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日本の法廷──戦後補償をどう判決したか。韓国・遺族会訴訟から

2017-05-23 20:27:37 | ACTIVITY
韓国・遺族会裁判 判決
だめな判決ばかりだったか。事実と法と原告、被告(国や企業)。裁判資料。
──
最高裁で棄却判決 2004.11.29
韓国・社団法人 太平洋戦争犠牲者遺族会の戦後補償請求訴訟
2004.12.4

韓国・遺族会会員の元日本軍人・軍属、遺族、元「慰安婦」たちによる東京地裁への提訴(1991年)から東京高裁を経て、最高裁に上告していた「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件」について、最高裁判所第二小法廷(津野修裁判長)は、11月29日午前10時30分、上告人35人(原告)の日本国に対する損害賠償請求を棄却した。
この日の法廷には、韓国から来日した韓国・遺族会 金鍾大キム・チョンデ名誉会長、梁順任ヤン・スニム会長、金正任キム・ジョンニム全羅南道支部長、沈美子シム・ミジャ ハルモニらが傍聴した。
支援してきた日本の戦後責任をハッキリさせる会(ハッキリ会、臼杵敬子代表)、平和遺族会全国連絡会、一般傍聴者も参席した。

 左写真▲判決後、記者会見・報告会に臨んだ韓国・遺族会(参議院議員会館会議室)

▽裁判経過
 アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件 
 提訴 1991年12月6日 東京地裁
 東京地裁判決 2001年3月26日(棄却)、控訴
 東京高裁判決 2003年7月22日(棄却)、上告
 最高裁判所判決 2004年11月29日(上告棄却、1、2審確定)
──
◇最高裁判所判決──2004年11月29日
 第二小法廷 裁判長裁判官 津野修 裁判官 北川弘治 滝井繁男

                  言渡 平成16年11月29日
                  交付 平成16年11月29日
                  裁判所書記官   *書類ゴム印部分

平成15年(オ)第1895号
 判 決

             当事者の表示   別紙当事者目録記載のとおり*

 上記当事者間の東京高等裁判所平成13年(ネ)第2631号アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件について、同裁判所が平成15年7月22日に言い渡した判決に対し、上告人らから上告があった。よって、当裁判所は、次のとおり判決する。

 主文
  本件上告を棄却する。
  上告費用は上告人らの負担とする。

 理由
1 上告代理人高木健一ほかの上告理由第1の2のうち憲法29条3項に基づく補償蒲求に係る部分について
(1)軍人軍属関係の上告人らが被った損失は、第二次世界大戦及びその敗戦によって生じた戦争犠牲ないし戦争損害に属するものであって、こ れに対する補償は,憲法の全く予想しないところというべきであり、このような戦争犠牲ないし戦争揖書に対しては、単に政策的見地からの配慮をするかどうか が考えられるにすぎないとするのが、当裁判所の判例の趣旨とするところである(最高裁昭和40年(オ)第417号同43年11月27日大法廷判決・民集 22巻12号2808頁)。したがって、軍人軍属関係の上告人らの論旨は採用することができない(最高裁平成12年(行ツ)第106号同13年11月18 日第二小法廷判決・裁判集民事203号479頁参照)。
(2)いわゆる軍隊慰安婦関係の上告人らが被った損失は、憲法の施行前の行為によって生じたものであるから、憲法29条3項が適用されないことは明らかである。したがって、軍隊慰安婦関係の上告人らの論旨は、その前提を欠き、採用することができない。
2  同第1の2のうち憲法の平等原則に基づく補償請求に係る部分について
 財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定(昭和40年条約第27号)の締結後,旧日本軍の 軍人軍属又はその遺族であったが日本国との平和条約により日本国籍を喪失した大韓民国に在住する韓国人に対して何らかの措置を講ずることなく戦傷病者戦没 者遺族等援護法附則2項、恩給法9条1項3号の各規定を存置したことが憲法14条1項に違反するということができないことは、当裁判所の大法廷判決(最高 裁昭和37年(オ)第1472号 同39年8月27日大法廷判決・民集18巻4号676頁、最高裁昭和37年(あ)第927号同39年11月18日大法廷 判決・刑集18巻9号579頁等)の趣旨に徹して明らかである(最高裁平成10年(行ツ)第313号同13年4月5日第一小法廷判決・裁判集民事202号 1頁、前掲平成13年11月16日第二小法廷判決・最高裁平成12年(行ツ)第191号同14年7月18日第一小法廷判決・裁判集民事206号833頁参 照)。したがって、論旨は採用することができない。
3 同第1の2のうち、財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律(昭和40年法律第144号)の憲法17条、29条2項、3項違反をいう部分について
 第二次世界大戦の敗戦に伴う国家間の財産処理といった事項は,本来憲法の予定しないところであり、そのための処理に関して損害が生じたと しても、その損害に対する補償は、戦争損害と同様に憲法の予想しないものというべきであるとするのが、当裁判所の判例の趣旨とするところである(前掲昭和 43年11月27日大法廷判決)。したがって、上記法律が憲法の上記各条項に違反するということはできず、論旨は採用することができない(最高裁平成12 年(オ)第1434号平成13年11月22日第一小法廷判決・裁判集民事203号613頁参照)。
4 その余の上告理由について
 その余の上告理由は、違憲及び理由の不備・食違いをいうが、その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するものであって、民訴法312条1項又は2項に規定する事由に該当しない。
 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

