レオままの気まぐれ猫日記

花とにゃんこが大好きなレオままのつぶやき、ぼやき・・・ 「我が家の猫事情」

おとうと

2011-10-15 22:08:05 | 日記
先日あった法事、実は弟の25回忌でした

命日は10月9日 享年19歳

6つ下の弟、子供の頃は4つ下の妹より可愛いくてしょうがなかった

年が離れてるから? 男の子だから? 

私とは馬が合ったのか、大きくなっても喧嘩をすることがなかった。



その弟は3歳ぐらいから喘息に苦しめられていた

夜中から明け方にかけての発作、背中をさする母を始め

家族みんなが眠れない夜を過ごすことも多かった。

横になって寝るのが苦しくて、いつも布団の上に座り込み

立てらせた枕に前屈みになっておでこをつけて、仮眠状態

傍らにはお茶と洗面器・・・

これを見ると、あぁ今朝も発作が起きたんだとわかった

小児喘息は大きくなったら治ると聞いていたけど、小学校に上がっても治らなかった。

いい病院があると聞いて、毎月島根の方の病院に通っていたこともあったし

5年生の時には、親元を離れて病院併設の療養学校に1年入っていたことも。

よくコロコロコミックを持って母とお見舞いに行ったなぁ

だけど、帰り際がいつも辛かった。小学生の弟はもっと辛かっただろうに



弟が中学生の頃は私も社会人となり弟との接点もほとんどなくなっていたが

彼の喘息との戦いはずっと続いていて、強い薬の吸入器が手放せなかったようだ。

大人になって体力もついてきたし、喘息とも上手く付き合っていけるんじゃないかと

甘い期待を抱いていた私、家族との生活よりも外との繋がりを優先していたっけ

恒例の家族旅行もいつしか参加しなくなっていた


弟が高校生の時、私が結婚した。

平日に決行した結婚式にどうしても出たいと学校を休み、長渕剛の「乾杯」を歌ってくれた。

初めて聴いた弟の歌だった。

それから私も長渕剛が好きになったんだよな~

赤川次郎の三毛猫ホームズのシリーズが好きになったのも、実は弟の影響

さすがにガンダムは好きになれんかったけど・・・


高校時代のバイトはビヤガーデンにステーキハウス、そしてパーラー不二屋

食に興味があったんだね。こっそりバイト先にパフェを食べに行ったら

密かに特盛りをごちそうしてくれた、美味しかったぞぉ

将来はパティシェを目指していたらしいと、友達から聞いた。

結構やんちゃもしていたようで、裁判所への呼び出しも・・・

まじめな両親には思いも寄らない経験だったろう






私が結婚して、弟は旦那を兄のように慕ってくれた。

私たちの暮らすアパートにもしょっちゅう遊びに来てくれた。

そういえば、内緒でパチンコにもよく一緒に行ったなぁ

姉2人の末っ子に兄貴の存在は魅力的だったようだ。

旦那のバイク好きにつられ、バイクの免許も取り、ついにはバイト代でバイクも購入

練習を兼ねて、よくツーリングにも行ったよね

そして、これも校則違反だったのに、知らぬ間に車の免許も取っていた。




命のタイムリミットを知っていた彼には、あれもこれも・・・

やりたいことが山ほどあって・・・ 今思えば、生き急いでいたんだと思う




昭和62年9月30日

この日、朝から弟と旦那と私と、3人で金甲山へバイクでツーリング

夜には3人で焼き肉を食べに行った。

だけど、焼き肉を食べてた頃、私と旦那は夫婦喧嘩中

きっと私はふてくされた顔をしてたに違いない

今更後悔しても仕方ないけど、悪いことしたなぁ

まさか、この日が弟の元気な最後の姿だと思ってなかったんだもん





翌朝未明、父からの電話で弟の危篤を知ることとなった

喘息の発作・・・

病院に駆けつけた時、彼は静かにベッドに横たわっていた。

その後苦しむこともない代わりに、目を覚ますこともなかった1週間あまり

私たち家族に心の準備をさせてくれたのかもしれない



仕事の昼休みに病院にお見舞いに行くのが日課となっていた私

いつか目を覚ますんじゃないかと一生懸命話しかけていた

その一方で、丈夫に産んでやれなかったと悔やみ、打ちひしがれ

食事も咽を通らないほど、自分を責めてどんどん小さくなっていく母

このままじゃ、両親が駄目になっちゃうんじゃないかと思い始めていた頃





10月9日 その日病室に家族が揃った時、彼は静かに天国に旅立って行った。

最後に駆け込んだ私を待ってくれてたかのように・・・

もう、よくがんばったよ、やっと苦しみから解放されるんだよ

一筋の涙が彼のほほを伝ったとき、誰も、頑張れとは言わなかった




お通夜の時、友達から聞いた話に涙があふれた

