ただメモ

まぁなんだなぁってことで

テレビの上得意様

2008-02-24 | 思いつき
結局21世紀になっても人は鞍馬天狗と新撰組の立ち回りを見てるんだなって、木曜時代劇を見ながら思ってた。
したらハコフグマンさんが「テレビというメディアのしぶとさ」ってエントリをあげてた。

「テレビはシンプルでいいと思うようになった。テレビというメディア自体が年老い、NHKにおいては老人が最も有力な視聴者層になっていることがよく分かる。しかしいずれ誰もが老いる。高齢者という世代自体繰り返され、新しくなっていく。」
時代が大きく変わっても。水戸黄門や新撰組は繰り返しリメイクされ、それなりに受け入れられている。

結局こういうことなのかもしれないなとも思う、それほど人は変わらないし、そういう部分があっても良いのだろうな。

「鶴瓶と家族のやりとりに笑い、八代亜紀の唄に泣く人々の前では、「テレビはネットに取って代わられる」などという予測は、底の浅い妄言としか思えない。」

最近のニュースは、やたら怒りや嘆きをストレートにソースにする。薄っぺらなキャスターたちは、ろくに裏をとりもしないで怒りを持って断罪する。報道のポピュリズムっていうか、視聴者の情緒を扇動するスタイルの報道は、結構こんな人たちのために演出されてるんだろうなって妙に納得する。

携帯電話を使えないお年寄りのためにっていろいろ言われるけど、70代も後半になられた独居のお年よりは、ほとんどの時間を町内会程度のエリアの中でしか行動しないので、そもそも携帯電話の必要がない。必要性と困難性は、鶏、卵の論になってしまうのではないだろうか。
そしてそのようなお年寄りが、多分今テレビの最も上得意様なのだろう。

本当に「テレビはシンプルでいい」と思う。HD画質も、5.1chも、視力も聴力も衰えてきたお年寄りには、それほどの訴求力を持たないと思う。

年金暮らしの上得意様に、多くの負担を強いるデジタル化は、本当に必要なんだろうか。
水戸黄門や新撰組、鶴瓶や八代亜紀を見るためにHD画質や5.1chは適正なスペックなんだろうか。

つらつら考えても、テレビ番組っていう商品の改変にあたって、セグメントの選択に大きな誤りがある気がするんだが、杞憂に過ぎなければ良いのだが。