   最高裁判所第二小法廷
       裁判長裁判官    津 野    修
       裁判官       北 川  弘 治
       裁判官       滝 井  繁 男

*上告人(原告・代理人)、被上告人・国(法務大臣・代理人)氏名。住所等の記載があり省略

──
◇弁護団声明
声明文
 本日,最高裁判所第二小法廷において,アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟の上告審判決があった。
 判決は,原審東京高等裁判所の判断をおおむね是認して,私たちの上告を退けるものであったが,私たちの主張の一部にもせよ,日本の裁判所が原告ら被害者に対する救済の必要性を認め,法律的判断の一部においてこれを認めたことの意義は大きいと考える。
 原告ら韓国人もと軍人・軍属・慰安婦,そして遺族らは,日本軍及び日本国の非道の行為によって傷つけられ人間としての尊厳さえも奪われその後半 生を塗炭の苦しみの中で過ごさねばならなかったのであり,事理の糾されるべきことを信じ新生したわが国の裁判所の正義を信頼して,この日を千秋の思いで待 ちかねてきたものである。
 韓国人もと軍人軍属らは,今日に至るまで何らの補償さえ受けていない者が大部分であり,もと慰安婦に至っては,その虐げられた名誉さえ十分に回 復すべき措置がとられてはいない.そして何よりも,加害者であるわが国が,率直に責任を認め,被害者らの人生に対し加えた重大な損害を少しでも填補する措 置が取られるべきであるのに,政府は一貫して責任を回避する傾向が顕著であり,補償的措置への取り組みは進んでいない.
 私たちは,本日の判決を契機に,日本国政府が襟を正して被害者らに対する補償的措置の進展に努力して行くことを切に望むものである。
 2004年11月29日
                アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟原告弁護団
──
◇報道
 以下は報道引用につき転載などには要注意
 ほかに、テレビ各社、朝日新聞、東京新聞、ジャパン・タイムズ、共同、時事、ロイター、APなど
 韓国では、聯合ニュース、東亜日報、朝鮮日報、中央日報、ソウル新聞、韓国日報などが写真(AP=聯合)入りで報道
 韓国のラジオは東京からライブで報道

【毎日新聞】
2004年11月29日
<戦後補償>韓国人元慰安婦らの敗訴確定 最高裁判決
 旧日本軍の軍人・軍属や従軍慰安婦だった韓国人とその遺族計35人が総額7億円の戦後補償を国に求めた訴訟で、最高裁第2小法廷(津野修裁判長)は29日、原告側の上告を棄却する判決を言い渡した。原告敗訴の1、2審判決が確定した。
 判決は、過去の判例を踏襲し、65年の日韓協定に伴う措置法により原告の請求権が消滅したと認定した東京高裁判決(昨年7月)を支持。戦争被害を補償する恩給法が韓国人を対象外としていることについても「法の下の平等などを定めた憲法に反するとは言えない」と指摘した。
 東京高裁は、のちに戦犯に問われるなどした2人の元軍人・軍属と6人の元慰安婦について、国の安全配慮義務違反を初めて認めたが、請求権の消滅などを理由に訴えを棄却していた。
 閉廷後、傍聴席の原告らが「不当」などと叫び、裁判所職員に詰め寄る一幕もあり、一時騒然とした。【小林直】

