いろはにぴあの(Ver.4)

音楽、ピアノ、自然大好き!

舟を編む

2018-02-16 | 読書

 『舟を編む』三浦しおん 著

 本屋大賞受賞作、広辞苑が改訂した今、急に読みたくなり読むことにした(後でテレビアニメになっていたことも知りました)。出版社で辞書「大渡海」を作ることになり辞書つくりの中核となる人物として荒木氏から引き抜かれた元営業部員馬締氏。対外交渉や雰囲気づくりは苦手な馬締氏だが、言葉への鋭いセンスと追求する姿勢は一流のものだった。不正確だったりあいまいだったりする内容をとことん排し納得いく語義を見つけながらも言葉の漏れや不足がないように、五校という複数回構成し、納得いくものと作り上げていく過程が描かれていて面白かった。一見チャラチャラしており、自分と反対のタイプと思える馬締氏に憎まれ口を叩きながらも心の奥底では認め、教授との難しい交渉などの得意分野で馬締氏と辞書作りを支えた西岡氏、事務仕事を一手に引き受け信頼できる仕事ぶりの佐々木氏、そして全く異分野の仕事ながらも仕事への真摯な向き合い方で共感するところがあり生涯の伴侶となった香具矢氏、異部署からやってきて当初は馬締氏の姿勢に違和感を持ちながらも西岡氏のフォローも受け真摯に辞書作りに取り組んだ岸辺氏、辞書をめくるうえで最善な用紙を納得いくまで作り続けた製紙会社の宮本氏、そして辞書編纂に亡くなる直前まで情熱を注ぎ続けた松本先生、それぞれの登場人物が魅力的に描かれていた。登場人物たちがお互いの強みを認め合い弱点をカバーしあっているところに心洗われた。 いつの間にか馬締氏と香具矢氏、西岡氏と伴侶の三好氏が結婚していたり等、時の経過や話の展開が急すぎるように思えたこともあったが、辞書作りという長い期間をかけて行う仕事を一作で収めようとしたらそのようにならざるを得なかったのかなという気もしている。


まちむすび 映画を見てきました

2018-02-16 | 日記

 商店街の活性化が気になりだしたのは数年前。住んでいた街、そして旅行や帰省時に、かつてはにぎわっていたはずの商店街のほとんどの店のシャッターが下りていてなんともさみしい気持ちになったとともに、このようになる前にどうにかならなかったのか、そして今後このエリアはどのようになっていくのだろうというという気持ちになったのがきっかけだった。

 そんな中、市内の昔からあった商店街が企画した映画が上映されるということになった。むかしからあった古き良き商店街、華やかさはないけれど心温かい方たちが集まっている印象がある。私も時々お肉屋さんをはじめとしてお世話になっているので、これはぜひ行ヵねばという気持ちになった。期間限定なのでうっかりしていたら行きそびれてしまう。

 借金取りに追われた2人の男性。なんとかしてお金を稼ごうとして考えたのが、商店街で講師になってセミナーを開くことだった。狙った商店街は、派手さがない昔ながらの商店街。第一回の商店街の店員たち向けのセミナー、なんとか乗り切ろうとしたものの動機が動機だったうえに付け焼刃の知識がゆえに窮地に立たされた。いぶかしがる店員もいる中、早速身を引こうと考えた二人だったが、二人を信じようとし食事と寝る場所を与える飲食店の店員がいた。食事とお酒がいただけるという話に乗った二人、結局そこの商店街に居座ることになる。しかしそのまま借金取りから逃れ生活をしていくためには次のセミナーに向けて準備しなければならない。部屋や図書館で話し合っているうちに、商店街に『地域通貨』を採り入れるという案が浮かぶ。浮かびはしたものの暗礁に乗り上げそうになった『地域通貨』のアイデアを次のセミナーで発表したところ、商店街でもアイデアが受け入れられ、『地域通貨』案は実行に移されることになる。商店街内での売買ができるおかげで商店街の店は活性化し、清掃活動などボランティアで行っていたことも『地域通貨』を使用することで参加者が増え、段々、商店街の人々から信頼を得て、ラジオなどマスコミにまで登場することになる。とは言いながらも、借金取りの目からは逃れることができず。。。さてそこからどのように展開するか?

 当初は悪だくみを考えていた主人公2人がいつのまにか一生懸命街づくりに貢献している姿。そして、そんな2人を信頼し心温かく見守る商店街の人たち。なんとも心温まるお話だった。若者たちの「本気」を受け止め理解し、環境を作ってあげるのが「大人」の「できる事」であり、地域活性化の「要」ではないかと思ったと映画のパンフレットに書かれていたけれど、本当に、そのような在り方を実践していた、映画内の、そして、実際の、商店街の方たちに、心打たれたし、ますますこの商店街が好きになった。

