不惑なノッポの徒然ブログ

不惑を迎えエンジニアとバスケットボールで文武両道を実践しているつもりながら寄り道ばかりの日々を綴ります。

金沢二水高校バスケットボール部OB会

2015-01-03 23:50:35 | Basketball

 昨日、松下村塾長からショートメールがあり、「1/3、二水OB会があるので来ない?」とのこと。

 愛息がノッポ母校の金沢二水高校(通称:二水)に通っており、見に行くついででしょうか、一応OBのノッポにも声掛けいただきましたので行くこととします。

 その前に箱根駅伝。

 昨日、往路優勝を遂げた青山学院が復路も圧倒的なタイムを叩きだし、総合記録(参考

)も大きく更新して総合優勝となりました。

 5区:2位、6-8区:区間賞、10区:2位、6,8区は区間記録までそれぞれあと数秒といった具合の他を全く寄せ付けない圧巻の走り、ここ10年でも類を見ないほどの盤石の横綱相撲的な走りでした。

 数年前から大学として強化を開始、有望新人をスカウト、自由な校風を活かしつつ成績が上がり、さらに練習方法もユニークかつ工夫を凝らすことであらゆる面で好循環を生み出し、この結果に至りました。

 必ずしもこの方法が正しいとは言えませんが、一つの方法論として結果を残したことは事実です。

 他校は他校の方法があるかと思いますが、これから王者青山学院への挑戦が楽しみです。

 午後からは二水高校へ。

 

雪はだいぶ融けた模様(ここは除雪車が歩道を除雪してくれる)

 

金沢二水高校の講堂と体育館

 

バス(初めて知った)

 

高校前の通り(高校時代、もう少し奥右手のパン屋で屯させてもらっていた)

 

松下村塾長登場

 

 卒業して、金沢二水クラブに身を寄せていた時分は参加していましたが、それも3回程度、1回目は卒業1年後、そして県内に進学した卒業2年目の卒業生が幹事の大役を仰せつかるのでノッポ自身が幹事の2年目、その翌年は1年下後輩が幹事だったので義理もあり参加で3回です。

 その翌年以降からは不参加、案内の葉書もそのうち届かなくなり完全に頭からその存在も消えていました。

 そんな経緯もあり二十年ほど離れていたので縁者が居ないと入りづらく、塾長とおそるおそる館内へ。

 

館内は守旧?OB対新進?OBの真っ最中

 

 女子のOB戦を挟んで本日のメインイベント?こと男子現役対OBへ。

 

真剣勝負とまでいかないが局地戦(1対1)はそれなり

 

蛍光黄色パンツが躍動

 

シュートフォームは怪しい?

 

 この黄色パンツが塾長ジュニア、抜群の運動神経を活かしてチームをけん引していました。

 昨年に膝の大怪我を負いましたが、今は回復したようで残り半年になりますが、奮闘に期待です(二水に似合わない?チャラ系にも磨きをかけてほしい)。

 

閉会

 

寒そうな塾長(ジュニアには厳しい言葉ばかり、「チャラい」「シュートフォームが」「外から打つな」などなど)

 

 その後、高校時代のコーチだった徳さんと邂逅、久々に近況などを語り明かしました。

 当時、県体すら出られない各地区最弱中学校チームのそれも補欠ばかりが集まっていたチームを大学生活の合間を縫って駆けつけ、叱咤激励されていたことを思い出します。

 ノッポの代は180 cm と185 cm が2枚と当時としては高いラインアップを構成、3人ともに1年のときから試合に出してもらい期待されていましたが、不甲斐なくひねくれたノッポの性格のためかプレイは伸びず、そのままラインアップからも外れ3年になってからは負けばかりでそのまま部活終了となりました。

 7年前のOB飲み会(正月OB会とは関係ない)でも少し話を交わしましたが、今となっては良い思い出であり、逆にそれが社会生活に活きる反省点にもなっています。

 そして、不完全燃焼だったバスケットボールは今なお現役で追い求めているといった具合です(しぶとい?しつこい?)。

 徳さんですが、県の審判員として実質トップまで昇りつめるも怪我で一線を離れることになったかと思うと、バスケットボールと縁は切れないようで、とある筋からミニバスケットボールのコーチを依頼され、現在はコーチ業に復帰?されているようです。

 実業は技術系公務員として活躍されていますが、先生向きの性格かと思うほど当時の教え子をほとんど憶えており、その近況も気になっていたようです。

 今後、会う機会が増えるかもしれませんが、その折はお手柔らかにお願い致します。

 さて、今日も実家に宿泊することに。

 

夕食は近くの寿司栄(甥1号はかっぱ巻きのみ、2号はいくらとまぐろとサーモンのお子様?系)


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