子供は一人じゃ作れない!非協力的な夫と私の妊活奮闘記

不妊治療に非協力的な夫クマ吉とすったもんだの末に妊娠。不妊治療の様子、高齢出産、育児の様子を綴っています。

広島に思いを馳せて。

2019-08-06 | 日記

8月6日、午前8時15分。

毎年この日のこの時間、そっと黙祷を捧げることにしています。
 
仕事をしていた時もこの時間になれば心の中でそっと黙祷をしていました。
 
 
74年前の今日、午前8時15分。
広島に原爆が落ちました。
 
 
日本は世界で唯一の被爆国です。
 
 
 
かれこれ10年ほど前に90歳で亡くなった祖父からは、ことあるごとに戦争体験を聴いて育ったクマ子。
 
 
祖父は真剣な眼差しで重々しく戦争を語る、、、
 
のではなく、「昨日道でこけちゃってさー」ぐらいの、あっけらかんとした口調でいつも壮絶な体験を話してくれました。
 
 
 
いくつも「死」の局面を生き抜いた祖父。
 
 
74年前の今日のこの時間は兵隊として福知山市に駐屯していたそうです。
 
 
夏の青空が広がるとっても良い天気で、空を見上げていた時のこと。
 
 
見慣れない飛行機か頭上を飛んで行くのを見て「きれいな飛行機だなあ」なんて呑気なことを思っていたそうです。
それが原爆をこれから落とす飛行機だとも知らずに。
 
 
 
それからしばらくして何かが起こり、遠くで黒々としたいわゆるキノコ雲が湧き上がってるのを見ることに。
 
 
「それで頭上を飛んで行った飛行機がB29だとわかったんだよな」と良く言っていました。
 
 
 
私たちは戦争を知りません。
壮絶な体験をした祖父母世代からいくら話を聞いたとしても、実体験がない限りその本当の悲惨さを身をもって知ることがありません。
 
 
だからこそ、戦争という大きな犠牲の上で今の日本の豊かさ、平和が築かれているのだと見聞きして感じ取ることが必要だと思います。
 
 
 
中学校の時、兵士として戦争を経験した方を招いて話を聞く授業がありました。
 
 
穏やかに語られる兵士としての戦争体験。
と、急にその方が言葉を詰まらせ、泣き始めました。
 
そして絞りだすような声で言ったのです。
 
 
 
「私は、、、人を殺しました。」
 
 
 
上官の命令で敵兵を槍で殺したそうです。
殺したくなかった。
けど上官の命令に背けば自分が殺されるー
 
 
無我夢中で突進したー
 
 
 
「このことは今まで誰にも語ることができませんでした、、、、初めてこのことを人に話します」
 
 
 
その方は命令であっても人の命を奪ってしまったことをきっと今になっても後悔していたのでしょうか。
 
 
 
 
その方の話を聞いて当時のクマ子も思わず泣いてしまいました。
戦争というのはあまりにも惨すぎるー
そう感じてしまって。
 
 
 
 
先日亡くなったジャニー喜多川氏もおっしゃってましたよね。エンターテイメントを楽しめる世の中というのは平和な証拠、だと。
 
 
 
その通りだなと思います。
 
今私たちが毎日暑いなーと冷房の効いた部屋でアイスコーヒーを飲んだり、
映画を観に行ったり、
遊びにでかけたり、
恋をしたり、
結婚生活で悩んだり、
スマホ中毒になったり、
好きなことが見つからない、と嘆いたり
 
 
そんな日々の当たり前のことができるのは戦争がないから。
 
 
 
この令和の時代が平成に続き平和な時代となることを心から願い、広島に思いを馳せています。