時には、旅の日常

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初海外1990 チェコスロバキア&DDR-14~プラハ近郊 コノピシュチェ城へ

2018-10-15 20:07:26 | チェコスロバキア
 プラハ滞在5日目はまず、プラハから南へ少し足を延ばして郊外へ赴き、オーストリア皇太子が愛した古城・コノピシュチェを訪ねます。

 <<初海外1990 チェコスロバキア&DDR-13>

 最寄駅のベネショフでプラハからの電車を下車して、なだらかな田園風景の中を歩くこと約30分、森の中にある池のほとりに佇む城館が、姿を現しました。
 到着した城は、残念ながら冬季(11月~3月)閉鎖中でした。

 城の周囲をぐるりと一周して、その風雅な佇まいを眺めてきました。



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 プラハ(Praha)の南東約30km程に位置する、ベネショフ(Benešov)という小さな町から、目指すコノピシュチェ城(Zámek Konopiště)までの道中は、広大な畑地を横目に眺めながらの並木道を進みます。

 ベネショフへは、プラハ(Praha)のターミナル駅である、プラハ本駅(Praha hlavní nádraží)から電車に揺られて、約1時間の道程。
 チェコの(というか、日本以外の)ローカル列車、初乗車でした。

 共産党政権崩壊直後の1990年当時、電車はソビエト製でした。
 まだまだ共産主義時代の法律等の規制もそのままであった当時、下手に撮影してトラブルになるのも恐れたのか?、鉄道の撮影は控えていたようです。



 通行する車も疎らな道脇に立っていた、道路標識。
 上から2段目に、コノピシュチェの文字。
 この場所から、1kmの距離のようです。

 この場所には、現在も標識が立っていました
 標識自体こそ、今日風のものに取り替えられていますが、標識の地名と距離が、画像と同じなので、正にこの場所を1990年に通り過ぎていたのですね。



 こうした情感を纏う田園風景は、日本では恐らく、北海道辺りでしかお目に掛かれるものではないのでしょうか。

 初めての海外旅行であったこの時、こうした風景を目の当たりにするのも新鮮な体験で、雄大な景色を楽しみながら、気持ち良く散策していました。



 やがて森の中へと入り、少し進んだあたりで、行く手に幾つもの塔を持ったコノピシュチェ城の城館が、姿を現し始めてきました。
 ベネショフからは、歩いて30分程の所要時間。

 春まだ浅い3月のボヘミア(Čechy/チェヒ)…まだ葉を落としたままの木々越しに眺める古城の姿が、かつての栄華を極めた頃からの、時の経過をより引き立てているように感じられました。



 コノピシュチェ城の土台は、シッカリとした石垣が築かれていました。
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 遠目からでも、外壁がかなりくたびれているのが分かります…;
 仮にも、ハプスブルク家のオーストリア皇太子が19世紀に買い取って、ネオルネサンス調に改築したというのですから、その当時は、外観も華やかであったのでしょうが、やはり共産主義時代は、メンテナンスも行き届いていなかったであろうことが、想像できます。

 今日では、この城もすっかり綺麗にお化粧直しを施されて、見違えるような白亜の外観となりました。



 数ある塔も、円柱形をしたものから、このように多角柱をアレンジしたような形のものまでバラエティに富んでいて、外観を眺めているだけでも楽しかったです。
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 この城を1892年に購入したオーストリア皇太子(皇位継承者)は、フランツ・フェルディナント(フランツ・フェルディナント・カール・ルードビヒ・ヨーゼフ・マリア・フォン・エスターライヒ=エステ/Franz Ferdinand Carl Ludwig Joseph Maria von Österreich-Este)(フランツ・フェルディナント・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン/Franz Ferdinand von Habsburg-Lothringen)。
 第一次世界大戦の発端となった、1914年のサラエボ事件で、夫人(チェコ人で女官出身。この貴賤結婚のため、夫人の皇族としての特別な待遇や彼の子孫への皇位継承権は認められず、彼自身も「皇太子」より「皇位継承者」とよく呼ばれるようになりました)と共に暗殺された人物です。