「こんど発作が来たら、駄目かもしれない・・・」 最近よく口にしていたって

弟にはわかってたんだね。ずっと、ずっと発作の恐怖に怯えてたんだね。

だから、今しかできないことをたくさん、たくさん急いで経験したんだね





まだまだこれから・・・

大人になってからの付き合いを楽しみにしていたのに

命日よりも弟の誕生日がくるたびに、その歳の弟を想像してみる

もう叶わないけど、どんなお嫁さんをもらったかなぁ~

どんな人を選ぶのか、見てみたかったよ








3人兄弟の長女の私、1番に生まれた私が健康なのは、母さんの栄養を独り占めしたんじゃないかと

時々申し訳なく思うよ。


丈夫で健康な私、あんたの分まで長生きしてあげる





弟よ

神でもないのに、いつもいっぱい神頼みばかりしてごめん

あんたの代わりに今は私の旦那がしっかり父の息子になってるよ

あんたが生きてたら、今の実の親子のような関係は考えられない








実家から持ち帰ったCDラジカセで、久々に松山千春を聴いた



松山千春 / 大空と大地の中で「歌詞付」



「生きることが辛いとか悲しいだとか言う前に、野に育つ花なら力の限り生きてやれ」




少々嫌なことがあっても、へこたれそうになっても、私、がんばれるよ



なんだか弟に言われてるような気分












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30 コメント

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Unknown (erizabusu)
2011-10-15 23:03:14
涙が溢れてきます・・・
レオままさん、お辛い過去があったんですね。
私は3人兄弟の真ん中で、弟がいます。
姉と弟は仲良しです。
きっとそんな関係だったんでしょうね。

喘息・・・実は数年前に、近所の男の子が亡くなっています。東京で一人暮らしをしてる時に喘息を起こし、一人で亡くなっていたという話でした。
そんなにも恐ろしい病気なんだとその時、初めて知りました。
私の知り合いの子供が喘息持ちの子がいます。
治す方法ってやっぱり未だにないんでしょうね・・・




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Unknown (Unknown)
2011-10-16 00:29:19
涙で最後までたどり着くの大変だった。。。
私は小児ぜんそくで、幼稚園が終わるといつも病院へ行って注射。
注射が嫌でいつも泣いていました。
私は幸い小学校に上がることにはよくなったようですが、喘息って怖いんですね。

62年9月30日・・・私の23歳の誕生日です。(なんか複雑だなぁ)
生き急いでいたのか?
病気で苦しみながらも、お兄さんができ、バイクの免許を取り、一緒にツーリングもでき!楽しく幸せな時間も過ごしたことと思います。
若くして亡くなったのはとっても悲しいし、まだまだやりたいこともたくさんあったのだろうと思うと残念ですが、今頃レオままさんご家族を天国から温かく守ってることだと思います。
愛する者の魂は、常に寄り添うと言います。
レオままさんの神頼みもきっと優しい弟さんのことだ、「うんうん」と聞いてくれてますよ。
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追記 (にゃんたま)
2011-10-16 00:29:52
↑すみません・・・あたくしザマス(;一_一)
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Unknown (Yopparai@mar)
2011-10-16 00:51:05
優しいレオままさんの性格を形成した、
想いで深い1コマを感じました。
「心から、ありがとう」そんな言葉が
頭をよぎりました。
多少嫌なことがあっても、精一杯生きないと!
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Unknown (ほんなあほな)
2011-10-16 00:52:31
弟様、今頃は、「ねーちゃん、またそんなにお願い事しちゃってww」って、
笑顔で思ってるかな??
いっぱいあるやりたい事に、全力で挑戦して、
きっと、精一杯目一杯、充実して、楽しまれたんでしょうね。

私の従兄弟も、数十年前になりますが、喘息で、大学生の若さで、旅立ちました。
数日前まで、元気な笑顔だっただけに、
悲しいというより、その事を、受け入れられなかった頃の事を、思い出しました。