 ◇政府が補償措置を
 原告弁護団の声明 元軍人・軍属らは今日まで何ら補償さえ受けていない者が大部分であり、元慰安婦に至っては名誉の回復措置さえとられていない。本日の判決を契機に、政府が被害者らに対する補償措置の進展に努力することを望む。

【産経新聞】
2004年11月29日(月)
最高裁、原告の上告棄却 韓国慰安婦ら国家賠償訴訟
「戦争損害、憲法の予想外」
 「戦時中に旧日本軍に耐え難い苦痛を受けた」として慰安婦や軍人、軍属だった韓国人とその遺族三十五人が国を相手取り、一人あたり二千万円の賠 償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第二小法廷(津野修裁判長)は二十九日、「戦争損害に対する補償は憲法の予想しないところで、政策的見地からの配慮 をするかどうかが考えられるにすぎない」などとして請求を退けた一・二審判決を支持し、原告側の上告を棄却。原告側の敗訴が確定した。
 二審・東京高裁は昨年七月、「日本と韓国との協定で請求権は消滅している」などとして請求を退けたものの、判決理由の中で初めて「軍人、軍属にも国は安全配慮義務を負い、原告の中には義務違反や民法上の不法行為が成り立つ余地があった」と判断。
 さらに国家賠償法施行(昭和二十二年十月)前の公権力行使の責任は問えないとする、いわゆる「国家無答責」の考え方についても、高裁段階で初めて否定する判断を示していた。しかし第二小法廷は、この判断部分には言及しなかった。

【読売新聞】
2004年11月29日(月)
韓国人の軍人・軍属らが戦後補償求めた裁判、上告棄却
 第2次大戦中に軍人・軍属、慰安婦として旧日本軍に連行され、非人道的な扱いを受けたとして、韓国人やその遺族計35人が、日本政府に1人当た り2000万円の損害賠償を求めた訴訟の上告審判決が29日、最高裁第2小法廷であり、津野修裁判長は原告側の上告を棄却した。原告側敗訴が確定した。
 津野裁判長は「(韓国への補償問題は解決されたとする)1965年の日韓協定は、財産権を定めた憲法に違反しない」と述べた。
 言い渡しの直後、民族衣装姿の原告数人が傍聴席のさくを乗り越え、横断幕を掲げたり、韓国語で演説したりした。
 1審・東京地裁は原告側の主張をほとんど認めず、請求を棄却。2審・東京高裁判決は、元慰安婦6人について「旧日本軍に不法行為があった」などと認定したが、日韓協定で賠償請求権が消滅したとし、結論としては請求を退けていた。

【共同通信】
2004年11月29日(月)
元従軍慰安婦らの敗訴確定 最高裁が上告棄却
 戦時中、旧日本軍によって耐え難い苦痛を被ったなどとして、「太平洋戦争犠牲者遺族会」の金鍾大前会長ら軍人や軍属、従軍慰安婦だった韓国人と 遺族計35人が国に1人2000万円の賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第二小法廷(津野修裁判長)は29日、請求を退けた1、2審判決を支持、上 告を棄却した。
1991年に元慰安婦が戦後補償を求めて起こした初めての訴訟だったが、敗訴が確定した。閉廷後に判決を不服とする原告らの一部が、大声を上げて傍聴席からさくを乗り越え、裁判官の方に向かおうとして職員に取り押さえられるなど、廷内は一時混乱した。

共同
2004年11月29日(月)
戦後補償裁判で上告審判決 韓国人元慰安婦ら35人
 戦時中、旧日本軍によって耐え難い苦痛を被ったなどとして、「太平洋戦争犠牲者遺族会」の金鍾大前会長ら軍人や軍属、従軍慰安婦だった韓国人と 遺族計35人が国に1人2000万円の賠償を求めた訴訟の上告審判決が29日、最高裁第二小法廷(津野修裁判長)で言い渡される。
1991年に元慰安婦が戦後補償を求めて起こした初めての訴訟。しかし1、2審判決は請求を退け、上告審でも弁論が開かれていないことから、上告が棄却される公算が大きい。
2審東京高裁は、捕虜を殺害するなどした元軍人ら2人に、処罰の危険がある行為を命じたとして、国の安全配慮義務違反を初めて認定。また元慰安婦についても、慰安所が事実上は日本軍の管理下にあり、安全配慮義務を負う場合があり得たとした。

