丼季報亭「8万時間の休息」

旅の記録や季節の便りそれに日々の思いを軽いトーンで綴ってみました。

275. 鶴と亀とのよねまんじゅう

2009-03-10 00:47:18 | 街角散歩

  七日夕方帰宅するとテーブル(飯台?)の上にお茶菓子の包みを見つけました。
昼間親戚の法要で鶴見へ出かけた家人が買ってきたものです。
食後のデザート?に 餅に似た饅頭を2つぺろりと食べてしまいました。
「ウーム これは薄皮の あんころ餅か?」

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翌朝のことですが、
 「ねえ これ 写真撮った?」
 「えっ? これってそんな由緒あるお菓子だったの?」

 「 よねまんじゅう。 これ由緒書き。
  有名よ。 お江戸日本橋にも歌われたほどの・・・」

 「えー またやっちゃったよ。 夜寝る前に ぺろりひとくちだよ---」

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美味しいものは いつも食べてしまってから
「写真撮っておけばよかったのに」と思うのは情けないことに慣例になっていますね。

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「六郷渡れば川崎の万年屋、鶴と亀とのよねまんじゅう、こちゃ神奈川急いで保土ヶ谷へ」と『お江戸日本橋』にも唄われたよねまんじゅうは多数の書物にも 記述が残されています。


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ちなみに歌詞の中の鶴と亀というのは、鶴見橋の袂に40軒もあったと書かれるよねまんじゅう を商った店でも特に名高かった鶴屋と亀屋からきているそうです。

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よねまんじゅうは17世紀後半に浅草待乳山の下で、鶴屋の娘よねが売りはじめたものといわれ、 元禄から享保年間ごろまで江戸の銘菓とされたそうです。

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鶴見のよねまんじゅうが、お土産として有名になったのは18世紀に入った頃で、 竹籠に入れて売られていたのですが、この頃のものは塩餡の餅を俵型に小さく作ったものに 焼ごてで焼き目をつけたものと書かれています。

当時、江戸の人々の小旅行として行われた夏の大山詣では特に売れたそうです。

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また、そばよりも安くて腹持ちがいいと駕篭かきなどにも喜ばれたとか。

しかし 明治の初め 鉄道の開通とともに街道沿いの菓子や40軒は皆消えていったのだそうです。


以上 創業九十年の菓子鋪 鶴見「清月」のHPで 詳しく由緒を伝えています。



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今日も お立ち寄りいただき 有難うございました。


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2 コメント

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美味しそう~ (モンブラン)
2009-03-11 00:45:27
美味しそう~ですね!

お菓子がよく登場しますね!
今からベッドに行くところでしたが~

何か口に入れないと眠れなくなってしまいました!
どうしましょう!?

丼さんのブログは、明日からおやつ時に
訪ねますね!
返信する
おつな味でした。 ()
2009-03-11 09:02:07
モンブランさん

それぞれ 素朴で おつな 味でした。

いつも おやつの 話ばかりでは
ありません。 寝る前の方が良い話題は
少ないでしょうね。

「丼」
返信する

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