
#8 HAKODATE
兄弟や姉妹という間柄はとても不思議なものですよね。この世界にたくさんの人がいる中で、友人として誰かと巡り合うことも素敵な縁だけれど、千歌の言うとおり、生まれたときからずっと一緒にいることが自然な存在として出逢う兄弟(姉妹)は、お互いにとって理屈では到底語れない存在なのだと思います。
兄弟(姉妹)は、本質的に生まれたときからお互いの立場にはなりえない関係にあります。弟(妹)は、成長して大人になって、父(母)になることは出来ても、兄(姉)になることは出来ない。逆もまた然りで、兄(姉)が弟(妹)になることもありませんよね。
それは、生まれながらにして、兄弟(姉妹)のつながりが永遠に変わらないものであることの証なのでしょう。どれだけお互いのことをよく知っていても、決してお互いの立場にはなりえない、そういう関係にあるからこそ、お互いの立場からではないと見えないものが見える。それが、兄弟(姉妹)というものなのかもしれません。
姉には姉としての、妹には妹としての想いがある。ずっと姉の背中を見続けてきた妹と、ずっと妹を守り続けてきた姉。今回はそんな、お互いをお互いの立場から想い合う「姉妹」の姿が描かれていました。
その瞳が映し出すもの
北海道地区予選の観覧ゲストとして招待され、「Saint Snow」のホームでもある函館の会場を訪れたAqoursの9人。
沼津から遠く離れた北海道という場所で、「一緒に写真撮ってもらっていいですか?」と言われ、ラブライブ!の決勝に進出することがどれだけ凄いことなのか改めて実感する9人ですが、その実どこか物憂げな表情を浮かべる少女の姿がありました。

決勝の舞台までたどり着いたこと。それは裏を返せば、Aqoursの9人でスクールアイドルとしていられる時間がのこりわずかであることを示しているんですよね。その事実を否が応にも突きつけられた黒澤ルビィが、真っ先に見つめた相手、それが黒澤ダイヤであったことは、ルビィの本質をどこまでも捉えた描写だなと思います。
黒澤ルビィは1期4話で花丸が語ったとおり、「とても優しくて、とても思いやりがあって、でも気にし過ぎな子」です。普段はあまり強く自己主張をしないルビィが、2期7話で「おねえちゃんたちは....3年生はこれが最後のラブライブ!だから.....絶対に優勝したい!」と手を挙げて言っていたのも、大好きなおねえちゃんを想ってのこと。

ルビィがあの場でただひとり、鹿角理亞の異変に気付いたことも、相手を気にかける彼女の優しさがあればこそですよね。
Aqoursの声も聖良の声も受け入れようとせず、ただ自分の殻に閉じこもる理亞。千歌の言うとおり、本番前ならよくあることで、一見して珍しい光景というわけではないのでしょう。
しかし、黒澤ルビィだけは鹿角理亞の手の震えに気付く。その小さな震えの中に、とても大きな悩みが秘められていたことを奇しくも同じ境遇にいた黒澤ルビィだけが気付いていたのです。
姉妹の想い

不安定な心が招いた理亞のミスによって「Saint Snow」は確実視されていた決勝進出を逃してしまいます。Aqoursにとっても、彼女たちの心配をする気持ちはありますが、確かに鞠莉の言うとおり、それは「わたしたちが気に病んでも仕方のないこと」。
しかし、ステージ上で倒れ込む理亞の姿を見てからのルビィは自分のことのように考え込んでいました。
それもそのはずですよね。ルビィにとって、理亞の悩みは文字どおり「自分のこと」でもあるから。だから、あの時、理亞の手が震えていた理由も、ミスをして立ち上がれなかった理由も、そして「いま」どんな想いを抱いているのかさえも、ルビィにはわかってしまう。
震える手を抑え込む理亞の姿を見つめていたルビィ。その瞳が真に映し出していたものの正体、それは他でもなく自分だったんですよね。これは他人事じゃない。理亞の想いも、鹿角姉妹が直面している問題も、全ては自分の問題と同じ。いわば、理亞の姿は自分を映し出す鏡のようなものです。

"ラブライブ!ですからね
ああいうこともあります わたしは後悔してません"
ああいうこともあります わたしは後悔してません"
一方で、聖良はどこまでも「姉」としての姿を貫いていました。
彼女だって本当は悔しくて悔しくて仕方がないはずです。「次に会う決勝は Aqoursと一緒に ラブライブ!の歴史に残る大会にしましょう」と語っていた彼女からは最後の大会への強い意気込みが感じられるほど。
でも、悔しくても後ろだけは向かない。後悔はしない。だって、そんな姿を見せてしまったら、理亞が更に強い責任を感じてしまうからです。自分とは違って、妹には次のチャンスがある。
自分はもうスクールアイドルでいることは出来ない。でも、それを理由に自分のやりたいことをやめてほしくない。だから、前を向いてほしい。妹が妹だからこそ抱く想いがあるように、姉が姉として抱く想いがそこにはありました。
しかし、理亞は「次」に進むことを突っぱねます。スクールアイドルは続けない。だからもう、ラブライブ!もスクールアイドルも関係ないと。

