のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

【軍歌】走れ日の丸銀輪部隊

2018年06月10日 06時51分37秒 | 音、楽し♪
【軍歌】走れ日の丸銀輪部隊



南北軍事境界線がある板門店での開催に傾いていたトランプ氏を翻意させ、

シンガポールに決めさせたのは首相だという

(サイト「ネットゲリラ」の記事、「産経は安倍ファンクラブの会誌レベル」参照)。

☆ 記事URL:http://my.shadowcity.jp/2018/06/post-13375.html

上掲サイトには、

次のような記述があった。

――第二次大戦開始とともにパタヤ海岸から上陸した日本軍は、自転車でシンガポールを目指した。銀輪部隊です。――

日本軍を領導したのは、

マレー半島では、既に日本軍の工作員ハリマオだったとのことだ。

そのとき、

自転車が活躍したなど

知らなかった。

しかし、活躍したからこそ、

「走れ日の丸銀輪部隊」

などという軍歌が生まれたのだろう

(下記〔歌詞〕参照)。

今日は、

それを紹介する。

僕らが子供の頃、ハリマオは

「怪傑ハリマオ」

として人気を博した。

当時、日本軍の工作員、

見方によっては戦犯だったなんて

考えもしなかった。

功労者のハリマオは、

無理がたたってマラリアに罹り、日本軍占領下のシンガポールで客死したようだ。

戦中、子どもたちの人気も絶大で

こんな歌が作られた。

なぜ、ハリマオが愛されたか、

それは、マレー人に受け入れられたからではないかと思う。

安倍晋三が

日本国憲法を敵視して

「諸国民の信義に信頼し」の

件を罵倒する。

しかし、それは、

とても歪んだ見方と思う。

戦前、戦中を通して日本は隣国に

受け入れられようとした。

しかし、

失敗したということだろう。

その厳しい現実を直視するところから

戦後が始まったのではないか。

hurry mao


さて、戦後、

僕らが馴染んだ怪傑ハリマオの歌を

次に紹介する。

歴史上のハリマオは、

自転車に乗っていたはずだが、

こちらでは

馬に跨っている。

快傑ハリマオ オリジナル バージョン


この当時、

聞いたハリマオの挿入歌(1960年~1961年)、「南十字星のうた」に

ロマンを刺激された(下記〔歌詞-2〕参照)。

何時聞いても涙が出るような

清らかさがある。

南十字星のうた _ 近藤圭子 オリジナル フルバージョン




〔歌詞〕

「走れ日の丸銀輪部隊」

(上掲サイトからの転載)


マレー戦線 炎の風に
赤いカンナの 花が咲く
汗に塗れて ペダルを踏んで
行くぞ進むぞ ジョホールへ
走れ走れ 走れ日の丸銀輪部隊

吹けば血風 疾風の雲だ
一瀉千里の 突撃点
握るハンドル 必死の願い
敵の陣地に 連れて行く
走れ走れ 走れ日の丸銀輪部隊

言葉代わりに日の丸振って
呼べば応えるマレー人
椰子の木陰の 休止も済めば
更に行こうぞ 戦線へ
走れ走れ 走れ日の丸銀輪部隊

何の炎熱 歯を食い縛り
シンガポールを ただ目指す
マレー進撃 快速部隊
回る車輪に 散る火花
走れ走れ 走れ日の丸銀輪部隊

右は密林 左は沼だ
敵が爆破の 橋元で
並ぶ勇士は 亜細亜の民か
花も万朶の 若桜
走れ走れ 走れ日の丸銀輪部隊


〔歌詞-2〕

「南十字星のうた」

さざなみ光る 砂浜に

ひとり聞く歌 子守唄

幼い頃の思い出に

輝くは 輝くは 南十字星

南国の夜は美しい

そよぐそよ風 熱帯樹

幸せあれと またたいて

輝くは 輝くは 南十字星

思い出しては 忘れない

ひとりあの歌 口ずさむ

なぎさに呼ぶは 夢の船

輝くは 輝くは 南十字星






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