道の脇に石碑 2017-09-24 | 路傍の神仏 通りかかった道の脇に石碑があった、標柱も立ち、それなりに調べられているのだろう。 しかし、文字は剥落して全くわからない、由来が書かれていたろう標柱にも文字は消えていた。 見つかるかもと、石碑等を紹介する「鹿角の石造物」(石仏・石碑)を調べても記載がない。 後日、その集落の方と一緒になり写真を見せて尋ねると、ご存じで、 その石碑は、天保の飢饉による餓死者の供養塔ことであると、丁寧に教えてくれた。 同じ集落内の畑からもう一基見つかっていると教えてくれた、近くに行ったら探してみよう。
雪消え近い 2017-04-04 | 路傍の神仏 本日は清明、清らかで生き生きとした「清浄明潔」の略、万物が若返り、清々しく明るく美しい季節。 川の向こうの雪も消えてきたので、昼過ぎの春がどのぐらい進んでいるか、在郷をぐるりと見てきた。 1日から職員らが大幅に入れ変わり、縄文ファンをはじめ観光客を迎えるストーンサクル、 1週間前には日時計の上部半分ぐらいしか見えなかったが、だいぶ雪が減ってきた。 「清明を過ぎれば、上からも下からも雪はとけていく」と、古老がストーンサークルを見ながら話す。
12.8 2016-12-08 | 路傍の神仏 山襞の中にある神社に行くと、ときたま鍵がかかっていないことがある、この神社もそうだった。 お堂の中に入ると、奉納されたものが壁にたくさんかかっていた。 それらから推測すると稲荷が主で、神明社・八幡・駒形が混じっているようだ。 枠に年が書かれてるのは昭和10年・11年、戦時中、出征にあたり奉納したと思われる絵も数枚あった。 「イケ・イケ」と背中を押した者たちは、風向きが変わると責任回避のための偽態も早い。
石碑のお引越し 2016-11-16 | 路傍の神仏 十和田修験や十和田神社参詣のさい、見送り・出迎えの場所になった坂迎えの地・四の岱住宅入口に 長年祀られていた聖徳太子と十和田山青龍権現の石碑が、国道103号の拡幅工事に先立ち移動した。 紀元2600年を祝し植樹され、寄る年波とテング病と闘っているソメイヨシノの老木はどうするのかな。
男女のお地蔵さま 2016-10-31 | 路傍の神仏 地蔵菩薩堂 お地蔵様2体 高屋・米代川左岸 2016.10.17 お堂の前の花壇はよく手入れされ、この2体のお地蔵さまは、夏前・冬前に衣替えなんかして、 集落の人々はお地蔵さまの面倒をよくみている。 隣の墓地に、地蔵菩薩堂跡と刻まれた石碑が立っているので、元々はそこに祀られていたものだろう。