今、こうして、元気に生きてる事に、ただただ、感謝します。
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Unknown (イノッチ)
2011-10-16 07:35:44
いい話ですねえ
がんばって練習に行けそうです
(本日朝9:00スタジオ集合なので)
こういう話を聞くと人の分も
がんばらねばと思うのですが
1日だけしかモチベーションが続きません(笑)
話は変わりますが、24歳の時に先輩の結婚式で
長渕の乾杯のリクエストがあり弾き語りしました。が・・・・。出席者みんなが泣き出して
大騒ぎになり従業員まで全員集合で大変なことに・・・・。それ以来結婚式では歌いません(笑)もひとつ、おととし、某会社の忘年会
で演奏して欲しいとBeansにオファーがあり
大空と大地の中で←オファー前に必ずやること
と指示があった(その会長さんの持ち歌らしい)意外と好評でした松山千春(笑)
ちなみにギャラは3万円でしたあ
返信する
Unknown (☆ママ)
2011-10-16 10:38:43
胸がつまり、泣けました。
弟さんを亡くされたレオままさんのお気持ちは
計り知れない深い悲しみだと思います。
25年の歳月が、少しは癒してくれましたか?
これからも弟さんの分まで、元気に楽しく旦那様とレオ君、クロ君と過ごして行って下さい。
きっと、弟さんも「レオままの気まぐれ猫日記」
笑いながら読んでくれてますよ。 
ねっ!!
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Unknown (もちゅみ)
2011-10-16 17:28:02
レオままさんがしっかり生きてることも
弟さんの思い出を話すことも(ブログの記事)
弟さんの生きた証ですね
喘息でだったんですねぇ。。。
うちのほうは小児喘息ってちょっとだけ
多いような?
(川崎の工業地帯も近いから、昔は公害もあった)
小学生の同級生でも居ました
友達の娘さんもだし
でも命を落とすものとは知らなかった
弟さんが亡くなられた悲しみってきっと
一生れおままさんの中にあるのかな~と
思うのだけど
今はきっと体の一部になってるのかな
それもきっと弟さんがレオままさんの中で
生きてるということ
そして、見守ってくれてると思います
(なんだか全然うまくまとまりませんでした、
すみません)
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Unknown (くりす)
2011-10-16 20:08:52
やっと読めました
昨日読んでたんだけど、途中で涙が出てきて読めなくて
今朝も読んだけどやっぱり最後まで読めなくて
いまやっと読むことが出来ました・・・