"おねえちゃんと一緒に続けられないのが 嫌なんだと思う
おねえちゃんがいないなら もう続けたくないって"
おねえちゃんがいないなら もう続けたくないって"
これが、鹿角理亞の、そして、黒澤ルビィの想い。姉の背中をずっと追いかけてきた彼女たちは姉が、どれほどスクールアイドルに憧れてきたのか、どれほどの情熱を傾けていたのかを知っています。だから、終わってしまうことが辛い。
ルビィにとって、「スクールアイドル」は特別なものなのかもしれません。幼いころから数多くの習い事をこなしてきたしっかりものの姉と、その姉の背中に憧れ続けてきた妹。きっと、能力も性格も違う彼女たちが一緒になって夢中になれるものはそう、多くはないのでしょう。
でも、普通の少女でも、たとえ誰であっても輝くことの出来るスクールアイドルという存在なら、2人で一緒に夢中になれる。かつて、「一緒にμ'sの真似して 歌ったりしてた」とルビィが語った際に描かれた回想シーンでの2人の笑顔は、その事実をなによりも雄弁に物語っていました。
ゆえに、自分だけに「次」があることが辛い。スクールアイドルのことを大好きな姉がもう続けられないなら、自分も続けたくない。それが大好きな「姉」と共にスクールアイドルを続けてきた「妹」だからこその想いなのかもしれません。

「妹」のこころからの想いを知ったダイヤ。北海道に来てからもずっとルビィが自分を気にかけていたことに彼女は気付いていました。
お互いにずっと言い合うことが出来なかった積もるお話。雪が綺麗に積もるこの場所で、きっと、自分たちと同じ想いを抱えた「Saint Snow」の2人の姿を見た「いま」だからこそ、向き合って言い合えることがあるのです。
叶っていた希望

"あんなにスクールアイドルに憧れていたのに
あんなに目指していたのに もう終わっちゃうなんて"
あんなに目指していたのに もう終わっちゃうなんて"
「さすが、おねえちゃん」、そう言い続けてきた黒澤ルビィにとって、黒澤ダイヤという背中は「答え」を象徴するものでした。
でも、決勝が終わればおねえちゃんのスクールアイドルは終わってしまう。これからスクールアイドルとして歩んでいく「次」の道にはもう、ずっと追いかけてきたおねえちゃんの背中はありません。おねえちゃんの背中が見えない、背中越しの状態で遠く広がる景気を見ながら姉へと想いを語るルビィは、堪え切れずに涙を流してしまいました。

"でも ルビィはお姉ちゃんともっと歌いたい"
そして、おねえちゃんと一緒にスクールアイドルでいられる時間にしがみつくように、姉の背中にルビィはしがみつきます。
「ルビィを置いていかないで.....」。この言葉こそが、黒澤ルビィがずっとその人生を以って抱えてきた「姉」に対する想いでした。
ルビィにとって姉の背中はどれだけ追いかけても遠くにあるものなんですよね。ルビィにとって、ダイヤはずっと届かない星だった。でも、スクールアイドルでいる間だけはその背中をすぐそばで感じられる。おねえちゃんの背中を見て、おねえちゃんの息を感じて、おねえちゃんと一緒に汗をかくことができる。やっとおねえちゃんと一緒にスクールアイドルになれたのに、またおねえちゃんの背中は遠くへ行ってしまう。

"大きくなりましたわね それに一段と美人になりましたわ"
でも、ダイヤは知っていました。黒澤ダイヤの背中がなくても、ルビィは一生懸命自分で考えて、自分の足で、自分の「答え」に辿り着ける子であることを。
ゆえに、黒澤ルビィにはもう黒澤ダイヤの背中は必要ない。ダイヤの背中にしがみつくルビィに対して、顔を合わせて向き合うべく振り向いたダイヤのシーンがまさにそれを象徴しているのでしょう。

