柔道・武道 歪んだ柔道界・マスゴミ

柔道は部外者では計り知れない腐った世界を少しでも知ってもらい正していければと想い日本の道徳や常識も含め書いていきます

筋違いな勘違い&困ったネット番長 言論の自由は私も賛同しますが

2013-02-03 03:14:04 | 日記
柔道部・隠ぺいされる暴力(中) ~拝啓 山下泰裕様~

http://www.janjanblog.com/archives/45053

此の頭の悪い悪文を書いた輩が被害者面の会に居たのですが
呆れた事に自分で書いたと言うだけで実際は「三上英次」と称する全く別人がの
明記・・・

幾度も私にだけ実名で高段を金で買っている話を書かせてくれとか抜かし
自身=村田は実名も出さず柔道事故被害者面の会にベッタリで今迄、少し書いてきた被害者面の会の異常な事実(他ではもっと詳しく書いてはいますがHAhahaha)をも明かし高段者だけでは無く昇段=初段から全てに問題と言う言!
実際に私と取材に行けば事故の原因が簡単に解ゆ故に彼方此方の道場学舎に出むこう
にも一切、無視したり筋違い以下のガキの言い訳のやうなメールをよこし最後には
逃げてしまう自称ジャーナリスト

此の最低な筋違い=マスゴミと言うのなら確かにその通りの馬鹿丸出しの私以上の悪文を読んでみてください。

山下に難癖付けて何になるのでしょうや!
それこそ、全柔連若しくは同じ長ですが講道館に対し抗議や取材をするが本筋であり常識を

「山下にネットで問い掛けたが回答も無い!最低な人だ」

と豪語できてしまう(゜Д゜≡゜Д゜)?な村田・・・

また、幾度も筋違いを私的しても「山下は神奈川県の長だから関係ある!!!」

一般的な日本の社会で高学歴(地位もある)の知人・教員等々にもそのメールを読んで貰いましたが、一様に呆れていました。
では、不快極まりありませんが転載しますので、これ以上読んで見たい奇特な方は御随意に



【2011年 7月 4日 17:25【取材ニュース】 <スポーツ> <事件> <人権> <教育>
三上英次

前回記事 ⇒ http://www.janjanblog.com/archives/44586

 

拝 啓

 過日 あなたの母校、東海大相模高校を訪れた時、柔道場にあなたの顔写真を使った「日常生活でもフェアプレー」のポスターが貼ってあるのを見かけました。

 思えば、19歳での全日本選手権大会初優勝、現役引退までの203連勝、ロス五輪(1984)での怪我をおしての金メダル……と、私もあなたの活躍に歓喜して声援を送った者の一人です。

 さて、2012年からの学校現場での武道必修化を前に、柔道界は重いテーマを突きつけられています。すでに柔道関係者の間でも、広く明らかになっている柔道にまつわる死亡事故です。

 事故原因を探る中で、〈加速損傷〉という受傷のメカニズムが明らかになりました。第1回柔道事故シンポジウム(2010年6月)では、スポーツドクターの野地医師から、柔道指導者を対象にした安全講習会(2010年10月)では正木照夫8段から、そのことについて言及があり、柔道界においても〈加速損傷〉は周知されて来ています。

 

   ◇◆◇回転運動を伴う他のスポーツ競技等について◇◆◇

 たしかに〈加速損傷〉は指導者が注意しなければいけない症例ですが、ここで2つのことをよく考える必要があります。

 ひとつは、頭部の回転運動を伴う運動は、柔道以外にも多くあるのに、それらの競技では〈加速損傷〉による重篤な事故は報告されていないという事実です。たとえば、フギュアスケート、トランポリン、飛びこみでは、見た目にもわかる激しい回転運動が見られますし、合気道や少林寺拳法でも柔道と同様の投げ技がありますが、これらのスポーツや武道では、柔道のように27年間で110人を超える死者は出ていません。それはいったいなぜでしょうか。

 もう一つは、他の柔道国との比較です。柔道で見られるような投げ技そのものに危険な因子があるのであれば、合気道などの他武道でも、またほかの柔道国でも類似の死亡事故が起きていてもよいはずです。



