レオままの気まぐれ猫日記

花とにゃんこが大好きなレオままのつぶやき、ぼやき・・・ 「我が家の猫事情」

おとうと

2011-10-15 22:08:05 | 日記
先日あった法事、実は弟の25回忌でした

命日は10月9日 享年19歳

6つ下の弟、子供の頃は4つ下の妹より可愛いくてしょうがなかった

年が離れてるから? 男の子だから? 

私とは馬が合ったのか、大きくなっても喧嘩をすることがなかった。



その弟は3歳ぐらいから喘息に苦しめられていた

夜中から明け方にかけての発作、背中をさする母を始め

家族みんなが眠れない夜を過ごすことも多かった。

横になって寝るのが苦しくて、いつも布団の上に座り込み

立てらせた枕に前屈みになっておでこをつけて、仮眠状態

傍らにはお茶と洗面器・・・

これを見ると、あぁ今朝も発作が起きたんだとわかった

小児喘息は大きくなったら治ると聞いていたけど、小学校に上がっても治らなかった。

いい病院があると聞いて、毎月島根の方の病院に通っていたこともあったし

5年生の時には、親元を離れて病院併設の療養学校に1年入っていたことも。

よくコロコロコミックを持って母とお見舞いに行ったなぁ

だけど、帰り際がいつも辛かった。小学生の弟はもっと辛かっただろうに



弟が中学生の頃は私も社会人となり弟との接点もほとんどなくなっていたが

彼の喘息との戦いはずっと続いていて、強い薬の吸入器が手放せなかったようだ。

大人になって体力もついてきたし、喘息とも上手く付き合っていけるんじゃないかと

甘い期待を抱いていた私、家族との生活よりも外との繋がりを優先していたっけ

恒例の家族旅行もいつしか参加しなくなっていた


弟が高校生の時、私が結婚した。

平日に決行した結婚式にどうしても出たいと学校を休み、長渕剛の「乾杯」を歌ってくれた。

初めて聴いた弟の歌だった。

それから私も長渕剛が好きになったんだよな~

赤川次郎の三毛猫ホームズのシリーズが好きになったのも、実は弟の影響

さすがにガンダムは好きになれんかったけど・・・


高校時代のバイトはビヤガーデンにステーキハウス、そしてパーラー不二屋

食に興味があったんだね。こっそりバイト先にパフェを食べに行ったら

密かに特盛りをごちそうしてくれた、美味しかったぞぉ

将来はパティシェを目指していたらしいと、友達から聞いた。

結構やんちゃもしていたようで、裁判所への呼び出しも・・・

まじめな両親には思いも寄らない経験だったろう






私が結婚して、弟は旦那を兄のように慕ってくれた。

私たちの暮らすアパートにもしょっちゅう遊びに来てくれた。

そういえば、内緒でパチンコにもよく一緒に行ったなぁ

姉2人の末っ子に兄貴の存在は魅力的だったようだ。

旦那のバイク好きにつられ、バイクの免許も取り、ついにはバイト代でバイクも購入

練習を兼ねて、よくツーリングにも行ったよね

そして、これも校則違反だったのに、知らぬ間に車の免許も取っていた。




命のタイムリミットを知っていた彼には、あれもこれも・・・

やりたいことが山ほどあって・・・ 今思えば、生き急いでいたんだと思う




昭和62年9月30日

この日、朝から弟と旦那と私と、3人で金甲山へバイクでツーリング

夜には3人で焼き肉を食べに行った。

だけど、焼き肉を食べてた頃、私と旦那は夫婦喧嘩中

きっと私はふてくされた顔をしてたに違いない

今更後悔しても仕方ないけど、悪いことしたなぁ

まさか、この日が弟の元気な最後の姿だと思ってなかったんだもん





翌朝未明、父からの電話で弟の危篤を知ることとなった

喘息の発作・・・

病院に駆けつけた時、彼は静かにベッドに横たわっていた。

その後苦しむこともない代わりに、目を覚ますこともなかった1週間あまり

私たち家族に心の準備をさせてくれたのかもしれない



仕事の昼休みに病院にお見舞いに行くのが日課となっていた私

いつか目を覚ますんじゃないかと一生懸命話しかけていた

その一方で、丈夫に産んでやれなかったと悔やみ、打ちひしがれ

食事も咽を通らないほど、自分を責めてどんどん小さくなっていく母

このままじゃ、両親が駄目になっちゃうんじゃないかと思い始めていた頃





10月9日 その日病室に家族が揃った時、彼は静かに天国に旅立って行った。

最後に駆け込んだ私を待ってくれてたかのように・・・

もう、よくがんばったよ、やっと苦しみから解放されるんだよ

一筋の涙が彼のほほを伝ったとき、誰も、頑張れとは言わなかった




お通夜の時、友達から聞いた話に涙があふれた

「こんど発作が来たら、駄目かもしれない・・・」 最近よく口にしていたって

弟にはわかってたんだね。ずっと、ずっと発作の恐怖に怯えてたんだね。

だから、今しかできないことをたくさん、たくさん急いで経験したんだね





まだまだこれから・・・

大人になってからの付き合いを楽しみにしていたのに

命日よりも弟の誕生日がくるたびに、その歳の弟を想像してみる

もう叶わないけど、どんなお嫁さんをもらったかなぁ~

どんな人を選ぶのか、見てみたかったよ








3人兄弟の長女の私、1番に生まれた私が健康なのは、母さんの栄養を独り占めしたんじゃないかと

時々申し訳なく思うよ。


丈夫で健康な私、あんたの分まで長生きしてあげる





弟よ

神でもないのに、いつもいっぱい神頼みばかりしてごめん

あんたの代わりに今は私の旦那がしっかり父の息子になってるよ

あんたが生きてたら、今の実の親子のような関係は考えられない








実家から持ち帰ったCDラジカセで、久々に松山千春を聴いた



松山千春 / 大空と大地の中で「歌詞付」



「生きることが辛いとか悲しいだとか言う前に、野に育つ花なら力の限り生きてやれ」




少々嫌なことがあっても、へこたれそうになっても、私、がんばれるよ



なんだか弟に言われてるような気分