映画で潜水艦が攻撃受けて「衝撃に備えよ!」の言葉が聞きます。正に今のご時世で日常でも「攻撃に備えよ」が必要か事柄が増えてます。自然災害はもとより、運転でも、働いていても解雇事由が正義になった。その中でSNSでの誹謗中傷が多くなってるという、オースストラリアではSNSで年齢制限っとの事。考えるとSNSで自分や家族が殴られたり危害受けるのだろうか、でも恐怖心が起こる人が多いという。大昔、自然からの災害を恐れて自然を敬い、それで宗教が生まれたと聞いたが。目に見えないSNS&電話など無視すれば良いのです。SNSを見て自ら不安にしてるわけです。かと言って不安になり自殺したり、犯罪も引き起こす可能性もあるから私がSNSは規制すべきと思う。なにもIT企業が損しても良いのです。同時にSNSの記事などに動揺しない心を強くすればよいと思う。強くする方法は古来より伝承されてますよ。目の見えないSNSの記事などには無視無関心。それには心を強くすれば良いのです、人一番神経質な私は、常にそう思う。昔から「心こそ心迷わすので、心に心許すな」とは先人の知恵はスゴイ。後期高齢者の私は備えよの第一は健康ですが
どうも、最近の務め人は、運動会・社内旅行・忘年会・飲み会・退社帰りに一杯も自由になった。いや、こうした行事が消滅した会社も多いと聞きます。あっても参加しない自由だが確かに、これらは苦になることがある。無礼講といってもさにあらんで、愚痴話もばかり~。でも、これら意に沿わないことが社会である。これらを経験しないで、なんで弱肉強食のご時世を渡って行けようか、です。出来ないことを経験なくして出来るようにはならないのです。趣味の世界でも女子と高齢者が多い、で最初から手取り足取り指導して、勝手に倒れていく~綺麗な技となるが、いざとなった時(サラリ-マンなら解雇・倒産・退職後)ときは役には立たない。痛い、みじめなど出来ないい経験なくしては会得できない。だから、見て盗めとか、自分で考えると言う。なにもかも自由で、平等で~では、残念ながら、平時(勤めなら儲かってる会社勤務中)しか役に立たない、と私は思う。昭和の考えかも、
1970年、昭和45年の11月25日に三島事件は起きた。当時はお茶の水時代でテレビで見た記憶あります。当時は70年安保、反戦運動・学生運動やベトナム戦争・中国の文化大革命など揺れ動いていた。私は三島文学は好きで読んでましたし、潮騒の舞台の島に行ったくらいだ。ネットで三島由紀夫氏の居合・大森流一本目初発力の演武見たが、申し訳ないが、もともと小柄な細い身体をいくらボデ-ビルなどで体を鍛えても修練を必要とする居合は。只、刀は素晴らしいと思った、もしかしたら関の孫六かもしれない。でもあの事件やその政治的思想には賛同できません。文学者として後世に残してほしかったと私は思います。
テレビで自転車で走る番組は好きで見てました、その方の悲報を聞いて同じ年代なのでそろそろ私の番かな~と。喪中の葉書も届いた。亡くなる方の年代が近いほどそろそろ~と気持ちが落ち込みます。この落ち込む気分になる場合がだんだん多くなっていると感じます。趣味の分野の師からこうした気分が湧いた瞬間に、腹(臍下丹田)に無限の箱があってそこにゴクリと飲み込むのだ、と。さらに楽しい事を思い出せば良い、と言う。心は楽しい事と嫌な気持ちとは同時には浮かばないのだとと。確かにそうだ。考えると楽しい事は沢山あった。それを提供してくれたのは幼かった子供や今の孫。いや私の若い時にも。楽しい事を想い頑張ろう
頭の体操と思い古文書セミナ-に通ってます。江戸中期以降大量の印刷物・書物などが全国に出回ったそうで、いまその大量の古文書などの管理保存が問題になってるそうです。テレビの鑑定団でも時折直筆の~とが登場します。私は、そうした古文書は事実だろうかと、いつも思います。家系図でもそのころ作成されたものが多いと聞く。セミナ-の講師に聞くと多方な面から比較すると言う。当時では迷信・伝説伝承・祟り・などが今より信じる人が多かたと思うのでそれらを記録してだろう。事件や出来事が全国に広まったのは、徒歩・馬・船の時代ながら驚くほど速いらしい。あれから、200年も経つか。今は全国・世界に広がるには1分もかからない。アジテタ-・プロパガンダ・陰謀論&詐欺商法などなどSNSでリアルタイムだ。となれば信じる人も多いと思う。考える時間がないのだから。有名なナチスの宣伝担当大臣「嘘も100回言えば真実になる」の100回なんてSNSのご時世では瞬時だ,100万回とて時間かからない。益々、油断も隙も無い、危ないご時世になった。先ず疑う習慣が大事だと思いますね。それには心の強さである。昔の人は強くなりたかったら先ず心を強くしろと言った。精神が弱いと腕力が強くてもダメなのだ。先人の知恵はスゴイ。