共同通信
2004年11月29日(月)
韓国人元慰安婦ら敗訴確定 最高裁が上告棄却

 戦時中、旧日本軍によって耐え難い苦痛を被ったなどとして、「太平洋戦争犠牲者遺族会」の金鍾大前会長ら軍人や軍属、従軍慰安婦だった韓国人と 遺族計35人が国に1人2000万円の賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第二小法廷(津野修裁判長)は29日、請求を退けた1、2審判決を支持、元 慰安婦らの上告を棄却し、原告敗訴が確定した。
1991年に元慰安婦が戦後補償を求めて起こした初めての訴訟だが、最高裁で弁論が開かれないままの判決となった。
2審東京高裁は、捕虜を殺害するなどした元軍人ら2人に、処罰の危険がある行為を命じたとして、国の安全配慮義務違反を初めて認定した。

*関連
共同
2004年11月30日(火)
韓国人被害者側の敗訴確定 浮島丸訴訟で最高裁
 終戦直後に帰国する朝鮮人らを乗せた輸送船「浮島丸」が京都府の舞鶴湾で爆発、沈没した事故をめぐり、韓国人遺族や生存者ら計80人が国 に公式謝罪と計約28億円の賠償などを求めた訴訟で、最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)は30日、被害者側の上告を退ける決定をした。請求を認めなかっ た2審大阪高裁判決が確定した。
1審京都地裁判決は、戦後補償裁判で国の安全配慮義務違反を初めて認め、乗船が立証された生存者15人について、国に総額4500万円の支払いを 命じる画期的判断を示した。しかし、2審判決が逆転敗訴を言い渡し、最高裁では適法な上告理由に当たらないとして、法廷が開かれないまま敗訴が決まった。

──
東京高裁判決要旨

韓国・遺族会の補償請求裁判 控訴審判決要旨
アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求控訴事件 控訴審(東京高裁=東京高等裁判所)

判決要旨 
2003年7月22日
控訴人 韓国・社団法人太平洋戦争犠牲者遺族会
控訴人代理人 高木健一弁護士ほか
支援 日本の戦後責任をハッキリさせる会(ハッキリ会)
*判決要旨は裁判所が作成し、代理人弁護士に渡されたものである。

東京高等裁判所平成13年(ネ)第2631号各アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求控訴事件
(戦後補償控訴審判決平成15.7.22言渡)
(原審・東京地方裁判所平成3年(ワ)第17461号、平成4年(ワ)第5809号)

控訴人ら 朴七封ら35名
被控訴人 国

判決要旨

1 主文
(一)本件控訴をいずれも棄却する。
(ニ)控訴費用は控訴人らの負担とする。

2 事案の概要
第1審原告ら40名は、いずれも韓国人であるが、内32名は太平洋戦争の頃旧日本軍の軍人軍属であった者又はその遺族であり、内8名はその頃軍隊慰安婦(従軍慰安婦)であった者である。本件は、第1審原告らが、第1審被告である被控訴人の行為により、本人又は被相続人が旧日本軍の軍人軍属として、あるいは本人が軍隊慰安婦として、耐え難い苦痛を被ったなどと主張して、国際法及び国内法に基づき、被控訴人に対し損失補償ないし損害賠償を求めるなどした事案である。

3 第1審は、第1審原告らの請求は理由がないとして、いずれも請求を棄却した。控訴人らは、第1審原告らのうち軍人軍属関係の本人又はその遺族29名及び軍隊慰安婦関係の本人6名の合計35名である。

4 判決理由の要旨
(一)国際法及び国際慣習法に基づく請求について
ハーグ陸戦条約及びハーグ陸戦規則、ニュールンベルグ国際軍事裁判所条例6条等および極東軍事裁判所条例5条、奴隷条約、強制労働条約、カイロ宣言及びポツダム宣言並びに国際法上の平等原則によって、控訴人ら各個人が被控訴人に対し損害賠償請求権ないし補償請求権を取得するものではない。また、これらの条約等を基にして控訴人ら個人が被控訴人に対し損害賠償請求ないし補償請求をすることができるという国際慣習法が成立しているとは認められない。

(二)国内法に基づく請求について
(1)財産権の補償を定める憲法29条3項は、控訴人らが主張する損失補償につき適用ないし類推適用する根拠規定とはなり得ない。また、戦傷病者戦没者遺族等援護法及び恩給法が規定する、日本国籍を有することを補償等を受ける要件とする国籍条項を、直ちに法の下の平等を定める憲法14条1項に違反するということはできない。さらに、立法を待たずに披控訴人に国家補償を請求できるという条理は未だ存在しない。

