佐伯への旅の第2日目の朝は、九州最東端に位置する鶴御崎へと向かうことにしました。
車で佐伯駅前のホテルからおよそ1時間、美しい海沿いのドライブの後、豊後水道に大きく突き出た鶴見半島先端の険しい地形に取り付き、灯台のある鶴御崎へと至ります。
豊後水道に睨みを利かせることができることから、古くから海防・軍事上の要衝として、番所や砲台、要塞等が築かれてきました。
軍によって築かれた施設が、今日ではほとんど忘れられかけた、そうした歴史の証人の如く、静かに草生し佇む光景も、鶴御崎の手前で目にしました。
かつての軍事上の要衝は、今日ではその眺望の良さを生かした展望スペースへと姿を変えて、たまに訪れる者を静かに歓迎するかのように佇んでいました。
その展望スペースから、気持ちの良い雄大な眺めをひとしきり楽しんでから、ゴール地点の鶴御崎へと向かいます。
第2日目の朝食です^^
宿泊した佐伯駅前の、ホテル金水苑でいただきました。
和食をオーダー、品数も多くて、とても美味しくいただけました♪
美味しい朝食で、体も好調w
九州最東端の岬を目指して、出発します!
佐伯市街から東の方向へ、レンタカーを走らせます。
前日に、南部の蒲江・入津湾(にゅうづわん)方面から佐伯市街へと戻ってきた道路と途中で別れて、ひたすら東へと走り続けると、やがて道路は米水津湾(よのうづわん)の沿岸へと出ます。
しばらく湾に沿って走った後に、鶴見半島の稜線の下をトンネルでくぐって鶴見半島北岸へと抜け、今度は佐伯湾岸を縫うように進みます。
カーブの多い道路ですが、起伏に富んで複雑に入り組んだ地形が見せる景色が、とても美しい区間でした。
鶴見半島の先端近くで、大島との間にある海峡は、元ノ間海峡(もとのまかいきょう)といいます。
その元ノ間海峡を望む、段々展望所からの眺めです。
大変潮流が速く、海峡内には小さな灯標が設置されているのが見えます。
画像右側が東の方角で、眩しい朝の日射しに逆光気味になってしまいました。。。
元ノ間海峡を過ぎると、道路は海岸を離れて内陸へと分け入り、鶴見半島の背骨のような稜線を目指してヘアピンカーブが連続する、山岳路線に様変わりしました;
行く手を屏風のように立ちふさがるかのような稜線のすぐ下の辺りに見えている、稜線と並行している横方向の筋に見える、山腹の緑の切れ込みの部分へと道路は続き、稜線を目指します。
鶴見半島先端部は、「ミュージアムパーク鶴御崎(つるみさき)」として整備されています。
見晴らしの良い展望台への登り口にあった駐車場に車を止め、樹木に覆われた斜面を10分程歩いて登ります。
この時の時刻は9時を過ぎたあたり。
駐車場で草刈り等の作業をしていた方以外に、人の気配はありません。
途中で何ヶ所か、このような穴を見ました。
戦時中に穿たれた、防空壕跡です。
豊後水道を眼下に見渡せる鶴見半島は、アメリカ軍艦艇を監視する軍事上の要衝として、要塞や砲台が築かれ、そうした施設や兵舎跡等が朽ちかけた姿で、往時の記憶を今日に伝えています。
半ば忘れられかけた歴史の証人達を慰撫するかのように、木漏れ日が優しげに差し込んでいました。
これ程鮮やかな木漏れ日を見るのも、実に久し振りで、どこか神秘的な雰囲気すら感じました。
最も高台となっている展望台へのラストスパート、この直線状の階段を上ります。
一切の装飾を排した実用一点張りのような意匠のこの階段もまた、戦時中に作られたものなのでしょうか。
階段を上りきると、陸橋のような展望台(というよりも展望ブリッジですね)が、姿を現しました。
快晴の青空を背に、鳥たちが悠々と舞っています。
ブリッジの土台部分には、戦時中に築かれたと思われる、古い石垣も見えていました。
すっかり草生してしまった感のある、かつての砲台跡。
画像右側に、展望ブリッジの脚部が見えています。
撮影した季節もあるのかもしれませんが、鶴御崎ミュージアムパークの上記リンク先の画像と比べると、劣化荒廃が進んでいるように思えます;
展望ブリッジの真下に位置するこの小さな砲台、戦時中は今日とは比較にならない程に人が暮らす集落からは隔絶された環境に孤立状態であったことが容易く想像できます。
このような地に兵舎まで設置して、兵士たちが日夜砲台に詰めて監視に当たっていたとは、今度は逆に想像することが困難です。。。
