■震災義援金100億円突破=支援桁外れ、親日ぶり示す-台湾
2011/04/01時事ドットコム配信
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201104/2011040100738
【台北時事】台湾当局のまとめによると、東日本大震災の被災者への義援金が1日までに、官民合わせて計100億円を突破した。米国が赤十字を通じて集めた寄付が3月30日現在で約99億円。人口が約14分の1の台湾が同規模の義援金を集めたことは「桁外れの支援ぶり」(日台関係者)で、台湾人の親日ぶりを端的に示している。
台湾では大震災発生直後から被災者支援の輪が広がり、外交部(外務省)が震災発生当日に1億台湾ドル(約2億8500万円)の義援金を送ると表明。同月17、18の両日にはテレビ局などがチャリティーイベントを開催して寄付を呼び掛け、これまでに約9億台湾ドル(約25億6600万円)を集めた。同部が把握していない寄付も相当程度あるとみられ、実際の金額はさらに多いとみられる。
■台湾から義援金100億円、どう受け止めるか
最も近い民主主義国、日本にラブコール
2011年4月6日配信
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110404/219295/?rt=nocnt
台湾からの義援金が官民合わせて1日までに106億円を突破した。9割以上が民間からだ。時事通信などが、そう伝えている。米国からの義援金は3月30日までで99億円。ちなみに日本赤十字社に集まった義援金総額は716億円以上。台湾の平均月収は13万円前後だ。10倍以上の格差がある社会なので、一概にはいえないが、庶民の暮らしは日本人サラリーマンよりつましい。食品など生活物価も安いので、暮らしは貧しくはないが、そんなに余裕のある社会ではない。
エバーグリーングループの張栄発総裁が日本赤十字に10億円出し、大企業トップの出す義援金の大きさはニュースになっているが、台湾の各地で行われているチャリティー番組やチャリティーイベント、チャリティ・コンサートで集まる一般市民からの募金も大きい。なぜ、台湾人はここまで日本の大震災に心を寄せてくれるのか。この現象を台湾は親日家が多い、台湾人は心が熱い、という言葉だけで納得していいのだろうか。
日本の台湾へ支援表明は早かった
理由としては、台湾人自身も大震災を経験していることが大きいだろう。
1999年9月21日の台湾大地震だ。この日未明に台湾中部をマグニチュード7.6の大地震が襲い、当時、新聞記者だった私は夜が明けるのをまって現地へ取材に飛んだ。それが私にとっての初めての台湾訪問だった。
当時の産経新聞台湾大地震取材班で、阪神・淡路大震災の取材経験があり、中国語を話せる記者は私を含めて2人いた。そのもう1人の記者はスーツケースいっぱいにミネラルウォーターの2リットル・ペットボトルを詰めて持ってきていた。東京から派遣された被災地取材経験のない記者が「あいつ馬鹿か」と言って笑っていた。
私はその重いミネラルウォーターのスーツケースを引きずってきた記者が阪神・淡路大震災当時、阪神支局勤務で、記者であると同時に被災者であることを知っていたから笑えなかった。彼は阪神・淡路大震災なみの台湾大地震の規模を聞いて、同じような惨状を覚悟して来たのだ。震災を経験したものはその苦しみを忘れることはできない。
だから阪神・淡路大震災から4年しか経っていなかった日本の台湾へ支援表明は早かった。その対応の素早さに対する感謝の気持ちは、その後も何度も台湾人の口から聞いた。
初動の指示を的確にできたリーダーの有無
結果的には、台湾大地震での被災地での水や食料の心配は無用だった。被災地では、すぐに被災者自身やボランティアによる炊き出しが行われ、救援物資は都会に近い地域から続々と到着した。
被災地の雰囲気が、私たちが覚悟していたほど悲惨でなかったのは、気候が夏の盛りを過ぎ、比較的過ごしやすい季節であったこと、震源地が台湾中部の南投県集集鎮という農山村地域で、もともと大都市のようなインフラに頼り切った生活をしていなかったため、被災者自身に過酷な環境での生活力があったことなどの要因もあるだろう。
極寒の季節、都市を襲った阪神・淡路大震災や、高齢者の多い東北の海岸沿いに津波が押し寄せた東日本大震災とは比較できない。ただ、あえて阪神・淡路大震災、東日本大震災と比較するとしたら、初動の指示を的確にできたリーダーの有無の差はあっただろう。
