のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

介護をやりきる秘訣

2008年04月01日 23時30分07秒 | Weblog
津止正敏・立命館大学教授が国民生活基礎調査(厚生労働省)などからまとめたデー

ターによると、介護の「嫁か妻の役割」という構造が崩れているとのこと。現在は、

4人に1人の割合で、男性が介護を担っている。続き柄では、実子35・7%(息子14・

9%、娘20・8%)、配偶者(夫10・8%、妻22・5%)となっている。

男性介護者は、一般に完璧を目指して、心身に無理な負担がかかったり、地域社会と

の関係が希薄で孤立しやすいといわれる。それで、津止教授は、「介護者への直接的

支援や、地域社会との関係を保つための支援の視点が必要だ」と指摘している(毎日

新聞記事より)。ありがたい提言だ。



介護するに当たっては、あらゆる対人的な職業におけるすべてのテクニックが要求さ

れる。要するに、過酷なのだ。問題は、過酷なのに、自分もまた支援されるべき存在

とは思いにくいことだ。なぜか?



どんなに一生懸命でも、周囲から「当たり前」としかみなされないからではないか。

たとえば、僕が母親に仕えても、親がそれだけいい人だったとか、偉大だからだとい

う具合だ。



最近聞いた曲に、「吾亦紅」という歌謡曲がある。あなたの偉大さを知った、という

母への慕情が美しい旋律で歌われている。人の心を打つ名曲といっていい。

ただ、介護の真っ最中、その相手をまかり間違っても「偉大だ」とは思えない。そん

なものなのだ・・・

しかし、世間の人は、そんな弱音や迷いを認めない。介護者が閉じこもりがちになる

実態は、そのような世間と介護者との意識のずれにあるのに。



悔しいからこそ、声を大にして言いたい、介護者は、「当たり前」のことをしている

のではない。大物扱いであって良いんだ! 竹と同じだ。介護は、灰汁が強くなけれ

ばやっていけない。もちろん、独りよがりなことが許されないのは当然だが、それは、

別論だ。竹のように、上へ上へと、まっすぐ伸び上がって行くような介護がしたい。

僕に都合のいい話だが、我田引水と思うなかれ。



大物のイメージには、次の特徴がある。つまり、完全でないことを承知しつつ、しか

も迎合しないということ。良いか悪いかはともかく、大物として収まりがつかなく

なったとき、その人は、虐待に走るだろう。そんなことをさせてはいけない。そのた

めの安全弁を本気で考えるべき時期が来ているのだと思う。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
うんうん (まーちんだってYo)
2008-04-02 21:13:09
そうですよね!
人は誰でも年をとり 高齢になり 介護を必要とする
出来ることから始めましょう。
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Unknown (忠太)
2008-04-03 14:31:56
初コメ、ありがとうございます。

これからもよろしく
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