厳しい環境の中で、黙々と任務に携わっていたであろう方々に感謝の念を捧げつつ、往時に思いを馳せながら、砲台内から外を眺めていました。
砲台を出て、展望ブリッジへと上がってみました。
駐車場から斜面を歩く必要があるというアクセスの悪さから、訪れる人も少ないと思われるこのブリッジ、いやでもこのすぐ下にある砲台との対比で、現代風の意匠が一層強調されるように感じました。
展望ブリッジから眺めた、砲台の様子。
天井の中央部が崩落して、痛々しい姿です><
遮るもののない炎天下、強い日射しが降り注ぐ、静寂の空間でした。
展望ブリッジから遙かに望む、米水津湾の絶景。
展望ブリッジから、西の方向の眺めとなります。
強い日射しで霞みがちとなっていますが、米水津湾に浮かぶ横島南端から飛び石のように並ぶ小島の列が見えています。
赤のポイントで示した地点が、展望ブリッジ(と砲台跡)のある位置です。
鶴見半島の南側は米水津湾、北側が佐伯湾です。
元ノ間海峡の位置も分かります。
画像中央部にある間越海水浴場の「間越」の読み、お分かりでしょうか?
「はざこ」と読むそうです…読めませんでした。。。
米水津に間越と、この日も九州の難読地名にお手上げ状態です(爆)
ハマユウが群生する砂浜、大分県内屈指の美しい海を誇る間越海岸。
佐伯も訪れてみたい場所だらけで、「宿題」がどんどん溜まっています;
眺める方角を変えて、今度は東南の方向へ目を向けると、鶴見半島が正に海へと尽きようとする先端近くに、この朝の行程の目的地である、鶴御崎(鶴御埼燈台)を望むことができました。
あそこが九州の最東端かと思うと、気分も高まります!
九州最東端の地である、鶴御埼燈台(つるみさきとうだい)。
こぢんまりとした灯台に見えます。
この灯台もまた、基礎の部分は戦時中の軍事施設の跡であるようですね。
視界の開けた、広々とした展望スペースを貸切状態でひとしきり絶景を眺めてから、駐車場へと林の斜面を下ります。
落ち葉に覆われた、苔生す縁石や石垣もまた、過ぎ去りし時代の置き土産なのでしょうか。。。
展望スペース登り口の駐車場から鶴御崎までの僅かな道程、ドライブ再開でラストスパートです。
先程の展望ブリッジから見下ろすような格好となっていたとおり、灯台までは、ヘアピンカーブの下り坂となっていました。
灯台がグングン近付きつつあり、間もなく九州最東端の地へ辿り着きます!
8時過ぎに佐伯市街のホテルを出発後、途中の展望ブリッジへの寄り道を含めて約1時間半程で、目指す鶴御埼燈台の駐車場に到着しました。
広大な駐車スペースには、1台の車もなし!
ポツンと佇む駐車中の相棒の姿は、どこか寂し気(^^;)
ここでしばらく休んでいてもらいますw
つい先程灯台を眺めていた展望ブリッジは、背後の高い峰の頂上部、山腹に見えている電柱の先端の、少し右上のあたりに位置しています。
展望ブリッジや、更にかつての砲台も、物凄い場所に築かれたものですね!
さて、ゴールの鶴御埼燈台は、画像右方向へと進んですぐの位置に建っています。
九州の最果ての1つへ向けて、歩を進めるとしましょう。
車で佐伯駅前のホテルからおよそ1時間、美しい海沿いのドライブの後、豊後水道に大きく突き出た鶴見半島先端の険しい地形に取り付き、灯台のある鶴御崎へと至ります。
豊後水道に睨みを利かせることができることから、古くから海防・軍事上の要衝として、番所や砲台、要塞等が築かれてきました。
軍によって築かれた施設が、今日ではほとんど忘れられかけた、そうした歴史の証人の如く、静かに草生し佇む光景も、鶴御崎の手前で目にしました。
かつての軍事上の要衝は、今日ではその眺望の良さを生かした展望スペースへと姿を変えて、たまに訪れる者を静かに歓迎するかのように佇んでいました。
その展望スペースから、気持ちの良い雄大な眺めをひとしきり楽しんでから、ゴール地点の鶴御崎へと向かいます。
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第2日目の朝食です^^
宿泊した佐伯駅前の、ホテル金水苑でいただきました。
和食をオーダー、品数も多くて、とても美味しくいただけました♪
美味しい朝食で、体も好調w
九州最東端の岬を目指して、出発します!
