あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

コロナで飛んだ盆休み

2024-08-14 | 半径30メートルの事件

私にとって最大の山場だった

「原爆の日」のステージ出演を

乗り切った。

7日起きたら全身が痛んだ。

肩や背中。

一番痛いのは股関節と尾てい骨で

身体の重みが両足にのしかかり

脚が前に出ない。

隙間時間は4時間。

週末三連休になる前に整体へ

駆け込むことができた。

手を下腹部にかざされると

なぜか込み上げた。

何かありましたか?と聞かれて

きついヒロシマをテーマに

歌うライブが2本あったと伝えた。

何年か前にも身体全体が痛んで

調整に来た時に同じように、

泣けてしかたなかった。

あの時は原爆資料館の

リニューアル直後で母と入館。

刺激が強すぎて二人とも

疲れ果てて意気消沈した

直後だった。

身体の不具合が心のしこりに

関係あると知った。

心のしこりがとれて

身体のねじれもとれた。

身体がほぐれた。

が、帰って車から降りると

もうこわばっていた。

熱も出て来た。

階段の上がり下がりもきつい。

あえぎながらなんとか

丸二日やり過ごした。

風邪はまずひかない。

ひいたとしても一晩かせいぜい

二晩で治る。

今回はとにかく筋肉がつっぱり

全身の関節が凄く痛い。

あまりに全身が痛くて眠れない。

3日目になって変だと思った。

通常の風邪ではなさそうだと。

コロナを疑った。

イベントに出かけた時に

マスクをしないのかと聞かれて

マスクには懐疑的と答えたけれど

「した方が良いかな」と一瞬

思ったっけな・・。

そのままお盆休みになったが

何をするにもおっくうで

動作上、身体をちょっと

傾けただけで尾てい骨に

激痛が来たりした。

口の中に苦い味が広がり

食欲がない。

あれほど汗かきだった私が

エアコンのない2階で日中

寝ていても全く汗が出ない。

ほぼ寝たきりで4日目。

40年間見たことない体重まで

下がっていた。

母が不自由な脚で2階まで

様子を見に来た。

コロナかもしれないから

来ないでと言うがピンと

来ない母は私のどこが不調かさえ

すぐに忘れる。

「コ・ロ・ナ!」と断言してみた。

「コロナ~コロナ~」と重大さの

みじんもなく歌う母なのだった(爆)

母も脚が以前より痛むという。

覇気がないし食欲もない。

うつしたかもしれない。

心配した妹が片道1時間

掛けて来てくれた。

体温計を持参してくれたから

分かった。

37,1の微熱だった。

妹が滞在した2時間の間に

差し入れでだいぶ元気になった。

母と私と麻呂にもご飯や

おやつを食べさせて、

麻呂のおしっこ、おしめ替え

洗濯、鯉のえさやりをしてくれた。

凄い勢いだ。

私がやって来たことでもある。

疲れるわけだと思った。

急に身体に力が出て来たので

5日ぶりに一緒に畠へ。

完熟トマトがたわわに実り

オクラは育ちすぎて

食べられなくなっていた。

妹のおかげで5日目は痛みが

急に収まった。

が、ボチボチ治るとふんだ6日目の

夜から喉がありえない痛みに。

通常の風邪じゃないと確信した。

7日目、覇気のない母を検査に

連れて行くことに。

母が陽性なら私も陽性ということ。

検査できるので9時以降に

来て下さいとのことで

病院へ行ったら聞いていないし

今日からお休みで検査はできない

と言われた。

ダメ元で別の病院に電話。

お休みだが検査しましょうと

言ってもらえた。

母だけ検査してもった。

コロナ確定。

ごくごく軽いとのと。

ウイルスが微量なのでしょう。

2,3日様子を見るようにと

薬が出た。

来月89歳になる母は内臓疾患が

ないので食欲と筋肉痛が

戻れば大丈夫そうだ。

私の症状は長引いている。

ウイルスを大量に浴びた

というより免疫が落ちていた

のだろう。

楽しみにしていたお盆休み。

何をするわけでもないが

ゴロゴロしたくて「後少し」

と自らを奮い立たせた

最後の一週間だったが、

貴重な夏休みが無為に

過ぎて行くのは実に残念だ。

コロナの場合は読みづらいが

完治まであと少しと信じたい。

 

 


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