昔の日本で行われていたもので
生きている坊さんを
小さな箱舟に閉じ込めて
海に流す
というものがありました
生きている坊さんを
小さな箱舟に閉じ込めて
海に流す
というものがありました
補陀落渡海といって
補陀落という南の極楽島に行けるのだと思い込まされ
自ら志願して帆も舵も無い小舟の木の箱に入ったら
蓋を釘で打ち付けられて封じ込められ
真っ暗な箱の中でお経を唱えながら
漂流した果てに溺れ死ぬのです
こんなことをお釈迦様が思いつくはずはありません
中国で生まれたというこの補陀落渡海は
もっと昔に行われていた生け贄の行事が
一部の仏教に取り込まれたのです
たぶん
海からの幸を頼りに生きていた海人族の行事だったのでしょう
大きな漂流物やクジラやジンベイザメの後ろには
魚の群れが着いています
流木などの小さな漂流物でも
その下には小魚が群れ
それを狙う魚の群れがその下を泳いでいるのです
流れ藻の塊にも魚の群れは着きますし
気の毒な溺死体にも着くのです
こうした外から流れ着くモノを「エビス」と呼ぶのです
エビス様は豊漁をもたらす神だったのです
笑顔が素敵な福々しいおじさんではなかったのです
古代の人にとって神様とは恐ろしい存在でした
神は天変地異や天候不順などのタタリをもたらすのです
怒りを鎮めるために人々は生け贄を捧げ
その見返りとしての豊作や豊漁が起きると考えていたのです
自分たちが住む入り江にエビス様がやってきて
食べきれないほどの豊漁がもたらされたら
そのお返しとして生け贄を出さなければいけませんでした
生け贄に選ばれる若者は美しくなければいけません
同性から嫉妬の対象になっている美しい若者が選ばれれば
同性の若者たちは反対しないからです
異性からみれば憧れの存在が生け贄になることで
悲しみや惜しみの感情がつのり
高ぶった情念が祭りを異常なほどに盛り上げるのです
お腹いっぱい食べるためには
美しい若者が犠牲にならなくてはいけないのです
生け贄に出された美しい若者の姿を思い浮かべながら
もたらされた海の幸を食べる・・・
さぞ美味しかっただろうと思います
江戸時代には廃止されたという補陀落渡海
生け贄を水に流していた名残は
人形流しなどの行事に置き換えられて
今でも色々な形になって各地に残っていますし
テレビタレントの美しい若者たちが
初めにはおだてられ
有名になったら今度は落とされて
やがて捨てられてしまうのを見ていると
あれも生け贄なのかもしれない・・・と思ってしまいますね
リモコンのスウィッチを押すだけで
見ることが出来る現代の哀れな生け贄の姿をあざ笑いながら
グビグビッと飲むエビスビールは確かに旨い!でしょ?
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