佐伯市街から東の方向へ、レンタカーを走らせます。
前日に、南部の蒲江・入津湾(にゅうづわん)方面から佐伯市街へと戻ってきた道路と途中で別れて、ひたすら東へと走り続けると、やがて道路は米水津湾(よのうづわん)の沿岸へと出ます。
しばらく湾に沿って走った後に、鶴見半島の稜線の下をトンネルでくぐって鶴見半島北岸へと抜け、今度は佐伯湾岸を縫うように進みます。
カーブの多い道路ですが、起伏に富んで複雑に入り組んだ地形が見せる景色が、とても美しい区間でした。
鶴見半島の先端近くで、大島との間にある海峡は、元ノ間海峡(もとのまかいきょう)といいます。
その元ノ間海峡を望む、段々展望所からの眺めです。
大変潮流が速く、海峡内には小さな灯標が設置されているのが見えます。
画像右側が東の方角で、眩しい朝の日射しに逆光気味になってしまいました。。。
元ノ間海峡を過ぎると、道路は海岸を離れて内陸へと分け入り、鶴見半島の背骨のような稜線を目指してヘアピンカーブが連続する、山岳路線に様変わりしました;
行く手を屏風のように立ちふさがるかのような稜線のすぐ下の辺りに見えている、稜線と並行している横方向の筋に見える、山腹の緑の切れ込みの部分へと道路は続き、稜線を目指します。
鶴見半島先端部は、「ミュージアムパーク鶴御崎(つるみさき)」として整備されています。
見晴らしの良い展望台への登り口にあった駐車場に車を止め、樹木に覆われた斜面を10分程歩いて登ります。
この時の時刻は9時を過ぎたあたり。
駐車場で草刈り等の作業をしていた方以外に、人の気配はありません。
途中で何ヶ所か、このような穴を見ました。
戦時中に穿たれた、防空壕跡です。
豊後水道を眼下に見渡せる鶴見半島は、アメリカ軍艦艇を監視する軍事上の要衝として、要塞や砲台が築かれ、そうした施設や兵舎跡等が朽ちかけた姿で、往時の記憶を今日に伝えています。
半ば忘れられかけた歴史の証人達を慰撫するかのように、木漏れ日が優しげに差し込んでいました。
これ程鮮やかな木漏れ日を見るのも、実に久し振りで、どこか神秘的な雰囲気すら感じました。
最も高台となっている展望台へのラストスパート、この直線状の階段を上ります。
一切の装飾を排した実用一点張りのような意匠のこの階段もまた、戦時中に作られたものなのでしょうか。
階段を上りきると、陸橋のような展望台(というよりも展望ブリッジですね)が、姿を現しました。
快晴の青空を背に、鳥たちが悠々と舞っています。
ブリッジの土台部分には、戦時中に築かれたと思われる、古い石垣も見えていました。
すっかり草生してしまった感のある、かつての砲台跡。
画像右側に、展望ブリッジの脚部が見えています。
撮影した季節もあるのかもしれませんが、鶴御崎ミュージアムパークの上記リンク先の画像と比べると、劣化荒廃が進んでいるように思えます;
展望ブリッジの真下に位置するこの小さな砲台、戦時中は今日とは比較にならない程に人が暮らす集落からは隔絶された環境に孤立状態であったことが容易く想像できます。
このような地に兵舎まで設置して、兵士たちが日夜砲台に詰めて監視に当たっていたとは、今度は逆に想像することが困難です。。。
厳しい環境の中で、黙々と任務に携わっていたであろう方々に感謝の念を捧げつつ、往時に思いを馳せながら、砲台内から外を眺めていました。
砲台を出て、展望ブリッジへと上がってみました。
駐車場から斜面を歩く必要があるというアクセスの悪さから、訪れる人も少ないと思われるこのブリッジ、いやでもこのすぐ下にある砲台との対比で、現代風の意匠が一層強調されるように感じました。
展望ブリッジから眺めた、砲台の様子。
天井の中央部が崩落して、痛々しい姿です><
遮るもののない炎天下、強い日射しが降り注ぐ、静寂の空間でした。
展望ブリッジから遙かに望む、米水津湾の絶景。
展望ブリッジから、西の方向の眺めとなります。
強い日射しで霞みがちとなっていますが、米水津湾に浮かぶ横島南端から飛び石のように並ぶ小島の列が見えています。
赤のポイントで示した地点が、展望ブリッジ(と砲台跡)のある位置です。
鶴見半島の南側は米水津湾、北側が佐伯湾です。
元ノ間海峡の位置も分かります。
画像中央部にある間越海水浴場の「間越」の読み、お分かりでしょうか?