きっとね
弟さんはレオままさんご家族をすぐそばで
ずっとずっと見守ってくれてるはず。
レオままさんの弟さんに対する気持ち、絶対わかってくれてたと思うから。
こうして弟さんの思い出を文章に残すことや
みんなに伝えることとか
心のどこかで思い出してることとか
弟さん、きっと喜んでくれてると思います。
レオままさんのすぐそばで、レオままさんと一緒に
笑ったり泣いたり怒ったりしてるんじゃないかな。
返信する
Unknown (ねこちゃん)
2011-10-16 21:03:39
こんばんは
レオままさんに弟さんがいたんですね
我が家の息子も中学校まで喘息があって
発作時に内服を服用して収まる状態でした
以後高校を卒業する前に本人は言いません
でしたが、発作が起きてる息遣いに病院を
受診させ点滴をして帰宅しました。
喘息は大人になるほど怖い病気で治癒しに
くいと言われてますが、息子の場合治まっ
たようです。
苦しんでる姿を見ているのは辛かったでし
ょうね?!
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erizabusu様 (レオまま)
2011-10-16 21:14:19
重い記事にコメントくださってありがとうございます。
妹とは大人になってこそ仲良くなりましたが
子供の頃はよく喧嘩してましたね
弟とは不思議仲が良かった。
喘息って本当にやっかいな病気だと思います
医学の進歩で随分病状をコントロールできるようになったらしいけど
大人になるまで引きずったら、完治は難しいのでしょうね
弟の死は辛かったけど、なぜか忘れたくないという思いもあって・・・
なんだか自分を納得させるために書いたような記事ですけど
読んでくださってありがとう
返信する
にゃんたま様 (レオまま)
2011-10-16 21:27:26
そう・・・ 小児喘息だったんだ 
発作、苦しかったね
きっと見てるお母さんも苦しかっただろうね
でも、治って良かった。
本当に青春まっただ中で亡くなったのは可哀想だったけど
やりたいことは全部やりきったかのような人生だったと思えます
家を出たいという気持で結婚した私
弟の死がなかったら、両親に感謝する気持ちも
実家に頻繁に足を運ぶこともなかったかもしれない
弟の死は私たち家族の絆を確実に深めてくれたと感謝の気持ちさえあります。
あれから確かに私の心の持ち方に変化がありました
信心深くない私だけど、困った時はいつも
じいちゃん、ばあちゃん、弟、歴代猫達に助けを求めるのよねぇ
だけど、やっぱり見守ってくれてるんだなと実感
誰にも話すことなく、心にくすぶってた思い
ここに書き尽くせた訳じゃないけど、少しだけ
心が晴れやかになりました。
こんな重い記事に、優しいコメントをありがとう
返信する
yopparai@mar様 (レオまま)
2011-10-16 21:34:49
弟の死は辛く悲しい出来事に違いないけれど
私の旦那も弟も含めて、家族の絆を深めてくれたと思っています。
心優しかった弟、彼に恥じない生き方をしないとなぁ
へこたれそうになった時、こんなことじゃ駄目じゃんと
天国から私に勇気を元気を届けてくれているようです。
重い記事になってしまったけど、書き留めることで
少しだけ心が晴れやかになりました。
コメントくださってありがとう
返信する
ほんなあほな様 (レオまま)
2011-10-16 21:52:40
多分、おっさんになった弟、
「なんでもかんでも頼むな~」と苦笑いしてるでしょうね(笑)
本当に疲れたとかダルイとも言わず、やりたいことをやりつくした人生だっと思えます。
それが、救いかな~
それに比べて、こんなにちんたらしてていいのかと思うくらい
のんびりやの私なんですが、今の私が幸せだと感じることが彼の供養になるかなと解釈してます^^
ほんなさんの従兄弟さんも喘息で亡くなったんですね
私も、あの9日間がなかったら、現実を受け入れられなかったかも
生き抜くことは大変だけど、生きられることに感謝しないと・・・
弟に身をもって教えられましたね
ほんなさんもお父様が亡くなったばかりで
お辛い時に、あたたかいコメントありがとうございます。
返信する
イノッチ様 (レオまま)
2011-10-16 22:03:31
朝からこんな重い記事で申し訳なかったですね^^
いやいや、私だってモチベーション、持ちません(笑)
凹んだとき、くたばりそうなときに彼のことを思い出すと頑張れる気がするのです
あはは、あの歌はいけませんなぁ(笑)
あれから出席した結婚式であの歌を歌われると
別の意味でいつも大泣きになってしまう
イノッチさんの「乾杯」は絶大な威力がありそうで
聴きたいけど、聴けない(笑)
千春も駄目だ、今は聴けない(目が腫れる)
忘年会で歌ってギャラが取れるなんて、やっぱりプロだね~
返信する
☆ママ様 (レオまま)
2011-10-16 22:13:32
こんな重い記事になってしまったけど
弟の生きた18年間を越えた時から気持は随分変わりました。
悲しみを越えて、共に生きてる感じかな~
おっ、今年は厄年じゃんって思ったり・・・ね
きっといつもそばで見守ってくれてるんだろうなと思えます。
私って今まで人間関係で悩まされたことってないんですよ
会社でもプライベートでも、そしてコメント下さるブロ友さんも
みんないい人ばかりに囲まれてて・・・
本当にありがたいことです。
返信する
もちゅみ様 (レオまま)
2011-10-16 22:24:41
とっても重い記事に暖かいメッセージをありがとう
うまくまとまらないって・・・
もちゅみさんの気持、わかりますよ
私も、うまく書き尽くせてないと思う
こんな思い、誰に話すってこともなく
今の時期になると、なんか心の中でもやもやとしてくるんです
弟のこと、悲しい事に違いないんだけど
なんか、忘れたくないことでもあって
そう・・・ いつも実年齢の弟を想像してしまうんですよ
彼の生き様は私の大きな励みにもなっていて
死んでもなお、家族の絆を深めてくれたことに
本当に感謝しなきゃと思っています。
そっか、工業地帯が近いと、喘息持ちの子も多いでしょうね
たかが喘息と、侮れない病気なんですよねぇ
返信する
くりす様 (レオまま)
2011-10-16 22:35:09
重い記事になってしまってごめんなさいね
暖かいコメントありがとうございます
本当に、嬉しい。

