nobress food&drink

nobressの元オーナーが送る くだらない世界

トンネルを3つ抜けるとそこは・・・

2012年03月25日 | Weblog
寒さもだいぶん ゆるんできました

春が近いのです

お世話になった ヒートテックのアンダーウェアにもお別れです

今だからヒートテックのタイツとかアンダーウェアとかいうけど 一昔前は 

「ももひき」「さるまた」 これしかなかったのだ

うちの親父ももちろん ももひき だった

「ももひき」 あ~ 漢のロマン・・・

あの 体型に合ってくるヨレヨレ感

あの 全体がかもし出すオヤジ感

あれこそが 昭和の漢のロマンだったのだ

当然僕も大人になったらはくものだと思ってた

だけど違うんだ このくされゆとりオヤジは・・・

バイク乗るのに寒いから ヒートテックはいてる

お父さんごめんなさい 僕はあなたの意思を継ぐことができませんでした

しかーし!!! 驚くなかれ 共通点があったのだ!!!!

それは・・・・

自分の特急列車12両編成(ロマンスカーちんこ)をだす穴がついてるのだ

それがどうした??? いやいや わかってないねえ~

あの使わない穴が いずれもついてるんだよ!!

あれ 使う人いるか??? もし使うとしたら

自分のパンツに ちんこ穴がついてて

さらに ももひき(ヒートテック・アンダーウェア)に ちんこ穴ついてて

おまけに ズボンのちんこチャック穴がついてる ということは

僕の ロマンスカーちんこ・各駅停車は トンネルを3つ抜けることになる・・・

トンネルを抜けると そこは便器だった・・・・


春だな

2012年03月20日 | Weblog
今頃きがついた 梅の花が咲いていた

そろそろ桜だな 花見だな

ネクタイを はちまきの様にしめて ワンカップでも飲みながら
「課長今日は 無礼講ですよね~」とか言ってみたい

今の職種では ありえんが・・・

かなうものなら 一回でいいから泊まりの出張にいってみたい

社用車で そして高速のサービスエリアで 肉そばをたべるのだ

栃木 群馬あたりにいってみたい そして ボロ宿にとまり 夜はその辺の飲み屋にいくのだ

たまらんなあ まあ今年もキャンプ場に出張するか これもある意味贅沢だな

バンドやりてえ!!

2012年03月15日 | Weblog
高校生の頃 rag doll っていうバンドをやってた けっこう当時にしては アンダーなバンドだったんではないだろうか

時は バンドブームって時だった ジッタ リン ジン・パーソンズ・ziggy・boowy・loudness・人間椅子・・・・ いろいろなバンドが浜田にもあった
そんななか 僕たちは rolling stones aerosmith hanoirocks なんかやっていた
浮いてたんだろうな
そんな バンドの面子が facebookで再結成されようとしてる
涙がでてくる 新海君のうまいヴォーカル 純のギャグギター 小川君の正統派をめざすギター 守のタバコ吸いドラム 岡本酔っ払いベース 
5人の個性出まくってるバンドだったんだ

そこで僕がいま やりたいのがこれ!! 誰かがやってるlove psychedelicoのカヴァーなんだが かっこいいのだ 昔から andy mccoy師匠にやって欲しかったんだ
mccoy師匠 やってくれ できなんだら 僕らがやるぞ!!!


かっこいいでしょ???

ニックネーム(あだ名)について・・・

2012年03月09日 | Weblog
小学校1年生だった僕は図書室へむかった 昔から本好きな男だったのだ

そのときの事を今でも覚えてる 小学校の屋根裏みたいなところにある図書室

そこで一冊の本を紐解いた たぶんアフリカの探検記みたいなものだった

読んでいくうちに アフリカ黒人のイメージがふつふつと湧いてきた

すごかったのだ 6歳の僕には

その話の中で ガイド役の人が出た来た 名前は「ムニョキ」さん・・・

ムニョキさん さぞアフリカーナな人なんだろうと思いをはせていたら 目の前に ムニョキさんがいたんだ ああムニョキさん・・・

なんのことはない ただ黒人チックなひとつ上のひとだった

しかし彼は僕にとっては ムニョキさん 次の日から彼のニックネームは 「ムニョキさん」だったのだ

それから28年後くらいだろうか ムニョキさんに偶然あったのだ

彼は28年たっても ムニョキさんだった

「ムニョキさん」だぜ!! 今でも僕のなかでは 交流もないのに

ただ一人の男が思う ムニョキさん・・・・

あだ名とはすごいものである

中学校のとき同級生に 「ちんこちゃん」という人がいた あだ名で・・・
何のことはない 頭の形が「ちんこ」だったのだ!! しょうがない・・

去年 同窓会があった 「ちんこちゃん 来るらしいよ 名前変えようよ かわいそうだよ」
「わかった 僕らも大人だ では なまえを ちんこちゃんではなくて ペニスちゃんにかえよう!!!」

と 勇んで行ったが 結局「ちんこちゃん」 で終わった

40にもなって 「ちんこちゃん」 そりゃね~べ!! 

僕のまわりにはいろいろな あだ名のやつがいる

呼んでてかわいそうなんだ・・・

それでいて 違和感がない

たとえば 「恥垢」 (ちこう)

最低だろ!!! ちこうだぞ!!!

現に生きてる たまに会ったら「よう! ちこう!」 なのだ

中学校のときは ほぼいじめだ・・・

メガネをかけてるから「ぱぱ」

咳をよくするから「ゲホ」

「岡本君 あだ名はやめてください~~」

終礼でよく言われてた

ちなみに僕のあだ名は 「*******」 だったんだ!!!




父の味 母の味

2012年03月03日 | Weblog
先日両親が僕の店に ぷら~とカフェしにきた

自分の働いてる所を見られる事ほど 幸せなことはない
うれしい限りであった

そこで僕は何故か 父母が作る料理の事を思い出していた

母の作る料理は なかなかアナーキーなものであった

あるときなんか 遠足の弁当がなぜかマツタケ飯・・・ しかもプラスチックの赤い釜に入っていた・・・ それをみた先生が「俺のとかえてくれ」と言った

またあるときは 包んであるハンカチを開けると アルミホイルで包んだ物体がでてきた 「なんだこれは?」と思いホイルをはがすと 中からピザがでてきた なぜかナイフとフォークがそえてあった 同級生がめずらしそうに集まってきた そんな中 僕はナイフとフォークを使い ピザを優雅に食べた

なかなかpunkなははだったのだ みんなはどうか知らんが うちの食卓のサラダはいつも 刻んだ白菜だった いわゆるレタスなどのサラダがでてきた覚えがない でもその刻んだ白菜のおいしかったこと・・・

たまに田舎に帰ると 僕はある仕事をする 冷蔵庫の整理整頓だ・・・

父の作る料理は 一つしか覚えてない
アルミでできた鍋にはいっているうどんだ 母が夜いないときは父が 自慢げにそれを作ってくれた アルミのふちに口をつけて 出汁を飲むときの口の熱かったこと!!
でもそれがうまかったのだ 子供ながらにこれぞ「男の料理だな うん」と思った

そんなアルミうどんを 今晩30年ぶりくらいに食べます
両親の血を僕は確実に引き継いでいます

ありがとう!!!