逍遥日記

経済・政治・哲学などに関する思索の跡や旅・グルメなどの随筆を書きます。

授業「アジア経済論」の概要-インド経済-

2019-01-27 22:41:04 | 経済
授業「アジア経済論」の概要
                              和洋女子大学国際学科教授・山下景秋

●1月24日の授業-インド経済-
(1)歴史
 第2次大戦後、南アジアはイギリスから独立した。その際、インドはヒンズー教徒が多くパキスタンはイスラム教徒が多いので、分離した国家として独立した。その後、パキスタンは、経済的・政治的優位にある西パキスタンと劣位にある東パキスタンの間の戦争により分裂し、東パキスタンはバングラデシュとなった。

(2)混合経済体制から経済自由化へ
 インドは独立当初、混合経済体制をとっていた。公的部門の比重大→貧困問題が深刻だったので経済を国家が管理→重要商品の価格統制、小企業保護、解雇の制限。また、外国企業の進出を規制。
 ところが、80年の湾岸戦争→石油価格↑→輸入額↑。またアラブ諸国へのインド人出稼ぎ者からの仕送り↓→石油輸入国・インドの経済↓
→(91年から)新経済政策の実施→経済開放、経済自由化→輸入の自由化、民間の経済活動の比重↑、外国企業の進出↑

(3)IT産業の隆盛
 インドの急成長を支えているのはIT産業である。
 もともとインドは、数学教育・コンピュータ教育が盛んでレベルが高い。
 また、英語ができるので、注文を受けやすい。しかも低賃金。政府や大学からの支援もある。
 90年代アメリカでIT革命→アメリカの大学院で学んだインド人による起業。
 2001年の同時多発テロ事件→アメリカが外国人へのビザ発給制限→インド人IT技術者の帰国→IT産業成長(ソフトの輸出)。また、ITを利用したアウトソ-シング(特定業務の受託サービス)↑→アメリカ企業が夜になったら仕事の続きを請け負う。
→中間層↑→住宅・自動車・電気製品の売り上げ↑→さらに経済成長。

(4)課題
①インフラ整備
②貧富の格差…ヒンズー教徒のカースト制度(職業・身分の世襲)、差別されるイスラム教徒、農村部の貧困。



1月26日(土)のつぶやき

2019-01-27 06:07:51 | 哲学

授業「アジア経済論」の概要-東南アジア-

2019-01-27 00:32:57 | 経済
授業「アジア経済論」の概要
                      和洋女子大学国際学科教授・山下景秋

●1月10日・17日の授業-東南アジア経済

(1)東南アジアの発展過程
 東南アジアの発展が遅れた理由→①タイを除き欧米の植民地だった。②第2次大戦後の独立戦争(特にインドシナ戦争)による疲弊。③社会主義勢力の伸張と(ドミノ理論による)資本主義勢力によるその阻止→ベトナム戦争→ポルポト派による虐殺→カンボジア内戦
→国土の荒廃と人口激減。
④フィリピンやインドネシアなどにおける政府軍と反政府軍の対立→リスク高い。また、欧米・日本による経済支配を嫌がる→外国企業の進出困難。⑤一次産品輸出依存と輸入代替(製品の輸入を抑えて自給)政策→工業製品の輸出の必要なし。
 しかし、70年代のオイルショック→石油価格↑↑→石油を輸入する欧米・日本の経済↓→80年代、石油需要↓・一次産品需要↓→石油価格↓(逆オイルショック)・一次産品価格↓→(石油・農産物輸出依存の)東南アジアの輸出↓→タイやインドネシアなどの経済↓→経済転換の必要→(日本・台湾・韓国・中国の発展モデルを参考に)外国企業の進出を奨励。
【★オイルショックは、(米英が支援するイスラエルと対立する)アラブ諸国が発動したものだから、米国資本主義陣営に対する第3勢力(+資源主権)の台頭、またプラザ合意は米国資本主義陣営の中で伸長する日本経済を抑え込もうとした米国の思惑による】
 また、「日本→アジアNIES(韓国、台湾、香港、シンガポール)→中国」の発展→賃金↑、さらにまた、(85年)プラザ合意→円高加速(+韓国ウォン高、台湾ドル高)→輸出困難
→対策として、日本とアジアNIES企業の工場が東南アジアに移転→工業化と製品輸出↑
 さらに、ベトナム戦争終結(75年。共産勢力勝利)、カンボジア内戦終結、インドネシアやフィリピンの反政府共産勢力↓→政治的安定・民主化(フィリピン86年・インドネシア05年)→企業進出のリスク↓、また中国の賃金↑→中国にある日本・アジアNIES ・中国の企業の多くの工場が東南アジア(東南アジアは親日的)に移る→特にインドネシア・ベトナム・フィリピンの工業化↑→成長。
 そしてASEAN(アセアン。東南アジア諸国連合)→加盟10カ国の間で貿易と投資の自由化を目指す、またインドシナ半島の東西・南北を結ぶ道路の完成→木材などの搬出↑、また賃金↑のタイから低賃金のカンボジアなどへ工場が移転→他の加盟国への輸出↑→成長。

(2)東南アジア各国の経済
①シンガポール(+香港)は貿易の中継港と貿易に関する金融で発展。
②タイは、米・砂糖・トウモロコシ・天然ゴム+ブロイラー・焼き鳥(日本へ輸出)など農産物(+加工品)の生産・輸出↑→財政収入↑、国内市場↑→輸入代替産業↑
ところが、80年代、石油価格↓、農産物価格↓→貿易赤字↑、農村不況→輸入代替産業↓→財政収入↓→外国企業の進出を奨励→日本・アジアNIES企業が進出→自動車・電機・電子製品の生産・輸出↑→最近は、自ら自動車・部品を生産→成長・発展。
③ マレーシアは、マレー人61%・中国人30%・インド人8%→農村に集中し貧しいマレー人支援政策→ブミプトラ政策。中国系資本に依存しない工業化のため→外国企業の奨励→(70年代から)輸出志向工業化、また隣国(賃金↑→)シンガポールからの工場移転→工業化
④ インドネシアは、人口2億4千万ぐらい(日本の2倍)、しかも平均年齢若い→生産能力↑、消費意欲↑。また、石油・天然ガス・石炭などエネルギー・鉱物資源、天然ゴム・コーヒーなどの生産・輸出豊富。日本(石油などを確保する目的など)・アメリカからの援助。
 石油依存型経済開発→しかし、石油輸出↑→通貨ルピア↑→工業製品の輸出困難→長い輸入代替工業化政策の時期→しかし、逆オイルショック→石油価格↓、プラザ合意→外国企業奨励→(繊維製品・合板・履物・家電など)製品輸出↑
⑤ベトナムは、ベトナム戦争終結→中国支配を嫌いソ連の援助に依存→しかしソ連経済↓→援助↓。(86年~)ドイモイ政策(→経済自由化)。カンボジア駐留ベトナム軍の撤退、ASEAN加盟、米国・中国との国交正常化→国際機関・欧米日本からの援助↑→外国企業の進出
⑥ミャンマーの民主化→アメリカの制裁終了→低賃金かつ識字率高い→日本がインフラ投資→日本企業などの進出→成長。

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