(2)被控訴人は、公法上の勤務関係にある軍人及び徴用された軍属、雇用された軍属に対しても、安全配慮義務を負っており、その具体的内容は状況により異なるが、戦時においてもこれを負うものと解される。
ア 控訴人朴七封、同金泰仙の父金炳國、第1審原告文炳煥の被害については、具体的状況や原因に応じた具体的な安全配慮義務の内容が特定されず、同義務の履行可能性や回避可能性を判断できないから、安全配慮義務違反を認めることはできない。
イ 第1審原告趙武雄の父趙殷鐸の終戦直後の帰還が遅れたこと、マラリアにより戦病死したことは、安全配慮義務違反の結果といえず、軍属として受忍せざるを得なかった戦争被害と推認せざるを得ない。
ウ 控訴人韓永龍の父韓錫熈は、軍属の徴用を解除された上で軍令に基づいて浮島丸に乗船したものであるから、被控訴人は、韓錫熈に対し運送上の安全配慮義務を負うところ、浮島丸を出航させたこと、大湊港に引き返さず航行を続けたこと、舞鶴港に入港するに際しての行為は、当時の状況下において合理的選択によるものであって、安全配慮義務に違反があったとは認められない。
エ 控訴人朴七封、同金戴鳳、同趙鐘萬、同ぺ在鳳、同金判永、第1審原告李永桓、控訴人成興植の戦地や駐留地における疾病・傷害に対する治療・予後措置については、当時の状況のもとにおける医療状況や医療水準の下でどのような治療措置・予後措置を施すことが可能であったか、可能な治療を怠ったといえるかについて具体的に判断し得る資料がないなどのため、被控訴人の安全配慮義務違反があったとまで認められない。
オ 控訴人朴ピョンチャン(炳王贊)は、軍属である俘虜監視員として、旧日本軍に命じられて連合軍側の捕虜を重労働に使役し虐待するという非人道的職務を遂行したものであるが、この旧日本軍の命令は、軍属に対し、戦後戦争犯罪人として刑罰等を受けることがないようにすべき安全配慮義務に違反したものであり、控訴人朴ピョンチャン(炳王贊)は安全配慮義務違反による損害賠償請求権を有していたものという余地があった。
カ 控訴人鄭キヨン(王其永)は、事実関係、態様等になお不明な点もあるが、初年兵として勤務中、中国において、上官に命じられて中国人捕虜を銃剣で突き刺して殺したり、集団射殺したりしたことがあると認められ、この命令は軍人に対し将来戦争犯罪人として処罰される危曝を生じさせる違法な行為を命ずるものであるから、安全配慮義務に違反し、控訴人鄭キ永は、安全配慮義務違反による損害賠償請求権を有していたものという余地があった。
キ 第1審原告李潤宰、控訴人朴壬善の父朴載甲の劣悪な食糧補給等による被害については、当時の戦争状況や物資事情等から受忍せざるを得ない戦争被害といわざるを得ず、安全配慮義務違反があったとまでいえない。
ク 控訴人高允錫の父高在龍の死亡の原因について、その真相を究めるに足りる的確な証拠はない。
ケ その他の軍人軍属関係の控訴人らの安全配慮義務違反を理由とする損害賠償請求は、具体的状況に応じた具体的な義務の内容を特定されていなかったり、義務違反に該当する具体的事実が不明であるから、結局理由がないといわざるを得ない。

(3)軍隊慰安婦関係の控訴人らは、直接的には慰安所経営者との間で軍隊慰安婦として雇用契約を締結したものであるが、被控訴人は、慰安所の営業に対する支配的な契約関係を有した者あるいは民間業者との共同事業者的立場に立つ者として、日常の旧日本軍人との売春に関する事実上の管理に当たって、慰安婦の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき安全配慮義務を負う場合があり得たことは否定できない。しかし、その内容として包括的ないし抽象的な安全配慮義務を直接負担していたと解することはできないし、移動に際しての安全確保の支援等が万全でなかったことがあるのも、戦争被害といわざるを得ない面がある。

