きみとのむミュスカデシュールリー

お酒はあんまり関係ありません あしからず

自分と行為の間の壁

2012-06-14 00:34:32 | おもった
がんばります、と言えば、頑張らなくていい、とよく社長がいうので、なぜだろう、といつも首を傾げていた。

でも、最近はなんとなくわかる気がする。
「頑張る」というのはどこかやらされている意識なんだな。
少なくとも私にはそうで、「頑張らなきゃなあ」と思うと、やる気を出そうとする反面、どこか腰がひけてしまっている自分がいる。

頑張らなきゃ、と思う限り、いつまでも始められなかったりするから、そんなに構えなくてもいいのだと思う。
やるべきことをやれば、頑張らなくてもいいんだし、やりたいことは頑張らなくても勝手にやる。
よく考えたら受験の時は、いかに自分に頑張らないで勉強をあたりまえだと思わせるかに腐心していた。

あれがしたい これがしたい

2012-06-14 00:15:04 | おもった
ひとりでひとりの時間を楽しんでいいんだな、と思った。
人と一緒に何かをするより、黙々と何かに取り組んでいる時間が楽しかったりして、
きっと自分は何かが欠けているんだろうな、とずっと思っていたけれど、
何かを好きな自分をもっと肯定できたら、誰かのせいにしないで生きていけるんだろう。

誰かのせいにするっていうのは、楽なことだ。一時的には。
でも、誰かのせいにしたことは、たいていはそこどまりで終わってしまう。
ほうっておいて、勝手に芽が出て育って自分に恵みを与えてくれたりするものではない。
本当に自分が困っていることを、ほっぽいたままにして年をとったら、もう今更拾いあげてどうにかしようって気分ではなくなって、元々そこにあったものだから、しょうがない、と思うだろう。

ちょっとそこらへんに置いておいたつもりくらいだから、自分が「選んだ」なんて意識は誰も持てないだろうけれど、でもそれは確かに「選択」だ。

こういうものだからしょうがない、って自分で選んだならそれでいいけれど、そんなつもりはなかった、って往々にしてあることだから、知らず知らず捨て置いている意識を、面倒でもかがんでたまに拾い上げてやりたい。