時には、旅の日常

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初海外1990 チェコスロバキア&DDR-13~プラハ城からロレッタ教会、ストラホフ修道院を経てペトシーンの丘へ

2018-09-30 16:28:03 | チェコスロバキア
 聖ビート教会の建つプラハ城から、プラハ市街を見下ろす高台を西へと、歩を進めます。

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 この初海外旅の記では、摂った食事を全く撮影していなかった(今の私からすると、とても考えられないことですw)ので、時間の経過がとても分かりにくいのですが;、聖ビート教会のステンドグラスに思いの外魅了されたのか、プラハ城内滞在に思い切り時間を割いてしまい、時刻は既に夕刻近くとなっていました。

 道行く人影も疎らな通りを気ままに、午後遅くの眩しい陽光の下、気持ちの良い散策を楽しんでいました♪


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 プラハ城(Pražský hrad)の正門ともいうべきマチアス門(Matyášova brána)から、西へと延びる通りを西へ少し歩くと、ロレッタ教会(Loreta)へ行き着きます。
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 1634年に着工して、約100年後の1746年に完成した、バロック様式の教会です。
 バロック様式らしく、華やかな雰囲気を纏っています。

 このロレッタ教会は、美しい内部や素晴らしい宝物を展示しているのですが、時間が遅かったのか休館であったのか、訪れた時には入口の扉は閉ざされていました…残念!
 抜けるような青空をバックにした、美しい教会の姿を、しばらく眺めていました。



 続いて、ロレッタ教会の西隣に建つ、チェルニーン宮殿(Černínský palác)へ。
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 この宮殿も、ロレッタ教会と同様、バロックの華麗な建築様式で建てられています。
 ロレッタ教会とほぼ同時期の、1669年に着工し、1747年に完成しています。

 宮殿前の石畳は、広い駐車場となっていて、沢山の駐車車両が。
 旅行当時(1990年)のチェルニーン宮殿は、チェコスロバキア外務省の建物であり、道理で周囲の建物と比べて綺麗に整備されていた外壁等、合点がいったものでした。
 現在も引き続き、チェコ共和国外務省となっています。

 現在のチェルニーン宮殿の姿は、こちらのリンク先VirtualCzech.cz の画像へリンク)でどうぞ。
 当たり前ですが、駐車車両が様変わりですねw
 隣に建つロレッタ教会も、見ることができます(こちらも、綺麗にお化粧直し済み)。




 駐車していた、チェコの国民車、シュコダ(Škoda)の1990年当時の最新車種であった、「ファボリト(Favorit)」。

 旅行当時のプラハの街中では、よく見かけました。
 イタリアのメーカーが設計しただけあって、共産主義時代のモデルとしては垢抜けたスマートなデザインで、当時のプラハっ子が飛びついたのも納得ですw

 チェコ共和国(Česká republika)の西部を占めるボヘミア地方(チェコ語:Čechy/チェヒ)は、第1次世界大戦後の独立以前のオーストリア=ハンガリー帝国領時代、帝国内で最も工業化の進んだ地域であり、第1次世界大戦時には帝国最大となっていた自動車メーカーを、チェコスロバキア(Československo)独立後の1925年に買収したのが、当時の国内最大財閥であったシュコダでした。
 国有化された共産主義時代も自動車生産を続け、民主化後の1991年にドイツのフォルクスワーゲン傘下の「シュコダ・オート(Škoda Auto)」となる形で民営化され、現在もチェコ共和国やスロバキア(Slovensko)をはじめヨーロッパ、アジア、アフリカ、南米、オセアニアと、世界に販路を拡げている自動車メーカーです。



 扉に張られていた、民主化後に大統領に就任した、バーツラフ・ハベル(Václav Havel)氏のポスター。

 自由を抑圧する共産主義体制に抵抗、度重なる逮捕・投獄といった弾圧を受けながら反体制活動を続けた姿勢が、民主化の象徴的人物として、国民の篤い敬愛を集めているという感覚を、当時ひしひしと感じたものでした。




 チェルニーン宮殿から南へと歩を向け、ストラホフ修道院(Strahovský klášter)へ到着。
 美しい図書館で名高いこの修道院も、ロレッタ教会同様、訪れた時には、入口の扉は固く閉ざされていました(T-T)