(4)民法の不法行為に基づく請求について、現行憲法下では、国家賠償法施行前における公務員の権力的作用に伴う損害賠償請求についても民法の不法行為による損害賠償請求を、いわゆる国家無答責の法理で否定すべきものと解されない。しかし、被控訴人が戦争を遂行する国の権力作用として命じ、ないしはそれに付随した行為に基づき軍人軍属関係の控訴人らに生じた損害につき、被控訴人が民法上の不法行為責任を負うか否かは、結局、安全配慮義務違反の事実があるか否かの判断と同じである。軍隊慰安婦関係の控訴人ら軍隊慰安婦を雇用した雇用主とこれを管理監督していた旧日本軍人の個々の行為の中には、軍隊慰安婦関係の控訴人らに軍隊慰安行為を強制するにつき不法行為を構成する場合もなくはなかったと推認され、そのような事例については、被控訴人は、民法715条2項により不法行為責任を負うべき余地もあったといわざるを得ない。

(5)軍隊慰安婦関係の控訴人らに対する旧日本軍の措置に強制労働条約及び醜業条約に違反する点があった可能性は否定できないから、被控訴人にはこれらの条約上の義務違反に基づく国際法上の国家責任の解除の方法として日本国内の補償立法を行うことも採り得る一施策であったといえる。また、軍人軍属関係の控訴人らの被った戦争被害に対しても、旧植民地日本人として独立後の韓国等の内情により補償政策、社会援護政策によって民族的日本人の場合とは異なる援護しか受けられないことにかんがみ、外交政策等として日本国内補償立法を行うことも採り得る一施策であったといえる。しかし、国家責任の解除の方法は多様であり、援護政策の拡大適用などして補償立法を行うか否かの判断は、国会の裁量に属する立法政策判断である。憲法上、国会議員につき一義的に立法の不作為義務違反があったとはいえない。

(6)ア 被控訴人に対し、軍人軍属関係の控訴人朴炳煥及び同鄭琪永並びに軍隊慰安婦関係の控訴人らは、安全配慮義務違反ないし不法行為に基づく損害賠償債権を取得した余地 があり、控訴人朴七封ら9名が未払給与債権及び未払軍事郵便貯金債権を有していたことが認められる。これらの債権は、財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定2条3にいう「財産、権利及び利益」に含まれるものであるから、昭和22年8月15日以降我が国に居住したことがある控訴人沈美子の債権を除き、財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定2条の実施に伴う大韓民国等の財産権に対する措置に関する法律1条により昭和40年6月22日において消滅したものである。
イ 控訴人沈美子が取得した余地がある損害賠償請求権の除斥期間の起算日は、日韓請求権協定の発効日及び措置法の施行日である昭和40年12月18日と認められるが、控訴人沈美子は、同日から除斥期間である20年を経過した後の平成4年4月13日に本訴を提起して損害賠償を求めたものであるから、同損害賠償請求権は、除斥期間が経過した時点で法律上当然に消滅した。

(三)以上によれば、控訴人らの本件請求は理由がないから、いずれも棄却する。

東京高等裁判所第16民事部
裁判長裁判官 鬼頭季郎  裁判官 納谷肇  裁判官 任介辰哉

──
東京地裁判決 2001年
2001年3月26日 東京地裁判決
韓国・太平洋戦争犠牲者遺族会の訴訟
「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件」の判決

ハッキリニュースNO.61 2001.4.13
日本の戦後責任をハッキリさせる会(ハッキリ会) 代表・臼杵敬子(うすきけいこ)
http://www.zephyr.dti.ne.jp/~kj8899/hakkiri-kai.main.html

10年裁判は棄却──控訴へ

韓国・太平洋戦争犠牲者遺族会の訴訟「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件」の判決が東京地裁で言い渡された。「原告の請求棄却」だった。判決は丸山昌一裁判官、判決代読は大竹たかし裁判官。わずかに、元軍人・軍属、遺族と「慰安婦」について原告個々の名をあげてかなりの事実認定を行っていることが目立った。「10年裁判」の第一審はこれで決着したが、その日のうちに「遺族会」、弁護士、ハッキリ会は、控訴方針を固めた。(追記・4月6日控訴した)