 それとともに、出演の俳優さんたちも気になり始め、調べてみた。富山の劇団で活躍している方たちと、商店街の方たち。主役の俳優さん、映画内でもとても面白い方だったのだけど、脚本も作られていた。地元に足をつけて、活躍している劇団とそのメンバーさん、なんだか十年以上、封印していた劇団と、そこに所属していた友人を思い出した。私の地元で、ピアノの集まりを作るきっかけの一つとなった言葉をランチの時にかけてくれた友人。ピアノ、レッスンで行くのもありだけど、聴いてもらいたいのだったら趣味でやっている仲間同士で集まりを作ればいいじゃない、と。一時期休んでいた彼女も再び活動を再開しているようだ。今は道が分かれてしまったけれど、今でも感謝している。

 これからも商店街の映画など、地域の映画があったらできる限り見に行きたいと思った。

 

 

 


回収 後ほどになりそうでごめんなさい

2018-02-15 | 日記

 先日の記事 「音楽入門講座 コンサート鑑賞術」 で登場した、メシアン作曲「おお、聖なる饗宴(O sacrum convivium)」の鍵盤音楽バージョン、後日書くと言いながら保留になっていてごめんなさい。忘れたころに、ひょいとアップするかもしれないので期待しすぎずに見にいらしていただけたらと思います。


音楽入門講座 コンサート鑑賞術

2018-02-04 | ピアノ、音楽

 加藤昌則氏の音楽入門講座、先日は最終回の第5回目だった。参考) 第2回目モーツァルト第4回目シューベルトとシューマン ユーモアを交えながら音楽の楽しさをわかりやすく解説してこられてきた加藤先生の講座も本年度は今回が最後、期待に胸を膨らませながら会場に向かった。

 

 今回は「コンサート鑑賞術」というテーマで、前半はクラシック音楽を楽しむきっかけとなるお話、そして後半はヴァイオリン奏者、チェロ奏者の方たちとともに生演奏を披露された。

 

 前半はクラシック音楽を楽しむうえできっかけとなるお話。次から次へと楽しいお話が出てきた。

 

 バロック音楽といえば最初に連想されがちな作曲家はバッハだが、当然ながらバッハだけがバロック音楽ではない。そして、バロック音楽のバロックというのは、当時はゆがんだ真珠という意味の悪口だった。宗教的なテーマが多く整然としたルネサンス音楽(とはいえ、本当は、ルネサンス時代にも世俗的でのびやかな音楽がしっかりとあった。表にはあまり出てきていないのだけど)に対して、世俗的で雑然とした印象のバロック音楽はまるでなんじゃらほいという状態だった。バロック時代の音楽は、人間の生活や気持ちに寄り添った親しみやすい音楽になっており、オペラも誕生するなど、エンターテイメントも重視するようになった、と。そしてル・ポエム・アルモニークによる、リュリの演奏を例に出されていた。こちらの動画は参考までに。

 

 

  演奏形態の違いも演奏会を楽しむきっかけになる。同じ曲でも奏者によって、そして同じ奏者でも伴奏ありのデュオその他か、無伴奏かによって、受ける印象が異なる。演奏家独自の音楽世界を堪能するための一例として無伴奏の演奏を挙げられ、色々な奏者の無伴奏を聴いてみると楽しいと言われた。しかし私は、一例として聴かせていただいたイッサーリスによる、バッハ作曲無伴奏チェロ組曲第1番の演奏の、ガット弦のしぶくてしびれる演奏がすっかり気に入ってしまった。もっと彼のチェロの演奏を聴かねばという気持ちになっている。

 

 一気に時代は下り20世紀の音楽も紹介された。20世紀の音楽といえば親しみにくい印象も持たれがちだが、このような20世紀の音楽もあるという例として、メシアン作曲「おお、聖なる饗宴(O sacrum convivium)」という合唱曲を挙げられた。20世紀ならではの新しい響きを持ち、そして7拍子、9拍子と独自な拍子である上に曲の中でも拍子が変っているという。しかしそれ以上に、何とも美しく心洗われる音楽で。。。

 

 おお、聖なる饗宴、鍵盤楽器による演奏もあるみたいなので、後日別に採り上げてみよう。

 

 演奏しない無音の音楽といえば、ジョン・ケージ作曲の4分33秒が有名だが、ケージの前にも、無音音楽が存在した。チェコの作曲家シュルホフ作曲の休符のみの音楽で、楽譜には休符ばかりが書かれている。演奏動画例。



 映画ウエストサイドストーリーのクールといえば、切れの良いダンスとこれから争いが始まるという緊迫感に満ちた音楽に目も耳も釘付けになる。ジャンルはクラシックというよりもむしろジャズかもしれないが、同じ旋律が絡み合っているという面で、クラシックの作曲技法をふんだんに使っているそうだ。その話を聴き、目からうろこが落ちそうになった。作曲家はバーンスタイン。

 ほかにもドヴォルザーク作曲の交響曲第9番、新世界の動画に登場するドヴォルザークに似た奏者や、一度しか登場しないシンバルの存在など、興味惹かれる話が次々と登場し、前半のお話だけでも盛りだくさんの内容で堪能できた。

