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講座「生きること」

2008年02月22日 | 活動
枚方市では、毎年 ~一人称で語る自分史~ 講座「生きること」を開催しています。
第一回目は、1978年だったそうで、30年目を迎えることになります。
私が教職についたのは、1980年でした。
その頃は、水曜日の午後出張で「生きること」の連続講座に出席したりしていました。人権や平和に関することを多く学ぶことができたと思っています。
そのうちに、授業などで忙しくなり、「生きること」の講座を受けられなくなりました。
今は、時間が空いていて、これは!というのには、なるべく出るようにしています。大体今頃で、4週連続で行われています。

2月20日は、昨年秋の枚教組平和教育分科会で「女学生の戦争体験記」を語られた森田隆子さんが来られるという事で、参加しました。
私が住む香里ヶ丘は、戦中には、爆弾製造所がありました。学徒動員でそこで大阪市立泉尾高等女学校の生徒であった森田さんたちが、親元を離れ寮に入りながら、昼夜二交代で爆弾造りをされていたのです。
戦後自分の体験を封印されてきたわけですが、体験者が高齢になられ、風化の危機感の中で、体験集を出されたわけです。
「決して戦争を繰り返してはならない」という強い思いで・・・
今、香里のエントツ山のところに、碑を建てる取り組みを行っています。
そのためのカンパも募っています。よろしければメールなどで・・・

先週13日も、講座「生きること」に出席しました。
「沖縄戦を生き抜いて 命こそ宝(ぬちどぅたから)」沖縄戦と平和をつたえる会 大城 盛俊さん のお話でした。1945年米軍の沖縄上陸で始まった沖縄戦、大城さんは12歳だったそうです。ガマの中で日本兵から食料を渡さなかったということで暴行を受けたこととか、沖縄戦の悲惨な様子を話されました。
人工声帯でのお話で、聴き取りにくい部分もありましたが、大城さんの思いはしっかり受けとめたつもりです。
集団自決に、日本軍の関与は遭ったとはいえない、という教科書検定の意見や、米軍による少女暴行事件、沖縄に米軍基地が集中していることなどに対する怒りを強く感じました。
八重山の戦争マラリアについても最近まで知らなかったことです。
これからもしっかりと考え、行動していかなければならないと思う講座「生きること」です。

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