■3.26 東京地裁判決の検討

事実認定で概ね評価できるが
補償、賠償の法的根拠は全面棄却
──林 和男 弁護士、訴訟代理人

今回の判決については、当日の夕刊でも報道されましたが、一部の新聞報道に正確でない点があります。
まず、東京地裁の丸山裁判長が言い渡した判決と報道されていますが、これは誤りです。たしかに、判決の内容を評決して判決書を書いたのは、丸山裁判長をはじめとする3人の裁判官ですが、3月26日に法廷で判決言渡しをしたのは、別の裁判官(新しい裁判長)です。
この新しい裁判長の言い渡し方が、「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」とだけ読み上げて、すぐに立ち去るという方法でしたので、10年かけて審理したにしては、あまりにも素っ気ない、理不尽だという批判が、原告の間から出ています。
私も、日韓両国民にとってこれほど重要な問題に対する判断を下すのですから、棄却するならするで、理由の要旨くらいは説明すべきだと思いました。しかし、まことに遺憾なことですが、日本の裁判所では、このような言渡し方は決して珍しくない、むしろ民事・行政事件ではこれが普通なのです。
次に、判決の内容ですが、事実認定と法律問題に分けて評価する必要があります。法律問題については、補償、賠償を求めた法的根拠の多くについては認められませんでした。判決理由のなかで、部分的には評価すべき点もあります。
これに対して、事実認定については、むしろおおむね、良い認定がされているのではないかと思います。

「自由募集」含め「強制連行」だったと認定

まず、背景的・歴史的事実について、判決は、私たちの主張の一部を事実として認定しています。例えば、
「昭和一〇年代になると、日本国は、朝鮮半島内において、皇国臣民の誓詞の斉唱を強制し(昭和一二年)、君が代斉唱、宮城遙拝及び神社参拝を強要し、また、学校での朝鮮語教育を廃し(昭和一三年)、日本語を常用させ、さらには、日本風の姓名を名乗らせる創氏改名を行なう(昭和一四年)などのいわゆる皇民化政策を急速に推進して行った。」(判決書10頁)
「さらに、日本国は、戦時下における労働力不足を補うため、昭和一四年(1939年)九月以降、朝鮮から日本内地へ労務動員をし、多数の朝鮮人が強制的に連行された。」(判決書11頁)
といった認定があります。判決が、いわゆる「自由募集による動員」をも含めて、強制連行であったと明確に認めていることは、日本の裁判所による歴史的事実の認定としては画期的ではないかと思います。
次に慰安所の設置、経営、慰安婦の「募集」と輸送について、判決は、日本軍当局が「直接関与」していたこと、「詐欺強迫により本人たちの意思に反して」集められたことを認定しています。
「旧日本軍においては、昭和七年(1932年)のいわゆる上海事変の後ころから、醜業を目的とする軍事慰安所(以下単に「慰安所」という。)が設置され、そのころから終戦時まで、長期に、かつ広範な地域にわたり、慰安所が設置され、数多くの軍隊慰安婦が配置された。」(12頁)
「軍隊慰安婦の募集は、旧日本軍当局の要請を受けた経営者の依頼により、斡旋業者がこれに当たっていたが、戦争の拡大とともに軍隊慰安婦の確保の必要性が高まり、業者らは甘言を弄し、あるいは詐欺強迫により本人たちの意思に反して集めることが多く、さらに、官憲がこれに加担するなどの事例もみられた。」(12頁)
「慰安所の多くは、旧日本軍の開設許可の下に民間業者により経営されていたが、一部地域においては旧日本軍により直接経営されていた例もあった。民間業者の経営については、旧日本軍が慰安所の施設を整備したり〔中略〕慰安所規定を定め、軍医による衛生管理が行われるなど、旧日本軍による慰安所の設置、運営、維持及び管理への直接関与があった。
また、軍隊慰安婦は、戦地では常時日本軍の管理下に置かれ、日本軍とともに行動させられた。」(13~14頁)

