時には、旅の日常

管理人:taろう/旅先で撮ったスナップにコメントを添えて、他にも気の向いた事を綴っていきます。

舞鶴日帰りミニ旅-06~中舞鶴駅跡探訪/まいづる海自カレーの昼食

2018-06-17 11:05:31 | 京都
 東郷邸から国道27号線へと戻り、かつて国鉄中舞鶴線の終着駅であった中舞鶴駅の跡地へ。

 <<舞鶴日帰りミニ旅-05>

 今日では、公園やグラウンド等として整備されている中舞鶴駅跡。
 公園の片隅には、やはりかつて舞鶴周辺で活躍していた蒸気機関車が1両、静かな佇まいで静態保存されていました。

 童心に立ち戻ってw、SLをひとしきり見学した後は、バスで西舞鶴へと移動。
 列車で舞鶴を発つまでのおよそ1時間余りの時間で、昼食に「まいづる海自カレー」を味わいました♪



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 東郷邸を辞去して、もと来た道を戻り、国道27号線へと再び合流。
 東郷邸からの道路と国道27号線との交差点の南側が、中舞鶴公園という小さな公園となっています。

 その中舞鶴公園の国道側には、蒸気機関車が1両、静態保存されていました。
 SLは、しっかりとした屋根で覆われていて、保存状態は、比較的良好な様子。




 このSLは、C58形蒸気機関車の113号機。
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 機関車後部に連結されている炭水車にあった説明板によると、この113号機は、昭和14年(1939年)に大阪で製造され、草津線、山陰本線、舞鶴線、宮津線等を主に走行し、昭和45年(1970年)に廃車となるまでの32年間に、221万kmもの距離を走行したとのこと。
 廃車の翌年の昭和46年(1971年)に、当時の国鉄から舞鶴市へ貸与されたそうです。

 正面に回って見ると、錆や汚れ等がかなり付着してしまった、少々残念な姿…(T T)
 フロントは機関車の「顔」なのだから、こまめに綺麗にしてあげていただきたいところです。



 ここ中舞鶴公園と、その南隣の舞鶴市民グラウンド一帯には、国鉄中舞鶴線が昭和47年(1972年)に廃止となるまで、その終着駅であった中舞鶴駅があった場所でした。

 案内板の構内図によると、公園からグラウンドにかけての敷地の、国道27号線に面した北側に旅客用のホームが、南側は貨物用の線路が敷かれていたようですね。




 案内板にあった、共楽公園からの眺めと、中舞鶴駅の構内図を、拡大。
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 共楽公園は、中舞鶴駅の西の高台上にある公園で、案内板にあるように、海を見渡せる公園とのことです。
 春には、桜の名所でもあるようで、今回は時間の関係で訪れることはできませんでしたが、機会があれば、訪れてみたいです。

 案内板の眺めと構内図からは、東郷邸に隣接していた舞鶴鎮守府にも近い、在りし日の軍港最寄り駅の、広々とした構内を窺い知ることができました。
 旅客用のホームの配線よりも、貨物用の配線の方にスペースが割かれ、海軍工廠への側線も分岐していて、日本海に臨む唯一の軍港の玄関口として、重責を担っていた往時を、思い浮かべていました。



 C58 113号機の、リアビュー。

 この炭水車だけでも、重量は18.5t(機関車の重量は、53.6t)!
 この炭水車には、石炭6t、水17tを搭載することができます。




 運転台へも、上がることができます。
 童心に帰って、ワクワクしながら、運転台の内部の様子を色々と眺めていましたw

 無骨な、いかにも「機械」の塊という、SLのレトロなイメージは、運転台でもひしひしと感じ取ることができました。
 機関士や機関助士の座席は、一応座面が傾斜してあるのに、思わず感心。



 機関士になったつもりで、座席から前方をw
 出発進行!
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 前方に延びる長いボイラーで、右側の様子は、全く分かりません…;
 右側に、助士の為の席が必要な訳ですね。

 小、中学生の生きた教材として、舞鶴市へ貸与されたという、このC58 113号機ですが、大人でも十分に楽しむことのできる名機です^^
 思っていた以上に、楽しんでしまいましたw
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 中井舞鶴駅跡の中舞鶴公園からすぐの場所にある、造船所前バス停から、京都交通のバスに乗車。
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 このバスで、西舞鶴へ向かいます。
 明治時代に軍港が開かれてから発展した東舞鶴と、それ以前より城下町、商港として栄えてきた西舞鶴とに、市街地が大別される今日の舞鶴市。
 バスは、中舞鶴から国道27号線伝いに一旦内陸へ入り、地図でも分かるとおり、山林を通り抜けて(トンネルあり)、西舞鶴駅を目指します。



 造船所前から約6.5kmの道程を、15分程の所要で、西舞鶴駅へ到着しました。

 時刻は、13時を回っていました。
 自宅出発前に軽く摂った朝食以降、この日は何もお腹に入れておらず、そろそろ空腹にも耐え難く…(^^;)
 西舞鶴で、遅めのランチタイムを迎えます。

 舞鶴では、海上自衛隊舞鶴総監部との協力で、海上自衛隊の艦艇や部隊、施設毎のレシピを忠実に再現したカレーを市内の飲食店で供する、「まいづる海自カレー」を展開しています。
 せっかくの機会なので、この日のランチは、「まいづる海自カレー」に決定!!



