まずは、
この曲、マーチとして楽しんでください。
その後、「マーチ→軍歌」という流れにさせないために
「靴が鳴る」
という曲につき、ネット上に
まるで軍歌と誤解させるような解説のあることを
紹介します。
普通に童謡として聞くのは、
その後です。
靴が鳴るマーチ
この曲の歌詞を作詞された清水かつらという人は、
昭和26年7月「酒が飲めなくなったら終りだ」とつぶやいて永眠したそうです
(サイト「清水かつらの生涯」参照)。
☆ 記事URL:http://www.sky.sannet.ne.jp/katura/shougai1.htm
酒飲みだったのでしょうな。
享年53。死に顔は、
子供みたいで清らかな神様のようだったとのことです。
かつらがまだ幼い頃、母親が離縁されたため
母親への思慕の念が
作詞に込められていると言います。
たとえば、
「靴が鳴る」という曲の歌詞は、
遠足の思い出を歌に託したとされていますが、
友だちの手のぬくもりに
幼いころ母と手をつないだ記憶が呼び覚まされていたかもしれませんね。
ただ、この点に関して、
「老兵は黙って去りゆくのみ」というサイトは、
「靴が鳴る」の靴が
軍靴だとして、
「お手(てて)つないで」の件につき
――第一次世界大戦の翌年、勝利に酔いしれているその年こそが、この「靴が鳴る」の発表年だった。
全員でひとつになって、つまり、
♪おてて つないで・・・
軍靴を鳴らしながら敵陣に向かうことによって、日本はまた大きく成長していったのである。――
などという特異な歴史解釈をしており、大変に驚きました。
☆ 記事URL:http://d.hatena.ne.jp/cool-hira/20100828/1282943507
コメント欄には、
「まさに日本を悪者にするだけの平和教育では世界平和のため日本は世界を牽引できないと考えます」
などと書いてあります。
しかし、
それって、難癖ではないでしょうか。
「靴が鳴る」という曲を
日本最初の軍歌だと理解せよということなのでしょうか。
合田道人著『童謡の秘密―知ってるようで知らなかった』という本は、
まことしやかにそう主張しているようです。
すなわち、
清水かつらという天才は、
人々の命を奪った憎き戦争も、勝つことにより国が富み、
思いがけない産物、童謡を生み育てた!
その事実につき、
一種の喜びすら感じていたのだ、と。
つまり、
♪歌をうたへば 靴が鳴る
♪晴れたみ空に 靴が鳴る
の「靴」は革靴で「靴が鳴る」は、
「兵士たちが足並みを揃えながら、"ざっざっざっざっ"と行進し、戦地へ赴く靴の音」
なのだというわけです。
言論の自由があるから、言いたいことを言えばいいとは思います。
しかし、嘘は駄目です。
「じじぃの『靴が鳴る!本当は恐ろしいほど残酷な』」
などというタイトルの下、
巧みに虚偽が真実であるかのような仕組みが作られています。
第一に、
「じじぃ」のいうことだから信頼できる言っているようです。
第二に、
「本当は」
と言いながら、真実性の保証をします。
第三には、
「恐ろしいほど残酷な」と形容して、いかにも真実というダメ出しをします。
しかし、言っていることに何の根拠もありません。
というか、1919年に発表されたという事実関係から考えたら、
この曲が発表されたのは、
「軍靴を鳴らしながら敵陣に向かうことによって、日本はまた大きく成長していった」
時代と理解するのは歴史考証学的に成り立ちえない解釈ですよ。
ただ、コメントにあるような
「幼い頃からたたき込まれた教育はバランスのとれた洞察力を持てなくした」
という歴史観(被害妄想)を植え付けるため、
虚偽の事実を
まことしやかに語っています。
よもや、こんな時代考証を無視した説明に騙されまいと思うものの、
説明が巧妙なため
ひっかかる人もいるかもしれない、
それで、老婆心ながら解説させてもらった次第です。
「おててつないで♪」という
物心つき始めた頃に聞いたこの曲は、実は、軍歌だった、
それを気付かせなかったのは、
戦後教育の
洗脳の結果だという
歴史修正主義たちの憲法破棄の
卑しい心根、しっかりと見抜いてください。
さて、では最後に
普通に童謡としてお楽しみください。
童謡 くつがなる (渡辺典子)
〔歌詞〕
(サイト「ウィキペディア」の記事「靴が鳴る」からの転載)
☆ 記事URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/靴が鳴る
お手(てて)つないで 野道を行(ゆ)けば
みんな可愛(かわ)い 小鳥になつて
歌をうたへば 靴が鳴る
晴れたみ空に 靴が鳴る
花をつんでは お頭(つむ)にさせば
みんな可愛(かわ)い うさぎになつて
はねて踊れば 靴が鳴る
晴れたみ空に 靴が鳴る
この曲、マーチとして楽しんでください。
