江戸時代の銀貨では、秤量貨幣として、丁銀や豆板銀があります。金貨との交換比率は金貨1両=銀60匁(225g)でしたが、小判の金純度が時代によって異なるのと同様、丁銀の純度も異なります。
今回紹介する一分銀は、名目貨幣で、一分金と同様に、4枚で小判1枚と等価とされました。
1837年(天保8年)~1854年(安政元年)に製造された天保一分銀です。製造量は17年間で7888万枚です。
重さは約8.6g、銀の純度は約98.9%です。
なお、天保時代の貨幣制度では、金一両(純金約6.4g)=銀60匁(純銀約58.5g)でしたが、名目通貨である一分銀は4枚(純銀約36g)で等価交換されていました。
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