逍遥日記

経済・政治・哲学などに関する思索の跡や旅・グルメなどの随筆を書きます。

政治主導の問題

2020-08-16 11:57:47 | 政治
政治主導の問題
                                                        山下景秋

 官僚は選挙で選ばれたものではないのに対し、政治家は国民から選ばれたものである。
 だから、民主主義国家では、政府・内閣が官僚を支配するのは当然であり、人事を支配するのも当然であるという考え方がある。しかし、政治家の言動に官僚が100%従ったり、内閣が官僚の人事を支配するのは、問題があるのではないか。
 確かに、政治家は選挙で選ばれたものであるが、国民はその政治家の信条や公約に基づいて投票したものであり、その選挙の結果国民の多数の意見がその部分で反映されたものであると言える。
 しかし、国民は、選挙の後予想もできない事柄が起こった場合の政府の政策や、政治家が倫理的道義的に許されないことを将来行うことまでを含めて投票したわけではないことに注意しなくてはならない。たとえば、前者の例として政府のコロナ対策など、後者の例として森友問題や河井氏の汚職問題などがある。
 これらの問題が将来発生するだろうことを予想して国民が過半数の支持を与えているのならまだしも、そうとは思えないことに問題がある。
 しかし、内閣が官僚人事に介入している体制の下では、政府の政策が国民の過半数から支持されない場合や問題が多い事柄であっても、政府は人事をちらつかせて官僚に対してその同意や推進を命じる可能性がある。また官僚が政府の感情を害さないように忖度した対応をせざるをえなくなることが問題なのである。
 官僚を巻き込んで、国民多数の同意を得ない政策が実行・実施されるに至ったり、国民の多くが疑念をもつ事柄が放置されるような事態は、本当に民主的で望ましい政治主導といえるのだろうか。だから、私は官僚人事に対する政府・内閣の過剰な介入は、批判されてしかるべきものだと考えるのである。
 


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