東海大学相模高校柔道場に貼られた山下泰裕氏のポスター。もし、同校柔道部を舞台に集団暴行事件が起きていたとしたら、それを学校や柔道関係者が表ざたにしないことは果たして「フェアプレー」と言えるだろうか。特に集団暴行に関わった部員がかなりの人数の場合、当然、総監督ら指導者の責任も問われることになる。また、事件の隠ぺいを、学校長も指示したり了解(黙認)したりしていた場合、学校長らの責任問題も生じて来るだろう。(撮影・三上英次 以下同じ) 
 例えば、あなたは柔道大国フランスについて次のように書かれています。

 「フランスではサッカー、スキー、柔道が三大スポーツとまで言われている。私も何度となく試合や遠征でフランスを訪れているが、子供から60歳以上のお年寄りに至るまで柔道で汗を流している姿に接し、いつも感心している。ついつい日本と比較してしまい、どっちが本家か疑いたくなるような時もある。」(『黒帯にかけた青春』P239)

 そのフランスですが、柔道連盟会長ジャン・リュック・ルージュ氏はテレビインタヴューで「フランスでは柔道を教えるために国家資格が必要である」「その資格は、高等教育の後、2年間勉強して得られる、レベルの高いものだ」「一番大切なのはレベルの高い柔道指導者である」と述べています。

 また、昨年9月、東京で開催された世界柔道選手権大会では、海外の柔道関係者への「柔道で死亡事故は何件ぐらい起きているのか?」という質問そのものが、相手に全然理解されなかったということを、「全国柔道事故被害者の会」の小林会長は語っていました。

 つまり、海外では、指導者の質が重視され、資格化され、それらの取り組みの結果、柔道の安全性が保たれているわけです。そして、当然のことながら、「指導者の質」とは、「現役時代のメダルの数、大会実績」でないことは言うまでもありません。

 

   ◇◆◇〈加速損傷〉以外の、もうひとつの要因について◇◆◇

  上に述べたふたつから、日本の柔道死亡事故の原因の一つとして、指導者の暴力的指導や、道場での暴力を容認(黙認)する空気があることが、指摘できるでしょう。子どもたちが、体力以上の練習を強要され、ふらふらになる中で、安全面を考慮しない投げ方をされて〈加速損傷〉等による重篤な事故が生じているとすれば、〈加速損傷〉以上に、子どもたちに無理な練習を強いる指導者の姿勢や暴力的な指導にこそスポットを当てるべきではないでしょうか。

 最近の死亡事故で言えば、滋賀県秦荘中学校での村川康嗣君(当時12歳)の例〔2009年8月〕があります。母親である、村川弘美さんはテレビのインタヴューに「息子は指導者に殺された」と答えています。村川君が柔道場で昏倒するまでの経緯を聞くと、村川君が受けていたのは、柔道の指導などではなく、「柔道に名を借りたリンチ」との印象すら持ちます。

 また、横浜市立奈良中学校では、柔道部の顧問による暴力的な指導は、生徒の間では、ある隠語で呼ばれるほど、周知の事実であったようです。そして、同顧問は、当時、気にくわなかった男子生徒に対して、校門で待ち構え、男子生徒を無理やり柔道場に連れて行き、練習と称して、男子生徒を締め落としています〔2004年12月〕。その顧問の教諭は、講道館杯柔道大会での優勝者と聞きますが、この事件は、大会での優勝実績と指導者としての資質とがまったく関係ないことを皮肉にも露呈することになりました。

 もちろん、そのような暴力的指導は、柔道の指導者の中ではごく一部かもしれません。ひとつの仮定として、指導者全体の1%とか、0.1%という数字を想定してみましょう。しかし、それがたった1%に満たない数字であったとしても、暴力的指導を繰り返す指導者に当たってしまった子どもにとっては、月曜日から日曜日まで、年間365日、朝から晩まですべてが、暴力に支配された逃げ場のない状態なのです。



東海大学相模高校の柔道場。練習環境としては申し分ないが、もし、同校柔道部関係者らが、部員らによる下級生への凄惨なリンチ(集団暴行事件)を、外部に口外しないように指示していたとしたら、そのような指導者のもとでは、嘉納治五郎氏がめざした「柔道による人間教育」は到底不可能であろう。
 たとえば、柔道で強くなりたいと親元から離れて寮生活を送っている子どもたちがいます。女子生徒の中には、指導者に入浴中をのぞかれたり、意味もなく抱きつかれたりして精神的に傷つく者もいるのです。

 暴力的指導のもとで、日々おびえながら柔道に取り組んでいる子どもの声を、かつて私は記事にしました。自宅から通っている場合ならまだしも、寮生活などを送っている場合、彼らは自分たちの受ける理不尽な暴力を、どこにも訴えるすべがありません。

