もう、26年も前か、1999年7月にこの世が終わる~ノムストラダムスの大予言の本は売れた。私も買った。この終末を信じた人もいたらしく、それを避けると諸々の団体が***おこなったらしい。事実は~何もなかったのだが。この終末騒動も色々~利用されて結局は儲けた人がいただけだと思います。確かに44億年後に地球が亡くなるらしいから、正しいかも。。あれから経済も落ちて行って少子化も加速して労働者不足を補うために外国人は急増していき、予想の*倍のスピ-ドで進み総人口の10%になるのを団塊世代が見ることが出来ると思う。単一民族国(外国人が5%以内)から多民族国家になるのです。反面-陰謀論も正論になり、視点正義なら暴力で物事が決まり、人の命なんて価値がなくなった。なんだ大昔の弱肉強食になった。私はどうも歴史ですが、時代が進むと文明も発達して便利な社会になっていますのは昔の農村生活を思うと、実感します。同時に封建制度・身分制度から自由平等人権尊重な社会に発展していくと思ってましたが、どうも理想の社会へとは直線で進まず、波で進むらしい、揺り戻しです。今は過去の悪の波のご時世になっていく時期でしょうかね。自由・平等・格差のない社会は善であり、に飽きて、動物本能の弱肉強食へ曲がって、痛めつけられて、曲がって元に戻り文明は進んでいくのでしょうかね。私の偏見かも。となれば止めようがありません。後は残りの時間を貧乏でもすがすがしく、生活していくことしょうか。そのように、観ですよ。
団塊世代の歌手いしだあゆみさんが亡きなった報道、75歳前後で亡くなる悲報を聞く都度、自分もそろそろかな~と感じるのと同時に遠い昔の故郷の思いが思い出します。いしだあゆみさんの歌で「~くん」があります。私の妄想ですが「~くん」は農村で農家の子供、相手は都会から事情があって転校してきた少女(歌詞で少女の名前は良子)。歌詞で「故郷の思いでそれは~くん」とあ***くん」は死んだとある。作詞の背景はわかりませんが、団塊世代の小学校時代は昭和30年代、まだ農村では電化製品は普及してません。テレビだって雑貨店にて少年ジェット&赤胴鈴之助を見た思い出がある。小学校でも給食はなく、弁当です。冬は弁当を温めるボックスがあって底から炭で温めるのです、けんちん汁などが出されましたが、母親が交代で学校で作ってくれてました。たしか小学5年から牛乳(ダッシュ粉乳だったと)とパンの給食が始まったが、パンなんて食べる習慣ないから旨かった記憶ある。同級生のほとんど 農家だ、農家でないのは役場、自営業(商店・農機具など)で、サラリ-マン家庭は1人&2人ぐらいだったと思う。当時が学校は行政区ごとだから、近くの学校ではない。家は水田地帯ため小学校までは5キロ歩いた。小学校ある町には銀行はあって、転勤で女の子が転校してきた。都会からで服装も違っていて、きらびかであった、短期間で転校したと。少女にとっては幾度の転向の1場面でしょうが、初めて見る都会の女の子だったので、今でも名前まで覚えてる。~で、何となくこの作詞のイメ-ジとつながるのだが、誰でも幼い頃の想いはあるのです。遠い昔の想いは鮮明にだが、10年前となると ̄どうも思いはバラツキダだ。男子は75歳までに25%は亡くなるとらしいが、私はまだ元気であるがいつまでか。でネットでこの歌を聞きますね
報道ですが、SNSで、宗教で神様が、占いで守護霊が、先祖の祟りが、~の記事を見ますが、刑事罰を受ける被害が出たからでしょう。考えるとツ-ルこと違えど我々が社会人式から55年間で色々報道されていましたね。ネズミ講から~最近は霊感商法と地下鉄サリン事件でしょうか。心が支配された気持ちは経験ないのでわかりませんが、さぞかし気持ちが良かったからと思いますね、私は思いますね。石川五右衛門の「浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」と同様に永遠に不滅と私は思いますね。だって、これ加害者は儲け・ビジネスで、つまり欲ですからね無くなりませんよ。当地にもリフォ-ム業者が若者ですが定期的に来ます。以前は信心すれば神様が、幸せになる、罰が~~などの勧誘に来てました。選挙の時だけ~にと言ってくるご近所さんがいました(今は無)。高齢者家庭はターゲットなのでしょう。以前マインドコントロ-ルは流行りました。多数の犠牲者・被害者が出てからです。加害者側はプロですから、太刀打ちできません。自分が加害者にならい方法は自分は騙されやすい性格と言い聞かせる事と聞いた。これが難儀です。なぜなら気持ち良くないからです。疑うのには勇気が必要です。~そんなことを考えてしまいますと、な~んだSNS選挙での群衆をみると、これもマイインドコントロ-ルかもな~と感じてしまいました。