 日向と日陰では、ガラリと印象を変える、コノピシュチェ城。
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 これ位の外観であれば、年月を閲してきた実感を、風雅さと共に感じることができますね。

 コノピシュチェ城を今日見ることのできる姿へ改築させたのはフランツ・フェルディナントですが、13世紀にはこの地に築かれていたとのこと。
 フランツ・フェルディナントが購入するまでは、チェコやドイツの貴族が住まう城塞でした。

 コノピシュチェ城には、狩猟好きであったフランツ・フェルディナントが仕留めた獲物の剥製や、様々な収集品が展示されています。
 実に壮観と聞いていたので、それらのコレクションを鑑賞したかったのですが、時期的に叶わず、30年近く経過した今日(2018年)でも未だ、宿題として残り続けています;;



 城館内は閉鎖中ということで、訪れる人もいない、静けさの中に佇むコノピシュチェ城です。
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 入館することができなかったのは残念でしたが、風雅な景色を心ゆくまで独り占めできました♪
 この城をとても魅力的な姿に引き立てる、存在感絶大な塔が屹立した、素晴らしい眺めです。



 入館はできませんでしたが、敷地へは自由に入ることができました。
 水を抜かれた噴水の周囲には、何故か孔雀の群れが、ノンビリと地面をつつき回っていました^^

 噴水の傍らには、無造作に放置されたドラム缶…;
 コノピシュチェ城も、外壁等のくたびれ具合から察するに、プラハの街中同様、この時本格的な改修工事に間もなく取り掛かるか取り掛かった直後であったのでしょう。



 確か、城の入口の辺りに掲げられていた、コノピシュチェ城についての、チェコ語の説明板。
 「コノピシュチェ城は、元々はフランス風レイアウトの典型的な初期ゴシック様式の城でしたが、19世紀末にオーストリアの皇位継承者であるフランツ・フェルディナント・デステ大公により再建されました」のような感じのチェコ語の説明文(google翻訳から推測して意訳;;)が、記されていました。

 小さな文字で刻まれていた一番下の行では、「国家によって保護された文化記念物(KULTURNÍ PAMÁTKA CHRÁNĚNÁ STÁTEM)」とありました。



 木々越しとなっていましたが、コノピシュチェ城は、コノピシュチェ池(Konopišťský rybník)に臨んでいます。
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 池より少し高くなっている城の近くからの眺めは、自然豊かな、落ち着いた雰囲気に包まれた風景。
 これ程豊かな森と池とに包まれた環境では、動物や水鳥等もたくさんいたことでしょうね。
 狩猟好きであったというフランツ・フェルディナントがこの城を手に入れたのも、頷ける眺めです。

 時間が止まったような不思議な空気にも触れた感じのした、コノピシュチェ城訪問でした。
 プラハ近郊の自然を満喫してから、ベネショフまでの途を戻って、電車でプラハへ引き返します。

 <初海外1990 チェコスロバキア&DDR-15>>



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2 コメント

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Unknown (タヌ子)
2018-10-27 06:55:44
初海外旅行なのに行動範囲が広いですね。
このお城は周囲の環境も含めて、バイエルン国王のルードヴィッヒ2世も好みそうなお城ですね。
延々と続く田園風景は毎日眺めていますが(笑)、そこにこんな素敵なお城があったら散歩ももっと楽しくなりそう。
フランツ・フェルディナンド皇太子は日本を訪れたことがあったのですね。
知りませんでした。
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タヌ子さん。 (taろう)
2018-10-27 20:33:29
初の海外&風前の灯とはいえまだ共産圏、ということで、常にも増して気合が入っていたことは、今でも鮮明に憶えていますw
確かに、尖塔が幾つもある等、ノイシュバンシュタイン城に似ている意匠も見受けられますね。
宮廷の計略から離れ、ノンビリした田園の中、おとぎの世界のようなお城でノビノビ暮らしたい憧れを、王侯の方々は抱いていたのでしょうね。
私の訪問時も、周囲の自然環境も豊かで、素敵な散策で癒されたコノピシュチェ城行でした♪
皇太子、長崎から日光まで結構隈なく各地を巡っていて、私も驚きました。
詳細な手記も残しているあたり、さぞ印象深い訪日であったのでしょうね。
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