きみとのむミュスカデシュールリー

お酒はあんまり関係ありません あしからず

愛の魔法

2009-06-08 10:01:06 | おもった
主人公が突然突飛な行動をとりだしたりするような、書いてる人がどうしたい、っていうのがすけすけのフィクションはみててちょいつらいなあと思う。なんでだかわからんけど、直接いうのより誰かに言わせてる方がやらしいと思うのと近い気持ちなのかなあ、と思った。
あと要約の愛のなさにたびたびびっくりするのだけど、でも代わりの案なんて提示できないのだよね。言葉を抽出するとびっくりするくらい味気なくなる、でも逆にいうとどんな題材も料理次第なのかな、とも思う。

怒る

2009-06-07 03:31:13 | おもった
いらっとしてしまったとき、それを口にするのは躊躇われる。

だけれどそのままにしておくと、なぜだか油に火を注ぐがごとく、相手の行為が助長されて

耐え切れなくなったころにどばあと吐き出すと、なんなんだと怒られる。

あとで、あそこで怒らなければなあ、と後悔して

だけれど、そこで怒らなかったら、自分の気持ちをどこにぶつけたらよかったのだろう、と泣きそうに思う。

きっとあのときはああするほかなかった。


だから次回は早めに止めてしまおうと

自分がいらいらしていることを、率直に、だけれど不快にさせないように告げれば、それが一番に違いないと、思う。

でもそれが実際うまく行って、いきすぎて同じパターンが繰り返されると、また

なぜこんなに先回りしなきゃいけないのか、と嫌気がさしたりして

でもよく考えたらそんなことは頼まれていたわけでもなんでもなくて

結局、ただ怒ることしかできないのかな、と

無理が通れば道理が引っ込む

2009-06-07 02:57:25 | おもった
ちょっと違うかもしれないけれど、これで思い出すのは言葉の変化のことです
どこの国の言葉も何百年と時を経れば大体変化している、日本も例外ではないわけで 
言語とは変化するものである、それに異論はなく
なので「ただしい日本語」というのを主張するのはだいぶ難しいことと思うのですが
それでも、数十年、数年単位で変化してしまうと、素直に受け入れられなかったりするのですね

自分の見ている範囲内の変化であれば、そうなるのもやむなしと納得できるのだけど、向こう側で勝手にわあわあ盛り上がって気がついたらこういう言葉できてました、みたくなってたら、そりゃあ本当はこうなんだ!っていってやりたくもなるんだよーって
おいてかないでくれよ、って 思ってしまうよね


当たり前に持っていなくても

2009-06-04 00:31:41 | わるくない
もしかしたら次の段階というのは、怖いところにあるのかもしれない、と思った。
いままでは、怖い物の周りをぐるぐるして、どうしたらこいつを怖くなくすることができるのだろうか、と思っていたけれど、怖いものはきっといつまでたっても怖い物のままなのかも知れなく、もしそれが怖くなくなるときというのが来るのなら、やっぱりそれを怖いと思いながらも繰り返し踏み込んだ時なのかもしれないなあ、と思った。
怖く思わなくなることよりも、怖いと思いながら踏み込んでいくことの方がきっと先なのだ。
いままでは、もっと理屈でどうにかなるものだと思っていた。

例えば人に裏切られたときの不利益ははっきりと目に映るが、人を最初から信頼しなかった時の不利益は表にほとんど表れない、だから不利益を被りたくないと人を信頼しない人は更なる不利益を被っていることに気が付けない、と授業でいっていて、思わず真剣に聞いてしまった。安定だけが安心なわけじゃない。

あとは自分にどうやってそのことをわからせるかだけだ。