3.11-はもう14年前だ。当時は定年後の再雇用で、給与は**‘も減額され、65歳で辞めるか、再度アルバイトとして残るか、今後は~なんて考えていた頃だ。その1週間前にもにも大きく振れた。建物が倒れるのかと思いましたね、事実棚などが倒れ、エレベタ-も止まった。帰宅してよいと社命が出た。でも私は籠城を決めた、超遠距離通勤者なのだ。若者も数人同じで早速階段で降りてコンビニで食料を買ってきてくれた(即、殻になった)。帰宅するにしても電車は動いてない。道路には歩いてる方がゾロゾロ。飲み屋などは満杯になったらしい。会社のテレビで津波&火災がされていた、そうだ姪が嫁に行った町だ(看護婦だったから大変だったと聞いた)。携帯はつながらず、都心で働いてる長男は、自宅は~などなどで一睡もせず翌朝早く、駅に向かう。駅前の定食屋で朝飯食べて(満員)。~考えるのはみな同じで。駅も電車も満員だ、JR&私鉄を乗り継ぎ~やっと自宅に戻ったのは午後2時過ぎていたかな。自宅は雨受けがずれていた、家も少し傾いたようだ。屋根が壊れた家もある。その程度であったが、故郷は激震県に指定された。2か月後に行ったがお墓は倒れ、お堂も潰れ、塀も倒れ、倒壊し家もあった、実家も納屋が崩れた。もっと困ったのが放射能被害で農産物が大変だった。知人に聞くと東京都心の会社で同僚の外国人は帰国した、なんでと聞くと、なんと米軍は放射能の流れを把握して、連絡していたのだ。14年経つも避難生活されてる方が今も終われるらしい。天災は幾度なく繰り返されてきたから、自然に戻ると思う。でも原発は回復は出来ないと思う。伝説ではアトランタ大陸があって一晩で沈み、その面影が島となって残ってるらしいとも、真意はわかりません。原発も途方もない未来で、立ち入り禁止の史跡として残ってるだろう。でも、全て団塊世代はいないのだから、心配すべきは今。
昔、社会科で帝国主義時代をを習った。今年で昭和100年ですがその初期当時は英国・仏国・米国・ロシア(ソビエト)がそうらしい、後発として我が国も。歴史の通りである。ソ連が満州に攻め込んだ・樺太千島など占領したが,、どうも上の4か国ヤルタ会談で決めたらしい。なんだアメリカとソ連(ロシア)で決めたのだとわかると、今のウクライナだって、アメリカとロシアで分けようとしてるな~歴史は繰り返しです。アメリカは日本を守るはありえないと思う。安保なんてどうして信用できるのか、です。なんで、人は戦いを望むのか~と思うと、源は欲と思います。動物とは源が違うと思うんです。欲が満たされることはありえませんよ、だから小欲知足と教えるのだろう。まして人は扇動者には騙されます。奈落の底に落ちて、良心が物欲を抑えますが、また欲が復活します。そろそろ歴史の通りになると思うんです、どうも敗戦後100年前後にはなるだろうと思えるのです。孫時代が心配ですが、団塊世代は大部分はおりません。私もいないでしょう。どうも戦争は生きる者にはさけられないと思うます。そう思うと良い時代に生まれたと思いますね。とは言え、この原則に備えてこなかったツケが孫時代が負うのだから、備えてこなかった責任も団塊世代はあると思いますね。抽象的ですが良心とて平等であるべきと思います。それでアメリカ大統領の報道を聞いて、東大の留学生人数聞いて、難民、生活保護、医療保険、私立高校授業料無料化だって、外国人の母国にいる日本人と、日本にいる外国人とは平等にはなっておらず、国内にいれば国籍問わずの考えは良心的にはなるほどと思うものの、私は不平等と思いますね。私は良心も不平等扱いに目をつぶるなら、自己満足だけと感じますね、感覚的でがね。