 しかし、後半の演奏会が輪をかけて見事だった!ヴァイオリンは新井紗央理氏、チェロは井上貴信氏、そしてピアノは加藤昌則氏。

 プログラム、はじめはベートーヴェン作曲のピアノ三重奏曲第二番第四楽章。耳が聴こえなくなり、深刻さを感じる曲が増える前の、明るくチャーミングなベートーヴェン像を感じさせる曲として演奏された。お話の通り、生き生きとしたアレグロで、明るく生命感を感じる音楽だったが、その後のベートーヴェンにもつながっていそうな旋律も垣間見えた。

 次はビゼー作曲加藤昌則編曲、アルルの女第2組曲よりファランドール。ビゼーは才能を世に認められる前に早世してしまい、生きている間は恵まれなかった作曲家としてあげられる。そしてこのファランドール、華やかな印象を持つ曲だが、第1テーマと第2テーマとが、コーダでは見事に絡み合うという、当時としては初めてで、画期的な試みがなされていた。加藤氏の編曲によってコーダでの2つの旋律の絡み合いが明確に実感できるようになっていたように思う。

 第1テーマ

 第2テーマ

 リムスキー=コルサコフ作曲加藤昌則編曲、熊蜂の飛行、原曲は管弦楽で、ピアノ独奏に編曲されてきた曲だが、ここでは、トリオへと編曲されたとともに、主人公も熊蜂だと思い込んでいる蠅となり、芝居入り、演出入りの愉快な内容になっていた。ヴァイオリンとチェロは、弦をこすることで音を出す擦弦楽器、こすったからこそ出る独自の響きから蠅の羽音を連想するものになっていて、面白かった。それにしてもお三方、ユーモアあふれる演技とともに演奏も素晴らしくて溜息がでそうになった。

 プログラム最後はブラームス作曲ハンガリー舞曲第5番。この曲集はブラームスが集めたハンガリーのジプシー(ロマともいわれる)音楽に基づいてできたものであり、純粋にブラームスの作曲ではなかった。そして、その原曲の由来に基づいたジプシー音楽らしさを重視した、すすり泣くような音、ひっかくような音などが印象的で、情熱的な演奏になっていた。ジプシー音楽がクラシック音楽に与えた影響は大きく深いところでつながっているのが実感できた。

 アンコールはパッヘルベルのカノン、カッチーニ(ヴァヴィロフ)のアヴェ・マリア、こちらもくすりとするような笑いが入っていたが、心地よい余韻に浸ることができた。

 曲の歴史や構造を重視した広く深い視野からの、ユーモア溢れたお話と、素晴らしい音楽に、夢中になったひととき。非常に勉強になったし、何よりも楽しめた。年間通して複数回開催された講座、聴きに行けて本当によかった。

 来年度も講座を開催していただけたら嬉しい。 


とめどないエネルギー ガラスをめぐる探求と表現 ガラス美術館に行ってきました

2018-02-04 | 気になる場所、風景

 先日は富山市ガラス美術館に行ってきた。招待券をいただいたのだ。今回のテーマは、「とめどないエネルギー ガラスをめぐる探求と表現」。ガラスを表現の素材として用いてきた作家たちが、いかに、どのような作品を生み出してきたかということを、作品を通して示していた。

 ガラスに色を加え鮮やかな世界を繰り広げていた作家さん、無色透明な状態で形を変えたり装飾をほどこしたりして華やかな世界を繰り広げていた作家さん

 熱を加えて変形したガラスの曲線美を大切にした作家さん、直線のガラスから生み出た反射光のきらめきや緊張感を大切にされたように思えた作家さん

 ガラスを□や〇などへとシンプルな形に記号化させて独自の意味を作り出した作家さん、色のついたガラスの粉を作品にまぶす方法を生み出し独自の世界を作り上げた作家さん

 ガラスだけで極限の世界を作り上げていた作家さん、陶器などガラス以外の素材と組み合わせてその中でガラスの存在感を出していた作家さん

 単体のガラスから引き出せるものをとことん引き出していた作家さん、ガラスの板など複数のガラスを組み合わせることで躍動感ある世界を表現していた作家さん

 12名の作家さんのガラスへの向き合い方扱い方が、全員異なっていたうえに、どの作品も、ガラスの特徴をうまく引き出しているうえに、新鮮さやのびやかなエネルギーが感じられた。そのために、私もガラスによる表現の無限の可能性を、作品を通して、感じることができた。本当にすごい素材だ、ガラスって。素晴らしい企画展だった。今回の企画展の会期はもうすぐでおしまいで残念だが、今後もぜひ出かけたいと思っている。

 富山には、ガラス美術館、水墨美術館など、独自の表現方法に基づいた作品を扱った美術館の割合が多い気がする。そしてそれは大変素敵なことだと思う。おかげで私も、今まで目を向けることがなかった水墨画やガラス美術に関心を持つようになった。とはいえ、最近水墨美術館には行けていない。次の企画展には、足を運んでみようかな。