 たまに家に帰って、そのことを親に言っても、親からの訴えすら指導者には届かないのです。私が見聞きした例として、こんな話があります。ある指導者は、親からの申し入れがあった翌日、子どもたちを集めて次のように言いました――。「きのう、こんなことを言って来た親がいる。オレの言うことを聞けないのなら、練習に出なくてもいいから、さっさと帰ってくれ。」

 柔道の「スポーツ推薦」で進学したような者は、寮を出ることは柔道をやめることを、そして、柔道をやめることは学校をやめる、すなわちその先の進学をあきらめることを意味します。ですから、彼らは、柔道部にまつわる不条理についてどこにも訴えられないまま、その不条理に耐えて「大会で結果を出す」しか選択肢が無いのです。

 

   ◇◆◇殴らなければ強くならないのか?◇◆◇

 ぜひ、あなたに聞いてみたいことがあります。それは、柔道という武道は、鉄拳や愛のムチ、具体的には平手打ちや拳骨(げんこつ)で殴ることをしなければ選手が育たないのか――ということです。

 あなたは著書『黒帯にかけた青春』(東海大学出版会、1986.10月出版)で、生徒を殴ることを容認している箇所があり、私はいささか気にしています。同書では、あなたの学生時代のエピソードが紹介されていました。

 授業中にざわつく学生たちに向って教員が注意します。

 「君たちのような者が教師になるから、中学、高校の体育の先生というのは満足な生徒指導もできず殴ることしか能がないのだ!」

 この発言を「許せなかった」と思ったあなたは「立ち上がって反論」する様子が書かれています。「先生、その言い方はおかしい、確かに体育の先生は殴ることしかできないかもしれない。しかし、僕がこれまで習った先生のなかには授業しかできなくて、生徒を殴ることすらできない先生がいた、勉強しかできなくてほかに何もできない先生よりましではないですか!」 (同書P228)

 多少言葉を補えば、あなたは「勉強(教科指導・授業)しかできなくてほかに何もできない先生(例 生徒を殴ることのできない教師)よりは、殴ることしかできない体育教師でもましではないか」ということを学生時代に言い、そして、そういうエピソードを著書の中にわざわざ紹介しているということは、その考え方を、少なくとも著書の出版年までお持ちであったということを意味しています。柔道を学ぶ青少年の見本たるべきあなたが、もし現在も「暴力容認」の考えをお持ちであるとすれば、それはたいへん残念なことです。

 熊本市立藤園中学の1年生だったあなたに向かって「お前が戦う相手は世界だよ」と言って指導して下さった白石礼介先生は、どのように指導して下さったのでしょうか。やはり、こぶしや平手で子どもたちの顔面を殴ることで強い選手を育てられたのでしょうか、ぜひ、実態についてお聞かせ願いたいものです。

 さらにひるがえって、柔道の創始者・嘉納治五郎氏は、一部の柔道指導者に見られるような暴力で、門下生らに気合を入れていたのでしょうか。嘉納氏の著作を読む限りでは、そのような指導はうかがえません。逆に、将来を担う青少年に対する敬意や慈しみの情すら感じ、私は深い感動を覚えました。

 また他の武道や技芸を考えてみても、剣道、弓道、なぎなた、茶道、華道などで、指導者が門下生の顔を平手打ちするような話は寡聞にして聞きません。もし、柔道の創始者が認めていなかったような指導法が現在の柔道界の一部で横行しているとすれば、そのような指導法は、柔道界全体で、相当な決意をもって根絶しなければいけないと考えます。 



柔道場に貼られた別のポスターと〈脚下照顧〉の貼り紙。特に、〈脚下照顧〉とは、指導者にあっては道場出入口で靴をそろえる程度のことではなく、指導者として自身の行動をふり返るということである。例えば、嘉納治五郎氏がまだ存命だとしたら、やはり名門柔道部内の集団暴行事件を隠ぺいし、インターハイ等の対外試合を優先させるだろうか?
   ◇◆◇柔道界の〈ねじれ現象〉の解消を◇◆◇

 かつて「全国柔道事故被害者の会」の小林会長にお話をうかがった時に、たいへん興味深いことを聞きました。

 「現在の柔道には、競技スポーツの側面と、人間教育の側面とがある。本来は、嘉納治五郎氏が唱えたのは、人間教育としての柔道だったのに、今は、競技スポーツの選手として、つまりアスリートとして競技して来た柔道選手が、大会実績を胸にさげて、小中学生に柔道を教えている。アスリートとしての彼らは、自分たちがアスリートとして育てられてきたから、アスリートの育て方しか知らないし、関心はどうしても大会での試合結果になってしまうのです」