その後、「マーチ→軍歌」という流れにさせないために
「靴が鳴る」
という曲につき、ネット上に
まるで軍歌と誤解させるような解説のあることを
紹介します。
普通に童謡として聞くのは、
その後です。
靴が鳴るマーチ
この曲の歌詞を作詞された清水かつらという人は、
昭和26年7月「酒が飲めなくなったら終りだ」とつぶやいて永眠したそうです
(サイト「清水かつらの生涯」参照)。
☆ 記事URL:http://www.sky.sannet.ne.jp/katura/shougai1.htm
酒飲みだったのでしょうな。
享年53。死に顔は、
子供みたいで清らかな神様のようだったとのことです。
かつらがまだ幼い頃、母親が離縁されたため
母親への思慕の念が
作詞に込められていると言います。
たとえば、
「靴が鳴る」という曲の歌詞は、
遠足の思い出を歌に託したとされていますが、
友だちの手のぬくもりに
幼いころ母と手をつないだ記憶が呼び覚まされていたかもしれませんね。
ただ、この点に関して、
「老兵は黙って去りゆくのみ」というサイトは、
「靴が鳴る」の靴が
軍靴だとして、
「お手(てて)つないで」の件につき
――第一次世界大戦の翌年、勝利に酔いしれているその年こそが、この「靴が鳴る」の発表年だった。
全員でひとつになって、つまり、
♪おてて つないで・・・
軍靴を鳴らしながら敵陣に向かうことによって、日本はまた大きく成長していったのである。――
などという特異な歴史解釈をしており、大変に驚きました。
☆ 記事URL:http://d.hatena.ne.jp/cool-hira/20100828/1282943507
コメント欄には、
「まさに日本を悪者にするだけの平和教育では世界平和のため日本は世界を牽引できないと考えます」
などと書いてあります。
しかし、
それって、難癖ではないでしょうか。
「靴が鳴る」という曲を
日本最初の軍歌だと理解せよということなのでしょうか。
合田道人著『童謡の秘密―知ってるようで知らなかった』という本は、
まことしやかにそう主張しているようです。
すなわち、
清水かつらという天才は、
人々の命を奪った憎き戦争も、勝つことにより国が富み、
思いがけない産物、童謡を生み育てた!
その事実につき、
一種の喜びすら感じていたのだ、と。
つまり、
♪歌をうたへば 靴が鳴る
♪晴れたみ空に 靴が鳴る
の「靴」は革靴で「靴が鳴る」は、
「兵士たちが足並みを揃えながら、"ざっざっざっざっ"と行進し、戦地へ赴く靴の音」
なのだというわけです。
言論の自由があるから、言いたいことを言えばいいとは思います。
しかし、嘘は駄目です。
「じじぃの『靴が鳴る!本当は恐ろしいほど残酷な』」
などというタイトルの下、
巧みに虚偽が真実であるかのような仕組みが作られています。
第一に、
「じじぃ」のいうことだから信頼できる言っているようです。
第二に、
「本当は」
と言いながら、真実性の保証をします。
第三には、
「恐ろしいほど残酷な」と形容して、いかにも真実というダメ出しをします。
しかし、言っていることに何の根拠もありません。
というか、1919年に発表されたという事実関係から考えたら、
この曲が発表されたのは、
「軍靴を鳴らしながら敵陣に向かうことによって、日本はまた大きく成長していった」
時代と理解するのは歴史考証学的に成り立ちえない解釈ですよ。
ただ、コメントにあるような
「幼い頃からたたき込まれた教育はバランスのとれた洞察力を持てなくした」
という歴史観(被害妄想)を植え付けるため、
虚偽の事実を
まことしやかに語っています。
よもや、こんな時代考証を無視した説明に騙されまいと思うものの、
説明が巧妙なため
ひっかかる人もいるかもしれない、
それで、老婆心ながら解説させてもらった次第です。
「おててつないで♪」という
物心つき始めた頃に聞いたこの曲は、実は、軍歌だった、
それを気付かせなかったのは、
戦後教育の
洗脳の結果だという
歴史修正主義たちの憲法破棄の
卑しい心根、しっかりと見抜いてください。
さて、では最後に
普通に童謡としてお楽しみください。
童謡 くつがなる (渡辺典子)
〔歌詞〕
(サイト「ウィキペディア」の記事「靴が鳴る」からの転載)
☆ 記事URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/靴が鳴る
お手(てて)つないで 野道を行(ゆ)けば
みんな可愛(かわ)い 小鳥になつて
歌をうたへば 靴が鳴る
晴れたみ空に 靴が鳴る
花をつんでは お頭(つむ)にさせば
みんな可愛(かわ)い うさぎになつて
はねて踊れば 靴が鳴る
晴れたみ空に 靴が鳴る
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