老いたらのんびり過ごそう、ネットもない田舎が良い、故郷は工業化が進みダメだ、で古民家WEB見て、~想像してました。あの大地震までです。あれから10年以上過ぎ、今まやり残したことがないか、あるならやっておこう、お金がかならない事でできる事はやってみよう。そう思うきっかけは脳も筋力の、そうです体力の衰えです。気力も体力の一部とわかります。趣味ではっきり自覚できます。趣味では有名な「葉隠」の本をパラパラと見ます。「武士道とは死ぬことと見つけたり」は有名ですが、考えるといつまで長生きできるのかは、いつ死ぬかと同じで、いつ死んでも良いように身なりを整えていたそうです。平均寿命まで~年と考えるとノンビリ過ごしてしまうが、死ぬかもと考えると、これは~と思う。これです、落ち込むのではなく、なにかやりながら過ごさないと~となります。元々の隠居生活とはそのことなのかと、趣味で体力の無さを実感した時、思いましたね。それで、格好は悪いが色々やり始めてます。「葉隠」も色々な解釈の本が出てますが、プラスに自己流に解釈して、よろしいかと!
猛暑の中、故郷の友が今年もブル-ベリ・大根・キュウリなどなど積んで車で来た。メーンはブリ-ベリ-だ。毎年だ。友とは小学校からの付き合いだ。家も近い。私は家を出たが彼は地元で働き、家族をもって今は私と同じ夫婦二人暮らし。故郷では両親も亡くなり、親類も縁遠くなっていく中で、気軽に家によって話せる友は本当に有難いと思う。故郷とて知り合いは減っていく。親類の行事も今やほぼ皆無だ。もう,誰が親戚かはおじいさんの名前を聞かないとわからない世相になった。故郷の変貌見ると美しい日本なんて、裏腹に壊してきたのが分かる。都会の一人暮らしの問題より、農村の一人暮らしのほうが、はるかに深刻です。なにも農地だけではありません。先祖代々の不動産・動産・屋敷森などだけでなく習俗・伝統‘なども、行政が見守っていかないと***餌食になります。など話したら、今までだって、なる様にこれまでなってきたから、これからもそうなるだろう、となった。確かに私も彼も、そうして過ぎていくのだろう。
猛暑の中、朝早く電車乗り継いで大東京へ、パスモ利用だ。やっとお茶の水へ、このコンクリ-トのビルばかりでは暑さも匂いが違うと感じる。まだ水田が残る地域とでは暑さの匂いがちがうのだ。大学の町は昔と変わらないが、ヘル学生の姿はない。誰が学生で誰がサラリ-マンかまったくわからん、でも歩いてるのは学生も多いはずだ。中大は移転したがそれでも学生の町には違いない。なんで、見た目で区別が出来なくなったのだろうか。学生が豊かになった(親が金持ちばかりか)とは思えない。思ったのが学生が身なり金をかけるようになったからかな~。そう思うのは、やはり物珍しき時期をこの街で過ごしたから、どうしても昔と比べてしまうのはやむなしだろう。今やこの街にはるばるくるのは大学病院の定期検査のだから、なんとも皮肉だ。この街に来れなくなる時がいずれ来るが、それまでは歩ける事とボケない事が条件だ。健康年齢は男性が73歳、女性が76歳位と言う。平均寿命の10年前だから団塊世代はもう10年を切ってます。どうも期限付きとなると気が弱くなる。電車が混まない時間に帰路につく為に街は見ない。疲れた。
どうも、若者世代が高齢者の年金福祉など負担してる、若者に手取り増やせと言って、喝采浴びてますが私は良くわかりません。今の若者が高齢者になったら、若者優先と主張するのでしょうか、高齢者の若者時代とでは今は確かに負担率は高くなってますが、それは人口が増えていれば問題なかったと思う。暴言ですが、今の若者・現役時代の少子化が原因と思う。団塊世代の若者当時は今の若者より、労働時間は長く、~休暇もなく、ノルマも多く、過酷な労働環境で働き、ローンを払いながら子供を育てきたのです。ところが年金計算式を修正されて予想額ははるかに低額となりました。今の若者の労働環境を見ると羨ましい限りです。反面、政治に無関心が増えたと感じます、それは大規模デモが見わたらない事です。外国での大規模デモは頻繁に見ます。どちらが経済を技術を伸びるかと言えば私はデモが起きない国は発展しないと思います。無関心は技術革新にはマイナスと思う。事実そうなってると感じます。問題の年金については外国のように積み立て(税方式で)徴収して、それに応じて老後に年金支給(無税にして)されるが公平と素人ながら思うが、今更出来ません。年金も世界レベルでは世界30位だそうですから観光客で高齢者が多いのはわかります。やはり子供の数の減少が問題なのだと思いますが、若者の結婚観など見ると結婚し子供を育てるが自然ではなくなりました、多様化です。私は若者層で老後の年金不安なら子供を増やす事~となれば良いと感じますが、無理な話です。もう、手遅れでしょう。考えても団塊世代は長くとも20年内にはいなくなりますから、考え無用ですが。以上は勘ですよ
昔、社会科で帝国主義を習いました。日本も大日本帝国と言ってましたが、当時は何も日本だけではなく、西洋諸国もそうでした。結果、あの世界大戦が起きれ、その後私たち世代が生まれました。学校で、帝国主義とは資本主義から発展していったと習ったように思います。あれ、今、ウクライナ・中東で戦争が起きてますし、いたるところで戦はおきていて。な~んだ社会科でならった過去の時代は、過去でなく今も続いていて今であれば大国が帝国主義と感じます。今は経済は資本主義しかありませんからそうなるのだ。静かな時代は戦と戦の間だけで、団塊世代はその間にて生きてきたから良かったと思います。思うに便利で豊かで、表では自由平等の世の中では「少欲知足」はありえないとわかります。加齢とともに仏教のその本など読むようになり、趣味の分野でのサムライの思考が、何となく、わかるように感じます。でも、憲法変えよ、平和ボケしてるとは私は思いません。なんだかんだと言っても戦に負けた相手国の軍隊の下でも、戦争に参戦せず済んだのは今の憲法のおかげです。私は自主防衛が当たり前と考えてます。その状況であれば憲法に軍事条項など必要と思いますが、今のは米軍の支配下では危なくて、とても賛成出来ません。昔からダブル・スタンダ-ドなのだから憲法9条の武力による威圧・武力行使は紛争を解決する手段としては放棄する、は現実には絵にかいた餅なのですが、餅でもいいから、生きてる間だけでもそう思いたいですね。その後は今の若者の投票結果でしょうから心配しても無用かと、選挙前に思いました。