そうなんです、家族の誰もが弟のことを身近に感じてて
普段の会話の中にもしょっちゅう登場するんです。
両親がそうやって普通に話せるようになったことがとてもうれしいんです
遺影は18歳の少年なんだけど、家族の中では
42歳のおっさんとして生きてるんですよね(笑)
私がいっぱいお願いごとをするけど、なんだかんだと叶えてくれてる気もします^^
ここにコメントくださるブロ友さんも本当にいい方ばかりで
人との出逢いでさえも、見守ってもらってるように感じます
返信する
ねこちゃん様 (レオまま)
2011-10-16 22:48:26
そうですか、息子さんが・・・
高校で治まってよかったですね
代われるものなら、代わってやりたいと母がいつも言ってました。
発作の時、ねこちゃんさんも辛い思いをされてきたんですね。
今は随分と薬も良い物が出てきてるのでしょうが
昔は、吸入器の薬も心臓に負担がかかるからと1日に2回か3回とか制限されてました。
それでも、苦しいから隠れて本人は使ってましたね
だんだん薬が効かなくなるのも可哀想でした。
記事をアップしたあとで、この記事
なんだかなぁ・・・と思ってしまったのですが
ちょっとだけ、心のもやもやが晴れました。
みなさんのメッセージもとてもあたたかくて・・・
コメントくださってありがとうございました。
返信する
Unknown (アメネコ)
2011-10-17 00:05:27
アメネコです 
ハロルドシャープさんの本に
『肉体は生命の入れ物』
という事が書いてありました。
魂が体を離れた時、
この世界の苦しみやイヤな事が
すべて無い 
今よりも もっと
素晴らしい世界に行けるのだと。

そして そこには悲しみは無いのだと
僕は信じてます。
返信する
仲の良い姉弟だったんですね。 (麗麗)
2011-10-17 00:59:12
素晴らしいお話を聞かせて頂きました。
きっと天国でレオままさんを見守って下さってますよ。
私は上に兄、姉が居ますが4歳下の東京に居る弟と一番仲が良くて2年に弟と栃木迄1泊旅行に行きました。
又私の田舎に偶に遊びに来てくれます。
弟さんとの思い出を何時までも大切にされてて素晴らしいですね。泣けて来ました。
私も4年前に天国に旅立った母との思い出は何時までも大切にしたいと思って居ます。
返信する
Unknown (もちゅみ)
2011-10-17 17:48:38
先に応援していきます
返信もありがとう~

返信不要です
返信する
Unknown (Michael)
2011-10-17 19:06:13
久しぶりに伺いました。
皆さんがコメントされているように弟さんが生きていた証に色々な事を記憶していて差し上げるのがご供養になると共に、
辛いお気持ちのお母様にとってお腹を痛めて生んだ子供同士の絆を感じるのだと思います。

順番から言えば親が先に亡くなりますから、亡くした息子の証を覚えていてくれる事ほど嬉しい事はないでしょう。

私も2才違いの弟がいますが特に仲良しでもなかったし、今は遠くに離れていて各々家族もいるので二人でゆっくり思い出話をする事もありません。

でも、幼い頃に分かち合った二人だけの思い出もあったりして、そんな秘密のような思い出を母親に教えると新しい発見をしたように嬉しそうにしていますよ。
これからもお母様にいっぱい話して差し上げて下さいね



驚いたのは
レオママさんと年齢が近かった事でした(笑)

返信する
アメネコ様 (レオまま)
2011-10-17 20:05:08
コメントありがとうございます
動物も人間も、病気で苦しんだ子はみんな
痛みや苦しみの無い世界で生き生きと過ごしていると
私も思えるようになりました。
今でも弟のことを思うと、涙がこぼれることはあるのですが
確かに、亡くなった時の悲しみとは別物
自然と溢れる感謝の涙のような感じ・・・
しっかりと生き抜いたあとに訪れる死は
辛く悲しいものではないような気がします。
返信する
麗麗様 (レオまま)
2011-10-17 20:16:07
麗麗さんにも仲のいい弟さんがいるんですね
子供の頃に仲がよくても、大人になって関係がこじれる方がいる中
今でも、旅行に行けるほどのお付き合いができるなんて
羨ましいですね。
亡くなったお母様も、兄弟がずっと仲良くいてくれることを
とっても喜んでくださってると思います。
弟は生きてる時も、亡くなってからも
本当に家族の絆を深めてくれたんだと・・・
彼の存在の意味は大きかったですね

