として苦労してないから

子ども扱いされるんだ。

精進しなくっちゃと反省してくれれば、

こちらも気持ちいいんです。

理屈を超えているというか、陰険な仕返しを試みてきますよ。

どの方もこの方も、

この点に関しては皆さん、共通してました。

5年、10年、

あるいは、20年という月日が流れても、

久しぶりに会うと、目に憎悪の炎が宿ります。

これ、大袈裟じゃないですよ、

顔が醜く歪んでね、ほんとに天敵見つけました

という表情になるんです。

日蓮という方は、

論争を重んじられました。

然るに、

在家にしろ、その末裔の皆さんがぼこぼこに論破されまくって、

宗論と関係のないところで

仕返しをするなんて恥ずべきことです。

だから最近は、

相手が創価学会員となると、

いなすようにしてます。

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