「はざこ」と読むそうです…読めませんでした。。。
米水津に間越と、この日も九州の難読地名にお手上げ状態です(爆)
ハマユウが群生する砂浜、大分県内屈指の美しい海を誇る間越海岸。
佐伯も訪れてみたい場所だらけで、「宿題」がどんどん溜まっています;
眺める方角を変えて、今度は東南の方向へ目を向けると、鶴見半島が正に海へと尽きようとする先端近くに、この朝の行程の目的地である、鶴御崎(鶴御埼燈台)を望むことができました。
あそこが九州の最東端かと思うと、気分も高まります!
九州最東端の地である、鶴御埼燈台(つるみさきとうだい)。
こぢんまりとした灯台に見えます。
この灯台もまた、基礎の部分は戦時中の軍事施設の跡であるようですね。
視界の開けた、広々とした展望スペースを貸切状態でひとしきり絶景を眺めてから、駐車場へと林の斜面を下ります。
落ち葉に覆われた、苔生す縁石や石垣もまた、過ぎ去りし時代の置き土産なのでしょうか。。。
展望スペース登り口の駐車場から鶴御崎までの僅かな道程、ドライブ再開でラストスパートです。
先程の展望ブリッジから見下ろすような格好となっていたとおり、灯台までは、ヘアピンカーブの下り坂となっていました。
灯台がグングン近付きつつあり、間もなく九州最東端の地へ辿り着きます!
8時過ぎに佐伯市街のホテルを出発後、途中の展望ブリッジへの寄り道を含めて約1時間半程で、目指す鶴御埼燈台の駐車場に到着しました。
広大な駐車スペースには、1台の車もなし!
ポツンと佇む駐車中の相棒の姿は、どこか寂し気(^^;)
ここでしばらく休んでいてもらいますw
つい先程灯台を眺めていた展望ブリッジは、背後の高い峰の頂上部、山腹に見えている電柱の先端の、少し右上のあたりに位置しています。
展望ブリッジや、更にかつての砲台も、物凄い場所に築かれたものですね!
さて、ゴールの鶴御埼燈台は、画像右方向へと進んですぐの位置に建っています。
九州の最果ての1つへ向けて、歩を進めるとしましょう。
鶴御崎とは違って、連日各国の人が訪れる観光名所になっていますが、昔の軍事基地からこうして何も危惧することなく、美しい海を眺められる幸せを改めて感じますね。
米水津湾、間越、両方読めませんでした。
そういえば九州出身の方の苗字って読みが難しいものが多いですよね。
灯台の駐車場、満杯になることもあるのでしょうか。
アスファルトがひび割れて、雑草が生えているところを見ても、あまり訪れる人はいないのでしょうね。
元々軍事施設であった事実が無意識に対比されて、素晴らしい景色を、より一層幸せな気分で眺められるのかなぁ、とも思いました。
今回の旅では、車を運転していたこともあり、様々な標識類を注視することも多く、難読地名に溢れた九州を、改めて認識させられました。
充てられた漢字の妙に感じ入ることばかりで、こうした地名とした先人のセンスには脱帽です!
これもまた、日本の旅の楽しさでしょうかね?!
恐らく、この広大な駐車場が満車となる機会は、あまりないでしょうね;
東に海を望む形なので、初日の出の時には賑わいそうですね。
この日も、私が滞在した約30分ほどの間、訪れる他の車は1台も現れず、灯台と共に貸切状態でした。。。