「台湾大地震救済日記」(PHP出版)にまとめられてあるが、台湾大震災当時の総統・李登輝氏は地震発生1時間後に10万の軍の出動を命じ、翌早朝には自らヘリに乗り込んで被災地に入り、現地の自治体の首長に自由に使える相当額の現金を渡して、いかように使っても自分が責任を取ると言明した。
人それぞれいろんなリーダー像がありますが、最後に責任を持ってくれる上司がいると安心して仕事に取り組めますよね。
■2011/03/16/台湾は日本の生命線!配信
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1451.html
台湾が九九年、九・二一大地震に見舞われた際、中国は各国に対し、「義捐金は中国を通せ」と要求し、あるいはロシア救援隊の領空通過を拒否するなど、さまざまな妨害を行ったが、それと対照的に日本は、救援隊を真っ先に派遣し、被災地で懸命の作業に当たった。これによって台湾では、中国を「同胞」とする国共両党の虚構宣伝はすっ飛び、逆に日本が信頼し、頼りになる国だと認識されたのだった。
当時日本隊の隊長を務めた人から直接聞いた話だが、任務を終えて帰国の飛行機に乗り込もうと隊員たちが空港ロビーに入ったときのこと。これを見た群衆は一瞬静まり返ったそうだ。ところがそこへ誰かが「ヒーロー」と叫んだ。すると広大なロビー全体が感謝の拍手に包まれたという。
〇九年、台風八号で大被害を被った時、国民党政権は各国の支援や救援隊派遣を当初断った。それは過剰な対中宥和政策をとる同政権の中国への配慮だったとされる。中国は自国より先に日米などが救援に乗り出すことを恐れていたのは確かである。あの国にとって台湾人の親日米・反中感情は「中国統一」(台湾併呑)の最大障害だからだ。
さて日本で三月十一日午後、東日本大地震が発生した。台湾政府はそれから一時間も経たないうちに日本政府に対し、義捐金、医療物資の提供、そして救援隊、医療隊の派遣を申し出た。
ところが救援隊の派遣に関して日本側は、最初は受け入れると回答したものの、その後「被災地は極めて混乱しており、詳細な検討後、改めて通知する」と「婉曲に断ってきた」(台湾外交部プレスリリース)という。
ただ十二日にディーゼル発電機やストーブなどそれぞれ五百台以上、防寒服など千人分、ビスケットなどの食品は緊急救援物資として正式に要請している。
「モノ」なら受け取ってやるということか。だが日本政府は台湾以外の国の「ヒト」(救援隊)は受け入れているのである。
つまり日本政府は「1972年に台湾と断交、『台湾は中国の一部』とする中国の立場に配慮しており、台湾隊受け入れをためらったとみられる」(朝日新聞)。台湾側も「『中国要因でしょう』(外交関係者)と受け止めている」(同)そうだ。
それにしても、確かに政府は台湾の大統領、首相、外相、国防相の来日は拒否する方針だが、救援隊を、しかもこの緊急時のなかで拒否するというのは尋常ではなく、おそらく中国から大きな圧力が加えられたのではないだろうか。
王式的なあの国は日本国民が台湾に親しみを抱くことを恐れている。なぜなら良好で強い日台関係もまた「中国統一」の大障害だからだ。
ところで政府は国民の生命より中国の方が大切なのだろうか。こうした常識外れの行為に出るのは、親中勢力の一大特徴でもある。
さて中国の救援隊が日本入りした十三日の夜になり、政府は一転して台湾隊の受け入れを決定した。
この不自然さはいったい何のためなのか。台湾より先に中国に花を持たせるため、台湾の受け入れ表明をわざわざ遅らせたのだろうか。それとも中国の側から「台湾隊も入れていい」との許しが出たからだろうか。
だがこれほどの非礼を受けながらも台湾隊二十八名は、十四日朝に台北を飛び立ち、東京へ。そして十五日午前三時に被災地仙台へ到着。韓国、フランス、ロシアのチームと合流した。
台湾では現在、大勢の人々が日本の災害状況を、まるで我が事であるかのように見守っており、「日本を助けよう」との声が澎湃と起こっている。「九・二一大地震では日本に助けられたから」と、当時の被災者たちが救援募金を開始したとの報道もある。
このような国から、そしてこのような国の人々の思いを担い、日本人の生命を守るために今、あの危険極まりない被災地に入っているのが台湾の救援隊なのである。
この兄弟国の勇者たちを歓迎し、感謝するため、私は「万歳」を叫びたい気持ちだ。
日本政府の台湾に対する傲慢な忘恩、背信行為は今後二度と許されてはならない!