 だいたいこのような趣旨ですが、それは誠に正鵠を射た指摘だと思います。現に、2010年11月に、入門してわずか3ケ月の小学1年生が吐き気を訴えているにもかかわらず、柔道指導者は「ここでやめたら根性がつかなくなる」と、練習を続けさせて、男児は死に至りました。おそらく、その指導者は、自分の選手生活をふり返って、「苦しいところでやめさせないこと」が、“すぐれた指導者”だと勘違いしたのでしょう。

 奇しくも、あなたの著書にも、こんな記述があります。

 「『スポーツ』という言葉は日常、誰でも口にする言葉だが、目的によって同じスポーツでも内容が違ってくる。大別すれば健康づくりを主とした『生涯スポーツ(健康スポーツ)』と勝つことを目的とした『競技スポーツ(チャンピョン・スポーツ)』に分けることができる。私はこれまでやってきたのは後者のチャンピョン・スポーツである。オリンピックや世界選手権はこのチャンピョン。スポーツの檜舞台と言ってよい。」(『黒帯にかけた青春』P247)

 競技スポーツ(チャンピョン・スポーツ)での名選手が、生涯スポーツ(健康スポーツ)の優れた指導者になることができるかは一概には言えません。同時に、本来、初等中等教育で必要とされるのは、競技スポーツでのアスリートを育てられる指導者ではなく、生涯スポーツや嘉納氏が目指した人間教育としての柔道の指導者ではないでしょうか。

 あなたはかつてNHKのインタヴューで、その両方、つまり人間教育としての柔道の指導ができ、同時にアスリートの育成もできる指導者を理想として語っていらっしゃいましたが、死亡事故の発生件数の多さや大会での選手の様子(例 履物の脱ぎ方)を見る限り、現実には、なかなかあなたの言われる理想は、難しいと感じています。そして、「大会での好成績」と「人間教育」のどちらを優先すべきかは自ずと明らかでしょう。「子どもたちの顔面を平手打ちしてでも大会で結果を出させるような柔道」の指導のありかたではなく、「子どもたちの健康や命を第一に、礼節や相手への思いやりの心を身をもって教える柔道」に立ち返ることが、柔道の本義に回帰することだと考えます。

  

   ◇◆◇「柔道ルネッサンス」~柔道界は何を目指すべきか?~◇◆◇

 あなたは、『武士道とともに生きる』(共著、角川書店)において「柔道ルネッサンスが目指すものとは?」という一文を書いておいでです。2001年から始まった、柔道ルネッサンス運動の具体的な取り組みの一つが「ゴミの持ち帰り」でしょう。試合会場には「来た時よりも美しく」と垂れ幕がかけられ、そうした運動は大きな効果を収めつつあるようです。

 組織をあげての活動が、そのように効果をあげているのですから、今後は、ぜひ「練習における暴力一掃キャンペーン」を柔道界全体ではって頂きたいと思います。一度にそれが無理であれば、まずは母校の東海大学相模高校から、あるいは東海大学グループから、あるいはあなたが会長を務める神奈川県体育協会として、そうした啓発運動を進めていくことはできないでしょうか。なぜなら、指導者の無用な暴力は、子どもたちの体のみならず、心も傷つけ、最悪の場合は、命すらも奪ってしまうからです。


柔道の試合会場に掲げられた「来た時よりもうつくしく」の垂れ幕。ゴミの持ち帰りも、もちろん、大切だが、柔道部での〈暴力〉〈集団暴行〉〈リンチ〉について、毅然とした指導を行なうことのほうが大切ではないだろうか。特に、今回の事件は、村上副校長が記者に説明したような「生徒間のトラブル」などと言えるようなものではない。
 その際に大切なのは、口先だけの「暴力反対」「暴力追放」ではありません。いかなる小さな暴力も見逃さず、それを戒める強い姿勢が必要です。今回、あなたの母校、東海大学相模高校にうかがい、たしかにそこには『日常生活でもフェアプレー』や『柔道ルネッサンス』のポスターが貼ってあるのを見かけました。しかし、そのポスターとは裏腹に、集団暴行事件について、子どもたちには厳重な口止めがなされ、柔道部総監督は、私にウソをつくことで、その事件(リンチ事件)を隠ぺいしようとしたのです。あのような言動が、柔道界の責任ある立場の方から出たことを、私は残念至極に思います。


