恋人に愛想尽かしを食らってからはや3年。彼女は元の恋人と一緒になったそうな。
つらいつらい中東の20か月が終わろうとしていた。この数か月はトランクに忍ばせ持ち込んだ、こんな百恵の写真を左手に夜を過ごしていた。
明日はJALバスに乗る。(注)JALバスとは当時成田ーBGW間の直行フライトをKWT経由とした為にJALがBGW-KWT間を走行させたバス。料金は航空運賃に含まれた。
客先のMHIの好意でBSRで一泊しKWTに入った。BSRのシェラトンに泊まれと言われ泊まったが、宿泊代は自己負担だった。MHIも私には金を使わない。
JALバスはBSRを出発し、サフワン国境を越え砂漠を爆走し、疲れ果てた体と心を乗せてクエートのホテルに停車した。飛行機は夜中に出発する。それまでホテルで休め。という訳だった。フロントでチェックインしていると、見慣れぬ東洋人がこちらを見ている。「おー。おまえナニシトンにゃ!」と下品な笑顔と懐かしさをたたえた楠本隆志がいた。
彼は会社からクエート政府から仕事をもらうため毎日ホテルのボーリング場に顔をだし、そこで懸けボーリングをクエート人と行い、なんとかコネを作ろうとしていた。
学生の頃はほんまによかったなあ。戻れることならもどりたいのう。と柄にもなく彼がしんみり語るのだが、唾が私の顔にかかり気色悪い事この上なかった。
俺たちは卒業後の出来事を殊更に語ることもなく、恋人の話をすることもなく、ただただ「暑いのー。暑いのー。くだらんのー。」を繰り返していた。
ほな。またどっかで会えるやろう。そやな。おー。お前、結婚したら俺のおかんがやってる宝石屋で結婚指輪でも買うてくれ。安すうしてくれ言ゆーとったるわ。と俺への別れの言葉をかけてくれた。おれはシュクランと一言返し、疲れるなあ。と笑った。
それから彼とは会っていない。
それから20年ほどして、会社のシステムを覘いていると彼の情報が出てきた。個人情報を漏洩すると、かれは大丸興業のシアトル支店長になっていた。どうやら半導体の商売が主だったようだ。その後東京へ帰ったが、会社を辞めてしまった。当時、商社の冬の時代だったから事実上のリストラだったのだろう。その後、なんと!タイの地元銀行の副頭取になった。バンコクの日系企業を訪問しまくり顔を売って、いつの間にか彼はタイ経済を語る経済人に成長していた。数年前には京都商工会議所でのセミナーで講師として招かれるほどになっていた。恐らく現在もタイと日本を往復しているのだろう。著作も相当数あるようだ。
今度、機会があれば彼と再会し嫁はんはどこの国の人やねん?と聞くつもりだ。
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