櫛玉比賣命神社(愛媛県松山市)をフォトギャラリー(山口、本州)に掲載しました
櫛玉比賣命神社(くしだまひめのみこと)
式内社 伊豫國風早郡 櫛玉比賣命神社
旧郷社
【鎮座地】〒799-2422 愛媛県松山市高田704-1 旧伊予国 風早郡
【御祭神】天道姫命(あまじひめ)
(配祀)御炊屋姫命(みかしきやひめ)
【御由緒】
國津比古命神社の主祭神である櫛玉饒速日尊の妃神をお祭りしているのが、向かい側の櫛玉比賣命神社です。社号は『祓座大明神』ともいわれました。寛永年間(約360年前) 官命により、南方の小山の頂より現在の地に移されました。古来、地方豪族の氏神として崇敬され、明治29年に社格が『郷社』になりました。
史跡 境内 前方後円墳
昭和3年 中殿 改築。 昭和60年 社殿改築・境内地拡張補強。ご両社はご夫婦なかよく向かいあってお祭りされ,私どもをやさしく見守っていただいております。これが家族円満,夫婦円満(一願成就)の神社であるといわれる所以です。
(平成祭データより抜粋)
國津比古命神社の社殿から八脚門を出ると正面左手に当社の社号標があります。その左の石段を上ると参道の奥に社殿が見えてきます。
参道から拝殿拝殿
本殿
祭神、天道姫命は大国主命、(大己貴命、おほなむち)の御子
御炊屋姫命は登美夜毘責とも称され、神武東征の折、神武天皇と対峙し「金色の鵄」の放つ光に戦意を喪失敗走したといわれる長髄彦の妹で、宇摩志麻治命の母君にあらせられます。
境内社、素鵞社
本殿右に素戔鳴尊(スサノオノミコト)を祀る素鵞社が鎮座。
和霊神社
参道入口近くに宇和島市に総本山のある海の守護神(祭神)山家清兵衛(やんべせえべえ)の和霊神社があります。
前方後円墳
参道左手には竪穴式石室を有する前方後円墳があり、社殿の位置位が丁度円形部分がにあたると、参道に落ちているどんぐりをひろいに来られた方に絵を描いて説明していただきました。
櫛玉比賣命神社(くしだまひめのみこと)
式内社 伊豫國風早郡 櫛玉比賣命神社
旧郷社
【鎮座地】〒799-2422 愛媛県松山市高田704-1 旧伊予国 風早郡
【御祭神】天道姫命(あまじひめ)
(配祀)御炊屋姫命(みかしきやひめ)
【御由緒】
國津比古命神社の主祭神である櫛玉饒速日尊の妃神をお祭りしているのが、向かい側の櫛玉比賣命神社です。社号は『祓座大明神』ともいわれました。寛永年間(約360年前) 官命により、南方の小山の頂より現在の地に移されました。古来、地方豪族の氏神として崇敬され、明治29年に社格が『郷社』になりました。
史跡 境内 前方後円墳
昭和3年 中殿 改築。 昭和60年 社殿改築・境内地拡張補強。ご両社はご夫婦なかよく向かいあってお祭りされ,私どもをやさしく見守っていただいております。これが家族円満,夫婦円満(一願成就)の神社であるといわれる所以です。
(平成祭データより抜粋)
國津比古命神社の社殿から八脚門を出ると正面左手に当社の社号標があります。その左の石段を上ると参道の奥に社殿が見えてきます。
参道から拝殿拝殿
本殿
祭神、天道姫命は大国主命、(大己貴命、おほなむち)の御子
御炊屋姫命は登美夜毘責とも称され、神武東征の折、神武天皇と対峙し「金色の鵄」の放つ光に戦意を喪失敗走したといわれる長髄彦の妹で、宇摩志麻治命の母君にあらせられます。
境内社、素鵞社
本殿右に素戔鳴尊(スサノオノミコト)を祀る素鵞社が鎮座。
和霊神社
参道入口近くに宇和島市に総本山のある海の守護神(祭神)山家清兵衛(やんべせえべえ)の和霊神社があります。
前方後円墳
参道左手には竪穴式石室を有する前方後円墳があり、社殿の位置位が丁度円形部分がにあたると、参道に落ちているどんぐりをひろいに来られた方に絵を描いて説明していただきました。
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