 西舞鶴駅に程近い商店街にある、「御台所セバル」。

 こちらでは、護衛艦ひゅうがのレシピのカレーをいただけます♪
 のぼりもシッカリと、立てられていますね。




 こじんまりとした、隠れ家的な居心地の良い店内で出てきた、『護衛艦「ひゅうが」牛ヒレこくまろカレー』。
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 「こくまろ」の銘に、偽りなし!
 シッカリとした牛ヒレの風味が溶け込んだ、ルーの絶妙な「こくまろ」感に、ご機嫌で舌鼓♪
 美味しいレシピは、海軍譲りなのでしょうか…海上自衛隊^^

 海上自衛隊では、多くの部隊で、毎週金曜日の昼食にカレーを食べるそうです。



 セバルさんでは、護衛艦「ひゅうが」牛ヒレこくまろカレーには、サラダとアイスが付きます。
 カレーを美味しくいただき、バニラのアイスで後口もサッパリとリフレッシュ。

 今どきの軍隊(正確には軍隊ではなく自衛隊ですが)の糧食のレベルの高さに驚き、美味しさを堪能した、カレーのランチでした!



 せっかくなので、西舞鶴駅前にある、こちらの「カフェレスト 駅カフェ」で、別の海自カレーも味わってみることに。

 早朝から13時過ぎまでの無食時間と、午前中結構歩き回ったおかげで、ちょっと1食だけでは量的に胃袋が満足してくれなかったので…;;
 この後、西舞鶴から乗車する予定の列車の出発時刻までまだ少々余裕があったので、画像右手の建物2階にあるお店へ、迷わず階段を上ってしまいましたw




 こちらでいただけるのは、海上自衛隊第四術科学校の『「元祖海軍」カレイライス』。
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 第四術科学校が、海軍の「海軍割烹術参考書」にある「カレイライス」を再現したレシピに基づいたカレーです。
 流石に戦前のレシピだけに、先程セバルさんでいただいた、護衛艦「ひゅうが」の今風なカレーとは、ルーの様子もかなり異なりますね。
 子供時代に給食などでよく食べていたものに、よく似た感じです。

 いただいてみると、思ったよりもスパイシーなカレーの風味が効いていて、美味しく味わって完食。
 レトロな味わいに、子供時代に食べたカレーの味も思い出されて、そんなノスタルジックな思い出も、美味しさを増してくれたのでしょうか。



 ゆっくりと時間が流れているような、地元の方々の憩いの場といった雰囲気のお店で、食後はコーヒーで一服。

 大好物のカレーを2食いただいて、ようやくお腹も膨れ、気分もすっかり満たされました!
 時刻は14時30分近くとなっていて、列車で西舞鶴を発つべく、すぐ近くの駅へと向かいます。

 <舞鶴日帰りミニ旅-07>>



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2 コメント

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Unknown (タヌ子)
2018-06-25 07:17:21
フランスでは機関車時代からの特別待遇が未だに変わっておらず、定年が50歳なのですが、今は仕事内容も変わっているのだから、特別待遇もなくべきという意見が多くなっています。
それにしても機関士の席からの死角の多さにびっくりです。
見える範囲の方が少ないぐらいですよね。
ビーフカレーは殆ど作ることがないのですが、ヒレだったらお肉も柔らかくて美味しいでしょうね。
「元祖海軍」カレイライス今はこんな色のカレーは珍しくなりましたね。
以前外国暮らしが40年以上という方が作ってくださったカレーがこんな色で、凄く懐かしかったです。
恐らく彼女は今風の濃い色のカレーはご存知なかったのでしょうね。
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タヌ子さん。 (taろう)
2018-06-25 22:30:11
SLの運転台からの見通しの悪さ…反対側は全く見えませんよね;;
SLの過酷な運転環境では、確かに特別待遇が必要であったのかもしれませんね。
それにしても、定年50歳…その内、死ぬまで働かされそうな感のある今の日本からすると、どこの異次元の話か?とも思えてしまいます。
「ひゅうが」のこくまろカレー、本当に牛ヒレがいい仕事をして、思っていた以上の美味しさでした!
自衛隊も、あまり食事がお粗末だと、益々隊員のなり手が減ってしまうので、食のレベル維持向上も、重要な課題なのでしょうね(^^;)
元祖海軍カレーも、カレー風味はしっかりキープされていて、ノスタルジックな思い出も作用して、より美味しく感じることができたのかもしれません^^
確かに、昔はカレーのルーは、もっと黄色っぽいのが普通でしたよね。
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