 …とはいえ、この当時は、私の関心は第一に、ヨーロッパの伝統的な街並みや建築物の建つ風景にあったので、失望感もそれ程ではありませんでした。



 中へは入ることができなかったものの、入口扉の小さな窓から、修道院に建つ聖堂の内部を窺うことができました。
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 教会の名称は、聖母マリア被昇天聖堂(Bazilika Nanebevzetí Panny Marie)。
 18世紀にバロック風の改修を受けた聖堂内は、美しい装飾で飾られていました。

 人の気配のない、静謐な空気に満たされた聖堂も、厳かな雰囲気がより引き立つような感じがして、いいものですね。



 ストラホフ修道院から、小径伝いに南へと歩きます。

 屏風の如く聳え立つ古い城壁で、西日が遮られ、密やかな袋小路へと迷い込んだ錯覚に囚われました。
 この辺りは木立も多く、ちょっとした森林浴気分も味わいながら歩を進め、程なくプラハ西郊の丘を占める、ペトシーン公園(Petřínské sady)へと至ります。



 聖ビート聖堂(Katedrála svatého Víta)のステンドグラスと並び、プラハ滞在4日目となるこの日のハイライトは、広大な公園となっているペトシーンの丘から一望した、この眺め。
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 眼下には、プラハ城下に広がるマラー・ストラナ(Malá Strana)の街並み。
 画像左端には、プラハ城の建物の一部も写っていますね。

 マラー・ストラナ越しには、ブルタバ川(ブルタバ川(Vltava/ドイツ語ではモルダウ川:Moldau)に架かるマーネス橋(Mánesův most)の桁が描く、優雅なアーチまでが一望の下に。
 この日散策を開始したのは、マーネス橋の更に奥に架かるチェフ橋からでしたが、チェフ橋からプラハ城へと至る道中で路地を歩いたマラー・ストラナ、そして、プラハ城からこのペトシーン公園となっているペトシーンの丘(Petřínský vrch)…と、この日歩いてきたルートを一望する気分は、格別でした!

 ペトシーン公園からは、ケーブルカーで、マラー・ストラナへと下ります。



 画像左から2軒目の綺麗な建物は、在チェコ共和国日本国大使館(Velvyslanectví Japonska v České republice)です。
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 プラハのランドマーク、カレル橋(Karlův most)をマラー・ストラナ側へ渡った袂の少し南の辺りにある建物です。
 この日本大使館は、1990年のプラハ滞在中、私が目にしたプラハの建物で、最も綺麗な外壁の建物でしたw

 日本大使館の手前に写っている、画像左端の建物は、今日(2018年)では、デンマーク大使館(Dánské velvyslanectví)となっています。
 ご覧のとおり、廃屋同然のような凄まじい外観を晒していたので、もっと後で大使館が入居したのでしょうね。
 もちろん今日では、白い外壁へと、見違えるような変貌を遂げています。
 リンク先の画像にも、デンマーク大使館の奥隣に、日章旗を掲げた日本大使館が写っていますね。
 日本大使館の外壁は、1990年当時と変わらず、綺麗なままです。

 贅沢に時間を過ごした、プラハ滞在4日目の散策でした。

 <初海外1990 チェコスロバキア&DDR-14>>



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2 コメント

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Unknown (タヌ子)
2018-10-05 07:31:35
昔は食事の写真を撮るという発想すらありませんでしたよね。
西欧の建物は厳つい物が多いけれど、中欧の建物はエレガントですね。
シュコダはフランスでは良く見かけますが、日本ではあまり見ませんね。
確かに90年代の車両は当時のフィアットに似た感じですね。
フランスの田舎では未だにこの形のフィアットを時々見かけます(パリは排ガス規制のため古い車両は乗り入れ禁止)。
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タヌ子さん。 (taろう)
2018-10-05 21:32:38
当時は今と違ってまだフィルムカメラで、撮影可能な枚数が限られていたことも、食事の画像がない理由の1つであったのかもしれません。
プラハは流石に古都だけあって、長い歴史に磨かれた文化に裏打ちされた、センスの良さが街中に溢れているように感じました。
日本は確か、自動車の関税はゼロなはずなので、シュコダも入ってきてほしいですが、厳しい規制等で、販路やサービス網の構築が割に合わないのでしょうね…;;
Favoritは、当時のプラハでは、他の車種の野暮ったかったデザインのせいで、断トツにスマートに見えましたw
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