norimemo

norirouのメモです。適当です。

恩師

2012-03-08 01:18:52 | Weblog
地元職場(通信制高校)の卒業式が無事に終わった。
3月末で退職する私は、卒業式の後で離任式をしてもらった。
来賓祝辞や祝電披露でいい言葉を散々使われてしまい、
脳中に用意してきた挨拶は使い物にならず、
頭真っ白な状態で、壇上にあがることになった。

高校時代の担任の先生が亡くなった、という知らせを受けたのは、一週間位前のことだ。
心不全で亡くなったらしい。
あまりにも唐突で、早すぎた。

第一報を、私は平日朝一の携帯メールで受け取った。
(正確には、真夜中にメールをもらっていたのだが、寝ていて気づかなかった)
最初、文章を目で追っても、意味が分からなかった。
目を疑って、何度も読み返した。
気がついたら、出勤前だという事も忘れて、ボロボロに泣いていた。
(危うく職場に遅刻するところだった)

私は、考えるよりも体が先に動く方で、
行動の理由は、大抵後からついてくる。
思うよりも早く私が泣いていたのは、先生が「恩師」だったからだ。

先生には、初めて会った時にまず驚かされた。
最初の自己紹介の際に、先生は教卓の前に、ただ立ってなどいなかった。
自己紹介をしながら、私達のいる席の間を歩きながら、
どこからともなく、幾つも幾つも、手品でパッと手に花を咲かせては、
生徒の机の所々に花を置いていった。

先生の担当教科は数学だった。
数学の時間は文系人間の私には正直眠たくて、思わずうつらうつらしていたら、
「大丈夫ですか!?」と、重病人に駆け寄るかの様な勢いで助け起こされた。
授業中居眠りで怒られたり、呆れられたりするのはしょっちゅうだが、
助け起こしてきたのは、今のところ先生だけである。

また、とにかく先生は私達の話を良く聞いてくれて、一生懸命応えてくれた。
進路相談などはもちろん、普段の何気ない事まで、だ。
ある時、クラスメイトと同時期に髪をバッサリ切ったのだが、
友人は先生に気づかれて髪型を指摘されて、隣の私は気づかれなかった。
私が「何で気づかないのか」などと子どもっぽく怒ったところ、
次から毎回欠かさず、髪を切る度に指摘してくれる様になった。
これにも驚いた。ここまで律儀に応じてくれたのも、今のところ先生だけだ。

先生との思い出は驚くことばかりだったが、
一番驚いたのは、卒業後のことだ。

私は高校から囲碁を始めて、3年間囲碁部だった。
卒業後もそれなりに囲碁を続けていて、何度か、地方の新聞の囲碁欄に棋譜が連載されていた。
今から4年位前に囲碁部に招かれて母校に足を運んだ時に、先生に会った。
先生は開口一番、「囲碁欄の連載、みてますよ」と笑顔で言ってきたのだ。
囲碁など知らないはずの先生なのに。
掲載の知らせなど、全くしていなかったのに。
読んでくれていたのだ。

悔しいのは、その時連載されていた一局は負け碁で、その後の掲載が今のところない事だ。

沢山の驚きは不快なものではなかった。
楽しませてくれた事、気遣ってくれた事、一人の人間としてきちんと向き合ってくれた事が、
私はとても嬉しかった。

不思議な縁で、今年度一年間、私は高校の先生として働く事となった。
先生という仕事の目の回る程の忙しさ、難しさ、楽しさを、少しだけ分かった様な気がしている。
送り出す生徒たちにとって、私はどんな「先生」だっただろうか。
恩師でなくていい、少しは皆が前に進むための支えになれていただろうか。
嬉しい事に、何人かは、卒業後も私に便りをくれるらしい。
かつて先生がそうしてくれた様に、私も生徒たちの歩みを見守りたいと思う。

お祝いの言葉が出尽くした後の離任式で、私は少し考えて、
「自分自身が歩む道は、あくまで自分でどうにかするしかないんです。
どうか逞しく、前へ進んでいって下さい」
などと、華のない台詞を短く一言言うだけにしてしまった。
そうでもしないと、ボロボロ泣いてしまいそうだった。

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