■被災地で台湾救援隊に「帰れ!」と毒突いた中国救援隊
2011/04/04台湾は日本の生命線!配信
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1470.html
東日本大震災発生から三日目の三月十四日に成田空港に着いた台湾の救援隊は、十五日払暁に仙台市に入り、十六日から宮城・岩沼市で捜索活動を展開して、十九日に帰国した。
まさに日本にとってはありがたい恩人であるが、ここで日本国民が知っておかなくてはならないのは、この恩人が「台湾から来た」というだけの理由で、不条理な仕打ちを受けなければならなかったことだ。
捜索任務に当たった台湾救援隊は日本にとっては恩人
なのだが…
李登輝元総統が四月三日、救援隊メンバーを食事に招いた際に明らかにしたところによると、台湾隊は十六日夜に行われた各国隊との会合の場で、中国隊から制服に付けていた台湾国旗を指さされ、「これは(中国の)台湾地区の標識だ」と侮辱された。
さらに中国隊は台湾隊がやってきたと聞いただけで、「帰れ!ここに来る必要はない」と罵ったのだという。
反日感情で知られる中国人だが、それを上回るともされる反台感情を目の当たりにする思いだ。これが中国との「統一」に応じようとしない台湾人への憎悪というものなのだ。しかし台湾人からすれば迷惑至極の話だろう。なぜなら「統一」に応じなければならない理由など、台湾側にはまったくないからである。
岩手・大船渡市で作業に当たった中国隊は、捜索に出かけたと思ったらすぐに引き上げてくるなど、現地では「何しに来たのか」と訝しがられたと聞くが、本当に「あなたたちは日本にいったい何しに来たのか」と問いたい。
台湾隊に対する不条理な仕打ちはまだある。
李登輝氏によると、「交流協会(日本の対台湾窓口)は最初の段階で台湾の救援隊に対し、日本側はまだ外国の救援隊を受け入れる準備が整っていないと告げた」という。
つまり台湾政府は震災発生から一時間以内に救援隊の派遣を日本側に申し出たのだが、日本政府からは「暫く待て」と言われ、十三日午後に中国隊が日本入りを果たしたのちの同日夜になり、初めて台湾隊の受け入れを決めたことを指して言っているのだ。
李登輝氏はこう語る。
「外来救援を必要とする日本に救援隊が向かおうとしているのに、政治処理に遭った。つまり中国が原因だ。台湾の救援隊の参与が直ちに許されることはなかった」
「もし日本の被災者がこれを知ったなら、どう思うだろう。政治やイデオロギーで人道救援の判断がなされてはならない。苦しめるのは被災者なのだ」
被災地が大変な状況であるときに、もし台湾隊が中国隊よりも先に現地に駆けつけ、「台湾」の存在アピールをされたくないなどの理由で、中国が日本側に圧力をかけたというのなら、そのようなことは断じて許されるものではない。
また同時に日本がその圧力に屈し、あるいは圧力を予想して自己規制を行ったというなら、これもまたそれとまったく同罪ではないか。
李登輝氏の話は続く。救援隊の日本への出動を妨げたものがもう一つあるというのだ。それは台湾政府自身であるらしい。
「三月十一日、救援隊は外交部(外務省)国際事務委員会に日本への出動を申請したが、『暫く待機』との通知を受けた。十二日に中華航空のチケットを手配しようとしたが、同社からは外交部は不同意との理由で発給しなかった」
「救援は早ければ早いほうがいいので、私と救援隊は焦った。救援隊は台湾で待つより東京で待った方がいいと考え、長栄航空に掛け合った。同社は無料搭乗に同意した」
本当に台湾政府は救援隊の妨害をしたのだろうか。食事会が終わり、マスコミが救援隊の呂正宗隊長にそれを聞くと、「私からは言えない」と答えている。
それは「救援隊が日本に入った後、政府は『日本が台湾の救援を受け容れた』と言い出した」ことを仄めかすものだった、と中央通信は伝えている。
台湾の救援隊に「暫く待て」と最初に言ったのは日本側だが、台湾政府はそれを受け「暫く待て」と命じたのだろうが、やはり中国への配慮で、救援隊派遣に消極的になったということか。
「震災日本を救え」が合言葉になっている台湾の人々と、それに励まされ、感謝する日本の人々。だがその一方で台湾の「友情」の象徴といえるこの救援隊に「帰れ」と罵ったのが中国救援隊だ。そして「来るな」と言ったのが日本政府で、「行くな」と言ったのが台湾政府。もちろんその背景には台湾を併呑し、東アジアに覇権を打ちたてようと目論む中共の影響があるのである。
誰が味方で誰が敵か。日台両国民は今回の一件を通じ、それをはっきりと見定めるべきだろう。
震災当初からの台湾の日本への支援についてはただただ感謝。
日本政府の海外からの支援受け入れについての対応のまずさは当初からたびたび指摘されていますが、いったい何をしたいのやら?
政府の政治的配慮やわけのわからない理屈で被災者が苦しめられることがあってはならないと思います。
ところで外務大臣って誰でしたっけ?印象無さ過ぎ…仕事してるんでしょうか?