 柔道界の改革を、口先だけの「暴力反対」キャンペーンに終わらせないためには、柔道を学ぶ小中高生、それに教職員も、自由にものを言えることが必要です。東海大学相模高校では、柔道部員だけではありません、現場の教職員ですら、今回の柔道部での集団暴行事件について尋ねると、顔色を変えて、その場から足早に立ち去るほど、強い言論統制が敷かれていました。 

 自由な言論が許されていないということ、それ自体が、目に見えない暴力的な支配であるということを私たちは知るべきです。柔道部員らが、自由に自分たちの窮状を訴え出ることができるようにするために、各校の柔道部以外に、安心して相談できる窓口を作ることが急務です。このような試みは、企業でのコンプライアンス窓口として一般的になっていますし、他武道では、実際に相談窓口を作っているところもあります。

 いかに医学的知見が進み、〈加速損傷〉という現象が一般的になろうとも、閉鎖的な柔道界にあって、指導者一人ひとりが「暴力で子どもたちを指導することは許されない」、「暴力事件などの不祥事は隠ぺいせずに、社会に対して説明責任を果たしていくべき」といった意識を持たない限り、子どもたちの死亡事故は無くならないでしょう。

 東海大学相模高校の卒業生として、そして嘉納治五郎氏の精神を尊重する一柔道家として、今回の東海大学相模高校での集団暴行事件の隠ぺいについて、深くお考え頂きたいと思います。

敬 具

 

下: 「明らかになる事件の真相」に続く⇒http://www.janjanblog.com/archives/46174
  
世間話には応じていたが「柔道部の暴行事件」に話題をふられると、顔色を変えて駅の方に無言で立ち去った同校英語科のO教諭。おそらく何か発言すれば、上からの圧力で「自分がつぶされる」との思いからそういう行動に出たのかもしれない。しかし、特に現場の教員たるもの、生徒や保護者のためにならない隠ぺいが行なわれていた場合、たとえ、自分に不利益が及ぶとしても言うべきことは言わなければいけない。現場の一人ひとりが、そのような《言論の自由》を行使することで、学校現場は少しずつよくなっていく。
《関連サイト》

◎「フェアープレーの精神でいじめをなくそう」(山下泰裕氏) 

 山下泰裕氏は、ポスターにある「神奈川県体育協会」の会長を務めており、同会のウェブサイトに『フェアプレーの精神でいじめをなくそう』との一文を寄せている。

 その中で山下氏は「大勢でひとりをいじめる。強いものが弱いものをいじめる。これは日本人がもっとも嫌った卑怯なふるまいです。残念ながら、この卑怯なふるまいが非常にふえてきています」と書く。そして、スポーツをやっている者が、クラス内で「いじめ」を見かけたら「おい、やめようよ!」と声をかける、つまり、競技場内だけではなく、日常生活の中でフェアープレーやスポーツマンシップをそれぞれが発揮することで、いじめ防止をはかっていく旨の提言をしている。

 今回の東海大学相模高校での事件は、〈いじめ〉と言うよりも、かなり陰湿な〈集団暴行〉事件である。これに対して、柔道関係者らは、どういう態度をとるのか――指導者としての資質が問われる場面である。
 http://www.sports-kanagawa.com/
《参考記事》

◎「声」をあげることの大切さ

 http://www.janjanblog.com/archives/34424

◎生徒に〈無記名アンケート〉の実施を!

 http://www.janjannews.jp/archives/2969461.html

◎〈言論の自由〉について考える

 http://janjan.voicejapan.org/living/0911/0911163217/1.php
※本記事に対するご意見・お問い合わせは下記まで

特に東海大学相模高校の教職員、在校生、

  保護者の方からのご意見をお待ちしています

pen5362@yahoo.co.jp(三上英次/現代報道フォーラム)】


☆!
駄文悪文を此処まで読まれた方・・・御苦労様で御座いましたm-ーm

此れを読んで、筋違いに度素人=似非ジャーナリズムが解ると良いのですが・・・
さてさて、此れを見て誰が村田の建ちゃんとが書いたと信じるのでしょうや
詐欺師と想われてもおかしく無いでせう。
と言うか詐欺師だったのでしょうや(失笑)