この時期になると80年前の戦争が報道されますが、殆ど戦争の悲惨が中心です。私はなんで軍部・内閣は勝率無き戦争の意思決定されたの報道があればよいと思う。其れを問えば結果責任論となるので避けてれのでしょうか。会社倒産だって結果責任は経営者ですよ。会社=法人は実在ではないので、そう思うと天皇に責任はないと私は思っています。責任は戦いを指導した軍部・内閣で、その結果責任を国民は自ら裁いていれば~。隣国からの***だって気にする必要はないと思います。 兄は14歳で当時の海軍に志願した。昭和18年には14歳から募集していたのだ(海軍特別年少兵)。兄は通信学校で暗号兵になり南方への輸送船団に乗ったが下田沖で攻撃受けた。**の海軍基地で8月を迎えた。ネットで見ると半分は戦死したらしい,兄は海軍入隊~終戦まで語らなかった。私が知ったのは兄の海軍姿の写真を見たからです。それで聞いたらポツリポツリと話しました。海上で泳いで逃げる同胞を米軍機が射撃してるのを目の前で見たのは2回だそうです。兄は反米・自主防衛です。これは実戦経験者は普通だと思う、だって敵国の軍隊は今も駐屯してのを賛成しないでしょう。私は戦に行かないと保証されてる人々には勇ましい言葉など語るなよと言いたい。兄がいた基地には物資(本土決戦に備えて)が山ほどあったそうですが、これ全国の基地でもどうしたのでしょうか。私は戦争の施設を平和記念館など頭に平和~と付けるのが不思議です。負けたから終戦になり平和になった。勝って平和になったのではない。原因を飛ばしいて結果の恩恵の~平和とは、どうもおかしいと私は思うし、反省の迂回かな。「聖書」の次に読まれてるのが「原因と結果の法則」と聞きますと、「同じ轍は踏まない」為に敗戦の原因は報道すべきと思います。どんどん情報が多すぎて踊らされそうです。用心です。
町の~文化祭などで子供連れの外国人の家族が来ます、子供が好奇心で来られると思います。~で、こうした風景は心では、なんでこんなことになったのだ、いずれ外国人ばかりになってしまう~と好ましくないと思います。異文化のモヤモヤは残ってます。それなら、この地域で外国人がい無くなったら、どうなるかです。成り立っていかないと思います。まさか、こんな風景になるとは30年前は思ってもなかった。考えるべきはこのような社会にした原因にしたのは誰だ、と言いたい。待てよ当地は半農村半工場地帯だが保守層以外の議員はいない。そうか、地域の方(全国)が望んだ姿が今なのだ。観念と思いました。昔、故郷で農家の嫁不足が問題となり、隣国から嫁に来た。当地では婿が外国人が多いように見える。その子供たちは日本語で生活します。鑑みると異国との交流なんて大昔の~歴史を見れば当たり前だったと思う。隣国の神社、地名もあります。子孫の方とて違和感はありません。海外へ移住した日本人だって同じす。そうか、時間が経て海外に移住していった日本人だって、そうなってます。だから、自然にそうなります。だって、仏教だって違和感を感じる方はいませんよ。時の過ぎゆくままに~。戦後80年なんてほんの短い時だ。男の平均寿命は81.1歳です。団塊世代はあと**年程度でしょうか。~なんてことをプラスに想像し、忙しく過ごしてますね。もう、観念すべきは観念して軽くするのも。ありです。
趣味の世界でも、女性&高齢者が多くなってます。元はサムライ時代の殺傷技術で生死の問題だから、本当に真剣に死の恐怖&生き残る術を考え思考して稽古したのかかが、書物などで浅はかな私でもわかります。生死は仏教かも。老いて身体がままならなくなると、言葉で色々言い出す人が(高段者の権利のように)多いのです。私も高齢者だが、高段者で無いものは口出しはご法度になります。見た目の所作は伝統舞踊のように華麗ですので女性の方が多くなっています。城&刀剣女子でしょうか、自由ですが目的を把握してるか私は疑問です。似てるのに国防があります。防衛力を高める意見には賛成ですが、問題は自分もその中に入れるかです。