のんきに介護

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官僚 / 「(避難解除について)国の判断は、4月1日です」

2014年02月25日 18時54分50秒 | Weblog
政府対応は、

住民同士にある

「避難解除賛成派(帰還派)」と「反対派」の間にある対立を利用して

「原告VS被告」もどき

互いに対立した主張をさせる。

意見陳述の順位は、(1)反対派、(2)賛成派の順。

賛成派の

「国の判断」を求める声を待つ。

その声が出るや否や、

(しようがないな)

という顔をして、

おもむろに憲法22条を持ち出し、

「居住移転の自由を守りたい」

などとのたまう。

そして(えっ、憲法論?)と、

驚いている反対派住民側の心の隙を突くように、

避難解除時期につき、

奉行所の役人の面持ちで調停者の「判断」を示します。

実際、判断を示したが最後、

後は押し切る形になるみたいです。

かくして避難解除は、

4月1日となったようです。

初めから

シナリオが決まっていたんでしょうな。

このやり方、

覚えておく必要があります。

同じ手口でまた、

役所の判断を押し付けられます。


〔資料〕

「避難解除:『官僚は頭がいいんです』、判断押し切る 福島」

   毎日新聞(2014年02月24日 16時54分)

☆ 記事URL:http://sp.mainichi.jp/select/news/20140224k0000e040240000c.html

 「4月1日解除」の政府判断は突然、あっけなく住民に言い渡された。福島県田村市船引町で23日開かれた都路地区東部の住民に対する「避難指示」の解除をめぐる住民説明会。会合が2時間を過ぎようとした時、それまで黙っていた官僚たちがせきを切ったように一斉に「4月解除」を語りだし、再考の余地なしという構えを住民に示した。会の流れを経済産業省の職員はこうふり返った。「ま、官僚は頭がいいんですよ」

 政府と市側の計14人が居並び、それに対する形で住民約100人が会場に詰めかけた。冒頭、冨塚宥暻(ゆうけい)田村市長と赤羽(あかば)一嘉(かずよし)・原子力災害現地対策本部長(副経産相)がこれまでの経緯を話し「住民の方々のご意見を拝聴したい」と口をそろえた。

 その後、環境省が「再度一律に面的な除染を実施することはいたしません」と住民が求める再除染を却下し、相談窓口や相談員が個別に対応すると説明した。飲み水の安全のため一部住民が強く望んだ井戸の掘削についても「検査で1リットル当たり10ベクレルを超えるケースについては個別に賠償する」という対応で、住民が安心を得るための国の策に大きな進展はなかった。

 住民からは「森林除染を一切しなければ森を生活の糧にしていた者への補償はどうなる」「子供が本当に安心して暮らせる基準を示してくれ」「安全にすべき場所でなぜあえて危険物を燃やす焼却炉を計画するのか」と、避難指示の早期解除を認めない声が続いた。

 ところが説明会が始まって1時間半も過ぎたころ、昨年夏から長期宿泊している住民が「心配はいろいろあるけど、このまま帰れないと心が壊れる。国、東電にお任せして(今後の対応を)信じるしかない」と発言。「帰還派」の声が相次いだのを見計らうように司会役が「では解除の時期について」と意見を住民に求めた。すると、小滝沢地区の副区長が「私の地区では5人が田植えを予定しており、(1月に)4月解除が望ましいと提案したら、別の住民に脅しともとれる言われようをした。この際、国の判断を」と提案した。

 これを受けるかのように、黙り通しだった原子力災害現地対策本部の熊谷敬・副本部長が一気に「4月解除」の方針を言い切った。

 「避難指示は憲法22条の居住の自由を阻む例外的な規制で、我々は帰れる方の権利を守りたい」と、これまで一度も触れられなかった憲法を初めて持ち出した。さらに「住民とは昨年夏からすでに7回の意見交換をし、国を挙げ、できるだけのことをしてきた。4月1日をめどに解除するのが適当と考えている」と告げた。

 熊谷副本部長が述べた「7回の意見交換」のうち4回は4地区に分けた個別会合だ。住民側から見れば、国と接した機会は説明会3回と地区の個別会合1回の計4回に過ぎない。住民は「国、市は十分な説明をしていない」「解除は全員が帰れる状況をつくってから」と反発した。

 しかし、復興庁、環境省の官僚も「4月1日解除」を前提に話し始め、最後は赤羽本部長が「国の判断として」4月1日解除の方針を表明した。冨塚市長も追認する形で3時間に及ぶ会合が終わった。

 最初に反対意見を語らせ、中盤に賛成意見が出たところで帰還派の住民に解除を提案させ、政府側が「4月解除」の方針を一斉に言い渡す−−。「解除反対」が半数以上とみられる住民たちは「国の判断」で押し切られた形だ。会合は当局への不信感という禍根を残すものとなった。【藤原章生】






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