恒春と書いてヘンチュンと読むらしい。ガイドブックなどで良く書いてある夜市がここにもあった。
なかなかの別嬪さんがパンを売っている。結構売れている。ロバより稼いでいそうだ。
やっぱり、大蛇がお買得のようだ。
恒春はこの辺の中心都市で街を囲む城壁の保存がよいので有名である。城壁は16世紀にオランダからの攻撃に備えるため地元の福建省出身の華人が建設した。オランダは戦国時代に日本にやってきたがキリスト教布教の為と教科書で教わったが、そんなことは誰も信じてはいない。台湾にも当然やってきて軍隊を上陸させ地元の戦士たちと激しく戦った。蛮刀と火縄銃の攻撃力の違いで一帯はオランダの支配になる。今度は城壁が地元民から町の支配者を守ることとなる。中世の都市国家が台湾にも建設された訳だ。
軍隊に兵隊がいれば坊さんも居る。坊さんの特攻隊が宣教師なのだろう。日本で有名なザビエルや風呂椅子はマカオとマニラを拠点としたカトリックの過激派イエズス会だったっけ?
そんなこともあって、台湾では多くの教会が見られた。
特にこの地方は多いように感じた。村の一等地にデンと座っている事も多かった。
さて、恒春。
さて、恒春に現存する城壁は明治の初期、日本軍(薩摩藩)からの攻撃に対応して再建されたものだ。圧倒的な日本の火力に対応できる代物なのだろう。そんなことを考えていたら牡丹社事件を思い出した。どんな事件だったのか全く覚えていない。いや、初めから理解していない。牡丹社か…。どんな会社なんやろう?
ちょっと気になる。
現代の恒春の中心地は何といってもここ。
恒春農会のビル。三ツ星レストランを備えた高級ホテルを併設している。一泊5千元かららしい。
銘を刻まれた人物は恒春の実力者なのだろう。
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