あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

歌会La vie ~オリジナルを歌ってなんぼ

2022-10-11 | ライブレポ

「歌会~La vie」に遠方からも

お越し頂いた。

晴れならばお庭でもお茶ができる

けれどあいにくの冷たい雨。

初めての方に道順が分かり

にくいかもと余計な気をまわし、

園芸用の札をアマゾンで調達して

表示に使った。

が、あまりに小さい。

存在に気づいくれた妙さんに受けた。

専用チョークで「スペース游悠」と

何度も書き直したけれど

「游」はニスイじゃなくサンズイ

だったのね。

今回のライブはカバー曲しかも

英語の比重が高い選曲になった。

「ええにょぼ歌会」というタイトルに

ダンソンジョヒ的な不快や

違和感を覚える人がいて変更した。

「歌会」はべたな日本語で

サブタイトルがフランス語。

なのに英語の歌が多い時点で

大丈夫かなという一抹の不安が

よぎったのは確か。

La vieは「命」とか「人生」の意味。

サブタイトルにつけた。

それに当てはめようとすると

オリジナルでは重たい。

それに自分にとっては新鮮味も

なくなった。

心配した声の状態は戻って

本番を迎えられたのはよかった。

難曲「あなたの愛につつまれて」も

最初のブレスがいまひとつながら

歌いきれた。

が、「自分のチャレンジ」は

お客様には関係のない部分だ。

ご来場下さった方から

「人が一生懸命作った歌を

ほかの人が歌うのは好きじゃない」

と指摘を頂いた。

確かにその通りだと思い知る。

昨今ではカバー曲を配信したり

ステージで歌う人は多い。

才能豊かなシンガーソングライターが

続々と登場しているのとも相まって

もはや時代がかった自分の

オリジナルは通用しない気がする。

「歌手活動」にシフしょうとしていた。

けれどヴォーカル力のあるプロは

いくらでもいる。

アマチュアなりの懸命さが

無くなったと気づかせてもらった。

たかが歌うだけなのだけれど、

思いの部分があってこそ届く活動。

そのうえで完成度を上げてやっと

どこかに届くというもの。

この人生の時間切れまでに間に合うの

でしょうか・・。

ライブ全体としては好評だった。

前夜の「オープンマイク」で

たまたま席がお隣だったKさんに

「次のライブはいつ?」と聞かれた。

「明日です」と答えたら来てくださった。

「ぞうさんカフェ」が取り持つ縁に感謝。

そもそも今回は写真家の

宮角孝雄さんが妙さんのスタジオを

見たいと言われたのがきっかけ。

宮角さんのお友達が妙さんの

お父様と大昔に交流をお持ちで

びっくりだ。

あるいは湯来町の方がおられた。

顔とお名前が一致しないけれど

ご案内したらば来てくださった。

はたまた、ブドウ狩りをしていたら

雨になったのでライブに来た

という三次市のご夫妻もおられて、

縁ある方が集った。

皆さんロケーションともども

楽しんでもらえたと思う。

音響の洋琴庵さんには今回も

お世話になった。

とても歌いやすかった。

妙さんのソロを2曲お願いした。

妙さんのピアノは正確で繊細。

アピールすることも

委縮することもなくナチュラルだと

いつも思う。

華麗な指さばきを見ていたら

歌うのを忘れそうになった。

で、先ほど届いたライブ動画を

母と見た。

「ラストシーン」を前のめりで聞く母。

「あんたが作ったんか?」と

嬉しそうだ。

が、方やカバー曲になると「長いの~」

と退屈そう。

背もたれに体を預けて関心がない。

母の様子を確認するでもなく、

色々な意味で私にとっては

カバー曲はパワー不足と認識した。

歌作りの基本・素養はない私だが、

今後はオリジナルの完成度を

上げつつできうるならば、

自分の気持ちにフィットする曲を

宇宙からダウンロードしたい。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 幸せ時間の共有をめざして | トップ | 処女作「祈りの大地」誕生の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