コメントくださってありがとう
とても嬉しかったです
返信する
Michael様 (レオまま)
2011-10-17 20:36:43
いつもの私らしくない重たい記事にもかかわらず
コメントくださって、ありがとうございます。
弟の思い出、忘れるどころか、無理しても思い出したいくらい。
家族の誰もが常に身近に弟を感じてるのは本当に嬉しいです。
Michaelさんの弟さんは遠くに住まれてるんですね
私は幸いなことに実家も妹も頻繁に行き来できる距離にいるので
今思うと、ありがたいことだなぁと思います。
親を失うのも辛いことですが、子供を見送る親の気持ちは測り知れません。
順番通り親を見送ってあげることも親孝行なんですね。
母の前で避けていた弟の話題も、いつしか母も加わって盛り上がるようになりました。
これも幸せなことです。

あらら、お年がばれました?(笑)
返信する
数日ぶりに... (一徹ママ)
2011-10-17 20:50:53
訪れてみたら... 何んと...
号泣しました。
切なくて、胸が痛みました。

19歳なんてまさにこれから。
弟さんご本人は、本当に無念だったでしょう。
そしてご両親、お母様は自責の念に苦しまれたでしょうね。
そうなってしまうのも分かるような気がします。

死と隣り合わせに生きる...
健康に恵まれた我々には想像もつかないことですが、弟さんは凄いです。
そしてご家族の方々も強いです。

レオままさんとご家族の今が有るのは、見守ってくれてるから??ってつい、思ってしまいますね。

実は先日、恥ずかしくて自身のblogには書かなかったのですが、新築の件で母とちょっとした喧嘩になったのです。
年明けには80歳になる老い先短いであろう母の言い分に、本気で腹を立ててしまって...。
高松に帰って1人になって、頭を冷やして考えてみると反省&後悔...。
両親を大切にしたいから実家に帰って開業する... なのに、これじゃぁ本末転倒。
いなくなったら今より深く後悔するのが分かってるのにね。

家族が、大切な人がいなくなってしまう時...
今一度、考える機会になりました。
レオまま、切ない胸の内を吐露してくれてありがとう。
返信する
一徹ママ様 (レオまま)
2011-10-17 23:06:30
そうですね、確かにまだまだやりたいことはあったと思うけど
彼なりにその時できるすべてのことをやりきったかのような人生に感じられました。
不慮の事故と違って、苦しい病気との闘いの中でも
彼なりに充実した19年間だったと私は思ってる。
だけど、親はねぇ・・・
両親を見るのが辛かった

ご先祖様や弟に見守られてる実感、あります。
どんな些細なことでも幸せを感じられる人間に
近づいてきたような気がします。
本当にありがたいこと・・・
いろんなことに気づかせてくれた弟には感謝の気持ちでいっぱいです。

親子喧嘩?
確かに身近にいればいるほど、ぶつかることもあるよねぇ
そっか・・・ いろいろと思いをめぐらす機会になったんだ
確かに、心が折れそうになったとき・・・
迷いが生じた時、何かにすがりたくなった時・・・
道を間違えそうになった時・・・
なんだか良い方向に導いてくれるような気がするね
「ありがとう」だなんて・・・
こちらこそ、「ありがとう」の気持でいっぱいよ
返信する
Unknown (Ami)
2011-10-18 17:13:35
あれ、コメしたと思ったけど…
出来てなかったみたい

もう、泣いてしまった…(鼻水まで…)

私の父も喘息。
私が小学生のころ父が仕事中に喘息起こして、早めに帰ってきたことがあったな…
そのとき、父が喘息を起こしたのを初めて見て、こわかったの覚えてるな…
返信する
Ami様 (レオまま)
2011-10-19 12:47:37
泣かしちゃったねぇ、ごめん
お父さんが喘息・・・
大人になってからの発作はさらに苦しいと聞きます。
小学生のAmiちゃんが目にした光景、ほんとに怖かったと思う。
私も発作の時は、死んじゃうんじゃないかって不安になってた。
弟もそうだったけど、痛み、苦しみを知ってるからこそ優しい子だった。
きっとAmiちゃんのお父さんも優しい人なんだろうなぁ
Amiちゃんち、いつも家族仲がいいなぁと思う

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