防衛は誰かに任せて、自分は女だから,高齢だから、政治家だから、は私は一番イヤな考え方と思います。いざとなったら、一太刀でも-の心得がないと、言うべきでは無いと私は思う。戦い(戦争も)はお互いに生死確率50%、それほど重い。何気ない会話だって自分が戦う気がないなら語るべきではないと思う。考えると身近な趣味でも、国防など,大小も同じ感覚だと思うと身近な趣味の老若男女問わず練習出来ます~はおかしいわけで、ビジネス的に普及しなくても良いのです。高齢者になってもやれる範囲でゼイゼイ言いながら、みっともなく練習する価値は生死の事柄だからです、と私は思う。アジテタ-・扇動者が多くなりました。高齢者が得なのは過去があるからで過去度重なるアジテタ-を見てるのでそう思います。先日の選挙で、その道のプロが再選されずに、失礼ながらド素人が当選してる事実は生死の国防などで笑えません。勇ましい女性が増えましたが私にはアジテタ-に感じるのは錯覚でしょうか。今の体育館は冷房があるのでありがたい。
私は以前、私たちの若者時代の労働環境は過酷であった、今の労働環境がうらやましいと書いたが。本当は今のほうが根本的に冷たく、大変な働き方になったと思いますね。当時は総中流と言われた。当時の企業トップの年収数億単位で数人程度と記憶してるが今は1億円以上が880人で何十億も~。その利益の源は非正規社員は40%・若者の貧困・ナドナド昔風での搾取だろう。なんてことを考えて、テレビで都会のいや当地でのコンビニの若者を見るとスマホ片手に綺麗な服装で楽しそうに闊歩してる姿を見ると、日本が若者の貧困とは想像つきません。昔は服装などで豊かさが分かったと思う、貧乏学生はわかった、服装なんて気にしなかった。それで恥ずかしいとも思わなかった、だって仮の姿だから良いのだと。私も貧乏だったからゲタを愛用してた。今の若者の服装・持ち物を見ても、若者の貧困なんか、全くわからない。多分、何にお金を使う優先順位が我々の若者時代と変わったのだと思います。昔、大東京某地下街に「バカ息子も投資のうち」のポスタ-あったのを思い出しました。高齢者の私の投資は身体と脳だ、脳には費用負担なし。若者の投資先は何だろう。今のご時世で良く聞く歌にサム・クックの-A Change Is Gonna Come-だが、変わるなら前だ、横は危ないな。
後少しで選挙で、ネットやワイドショ-で、話題の~~があふれてますが、何もSNS無き昔の選挙見ても、その時代の話題を糧に色々な政党やタレントなどが登場しては、すぐ消えてきました。昔は全国区がありましたから、なおさらでした。どのくらいの政党が生まれ、消えたのか覚えていません。今残ってる政党見るとやっぱり、経済基盤が土台の政党と思う。皮肉で使われる者と使う者でしょう。財界層と労働者層でしょうかとと。生活が政治で左右されから自然と思う。誰でも自分の立場が第一だからその立場でとはならない壁にスピリチュアルーがあります。視点をずらすのがスピリチュアルと私は感じます。ま~原因において自由な行為の反対でしょうか。爺の感じですが、当地でも外国人の増加ですが少子化で無くれば必要なかった。若者が豊かであったなら結婚減少してないと思う。現実は労働力の細々りで、だから高齢者&女性も働けとなり、次が外国人労働になったのは自然と思います。外国人は若者が多いので、健康保険だって利用率は低いだろ。など思うと、もはや外国人なくては、高齢者は維持できなくなってると感じます、なんだ、要は若者の貧困化なのか、なら反動で向かうのは**か、寂しい限りです。もう一つ高齢者になってわかったのは交流範囲が無くなることが、どんな心に穴ができるかです。日常で会う人数が決まってるのだ。当時は煩わすかった事がゼロになるとわかりましたね。そうなると怖いのが-スピリチュアルーです。氾濫してる***のささやきが色々来ます。昔から老いると四苦と言いますのは当たり前だからと思います。それを理由に余計なスピリチュアル-は自然ではないのです。と、都合の悪い事も受け入れろ勇気が、思いますね。