かつて、スクールアイドルを取り巻く厳しい「現実」を知っていたダイヤは、ルビィをそれから守ろうとしていました。でも、いままでおねえちゃんに守られていたルビィが、おそらく初めてきちんと自分の気持ちに向き合って、自らの意志で、自分の世界を広げるべく一歩を踏み出します。
自分の知らないところでルビィの世界が広がっていくことが嬉しかったんですよね。上級生で生徒会長の自分を呼びだしてまで、「ルビィちゃんのキモチを聞いてあげてください」と言ってくれた国木田花丸という理解者がルビィのそばに現れたことも、きっとダイヤは嬉しかったはずです。
人見知りゆえに、ずっと黒澤ダイヤを拠りどころにしてきた黒澤ルビィが自分で考えて、自分の足で、自分の「道」を進んでいける。それこそが、1期4話で小原鞠莉が言っていた「よかったね、やっと希望が叶って」という言葉の真意、ダイヤの「希望」の正体だったのです。
Dear My Sister

姉の想いを知ったルビィは、自分の殻に閉じこもって「次」の一歩を踏み出せずにいた理亞を外の世界に連れ出し、駆け出していました。
あの日、国木田花丸が自分に新しい世界への一歩を踏み出すきっかけをくれたように、黒澤ルビィもまた鹿角理亞に「次」の一歩を踏み出すためのきっかけを示す。
"姉様がいなくても ひとりで出来るって
安心してって なのに 最後の大会だったのに"
安心してって なのに 最後の大会だったのに"
理亞のこころが纏っている殻はとても厚いものでした。姉の手を借りなくても、自分の足で歩いて行ける妹の姿が嬉しい。そんな姉の想いを彼女はわかっている。わかっているからこそ、それを証明するためにずっと頑張ってきた。
それなのに、姉にとっても一番大切な「最後の大会」でそれが出来なかった。最後の最後で、「安心して」というメッセージを伝えられなかった。彼女のキモチは叶わなかった。
でも、ルビィは知っています。ずっと強く想い続けてきたキモチが叶わなかったときの悲しみを、そしてそこがまだ終わりではないことを。
姉と一緒にラブライブ!には出られない。でも、姉へのキモチを伝える方法はラブライブ!以外にだってある。勝ち負けも大会も関係ない。ただ、大好きなおねえちゃんたちに「大好き」のキモチを伝えるために曲を作り、もう一度歌う。「最後にしなければいいんじゃないかな」、ルビィの想いを知った理亞は思わず笑顔を浮かべていました。
学校を形として残すことは出来ない、でもその名前を残すことは出来る。叶わなかった願いを受け容れ、前を向くことで見える未来があることをルビィは「みんな」に教えてもらいました。
だから、「最後の大会」であることを「姉」たちが受け容れているように、現実をきちんと受け容れて、それでも出来ることがあると「次」に進むために前へ向く。きっと、それが「大人」になることだから。ダイヤが言ったとおり、ルビィはとても大きくなっていたんですね。

内浦と函館、遠く離れた場所で育ってきた2人。「スクールアイドル」にならなければ、決してつながることのなかったその2人が、想いを同じくしてつながった。2つの土地がつながっていないようで、つながっていた、そう思えたように、自分のキモチ、自分の一歩が、世界の見え方を変える。
ルビィも理亞も本質はとても似ています。自分の大好きなもののために言い合う。わたしの姉様の方が上、ルビィのおねえちゃんも負けてないと思う。気弱でも、人見知りでも、口下手でも、関係ない。だって「大好きだもんおねえちゃんのこと」。2人とも、自分の大好きなものに対して人一倍強い想いを抱く芯の強さ持っているんです。
だから、あの日、誰の手を借りることもなく自分の足で、あの階段を登ることが黒澤ルビィにも出来たように、鹿角理亞にだってそれが出来る。階段を登り切った人にしか見えない景色を理亞にも見て欲しい。それが、誰よりも優しく人に寄り添う黒澤ルビィのキモチです。
黒澤ルビィと鹿角理亞。聖なる雪が舞うこの街で、2人が歌うその曲には、これまでの「ありがとう」が詰まっているのです。
いやー、こういう話すごく好きです。(直球な感想)
“勝ち負けも大会も関係ない。ただ、大好きなおねえちゃんたちに「大好き」のキモチを伝えるために”
昨日からこの指摘を読んで、1期の12話を見返していたんですが刺さることこの上ないですね。μ's、ラブライブ!の人気を形作ってきた先駆者たちにも通ずる思想にたどり着けるのも、ずっとμ'sに、スクールアイドルに憧れていたルビィだからこそなのかもしれません。高らかに優勝を宣言したAqoursがSaintSnowと絡む意味、きっと9話で2人が込める歌の中にその答えがあるのでしょう。
わたしはひとりっ子なんですが、それでも姉妹の仲の良さって良いものだなぁとほろりときてしまいました。9話でどんな歌ができるのか楽しみすぎます!