元「慰安婦」について国の「不知」を覆す

そして、原告ら元慰安婦についても、全員について「その主張のころ軍隊慰安婦とされ、軍隊慰安婦として働かされたことが認められる。」と認定しています。これは、被告国の「不知」の答弁を、裁判所が覆したものであり、画期的と言ってよいと思います。
他方、軍人軍属については、すでに厚生省保管資料によって被告国側が認めていた徴兵・徴用・入隊・配属の事実、戦傷、戦死、戦病死の事実を裁判所も認定していることはもちろんですが、非常に評価できる点は、国側が最後まで「不知」の答弁を維持し、決して認めようとしなかった2名の原告(金恵淑、金載鳳)について、裁判所は、原告本人の証言を主たる証拠として、徴兵、徴用、死亡、戦傷などの事実を詳細に認定したことです。
金恵淑さんは、夫が徴兵されて日本内地に配属され、広島第一陸軍病院に転院になったという最後の頼りを残したまま消息を絶っています。判決は、被告国が最後まで認めなかった徴兵の事実を認定した上、「原爆の投下により、そのころ同病院において死亡したものと推認される。」ことを公に認めたのでした。金恵淑さんは、この判決を待つことができずに亡くなりましたが、生きておられたらさぞほっとされたことと思うと、無念でなりません。
金載鳳さんは、徴兵後、東京の世田谷高射砲中隊に配属され、東京大空襲の際に米軍機の機銃掃射で両脚を負傷しました。被告国側は、「資料が見あたらない」と言って「不知」を続けていましたが、金載鳳さんは、判決の認定を心配して、結審間近かまで、脚の新しいレントゲン写真や診断書を追加提出するなど努力しておられましたが、ともかくも事実が認定された点は、ほっとしました。
しかし、他の軍人軍属の原告らの事実認定は、徴用の方法の強制性や、戦地における虐待、差別待遇などに関して、判決はほとんど言及していません。これらの事実認定がなされなかったことは、法律問題として損害賠償が認められなかったことと絡むのですが、たいへん残念であったと思います。控訴審においては、軍人軍属に関しては、この点が主張立証の重要なポイントになるのではないかと思います。

次に、今回の判決の法律問題についても、簡単に見ておきたいと思います。
裁判のなかで私たちが主張した法律構成(請求原因)は、人道に対する罪から未払給与請求権まで各種ありますが、実は、その大部分が、すでに他の訴訟に対して否定的な判決が出てしまっているために、私たちの判決は、これまで他の判決で述べられた否定的な論理の繰り返しになってしまっています。
しかし、その中でも、なお今後の希望の端緒にできそうな点に2つだけ触れておきたいと思います。

まず、安全配慮義務違反による損害賠償請求権です。今回の判決の積極的な点は、安全配慮義務違反といえるような事実が、もしあったとしたら、原告らに請求権があり、国側に支払い義務があることを否定していないという点です。判決が請求棄却になったのは、そのような事実を認定しなかった、あるいは、いまだ私たちの主張立証が不十分で、認定することができないため、ということになります。
50年以上前の出来事について、国が安全配慮義務に違反した事実を1つ1つ立証して行くことは、極めて困難なことですが、私たちは、やはりこれを1つの課題として取り組んでいきたいと思います。

個人の権利奪った「措置法」違憲
控訴で争う

次に、未払給与請求権ですが、判決は、1965年の日韓請求権協定によって個人の権利が消滅したわけではない、という点までは、私たちの主張を認めました。請求権協定のような国家間の取り決めによって、個人の権利を消滅させることはできないという私たちの論理を、東京地裁は認めたわけです。
この点は、すでに裁判のなかで、被告国側も、1991年の「柳井答弁」に基づいて、私たちの主張に同意していたと言えます。しかし、これまで戦後の関係判例のなかでは、国側の同意如何にかかわらず、裁判所は、「請求権協定によって消滅した」「平和条約によって消滅した」という判断を示すことが多かった論点なのです。これは、今回の判決の積極的に評価できる部分です。
しかし、判決は、1965年法律第144号(いわゆる「措置法」)の合憲性を認め、この「措置法」によって、原告らの給与請求権は消滅したという判断を示しました。これは、たいへん遺憾とするところです。
というのは、合憲の理由として、この措置は日本と韓国の分離独立に伴う措置であって、「国の分離独立というがごときは、本来憲法の予定していないところであって、憲法的秩序の枠外の問題である。」と述べています。しかし、原告らの権利を消滅させなければならないというようなことが、韓国の独立に伴って当然に要請されるわけではありません。私たちが主張しているのは、個人の権利の問題であって、個人の権利、個人の人権が、国家間の政治的な駆け引きの犠牲となって消滅させられるようなことは、あってはならないし、消滅させなければならないとしたら少くとも相応の補償はなされなければならないという素朴な発想です。
この点で、判決の論理は、たいへん乱暴に思いますが、私たちの論理にも、まだ未成熟な点があるかもしれません。今後の重要な課題として、「措置法」違憲論をさらに展開して行きたいと考えています。
それと、もう一つ。「憲法秩序の枠外」というのは、ある意味で、いわゆる「統治行為」の論理です。高度の政治性を有する国家行為については、裁判所は、おいそれと違憲の判断をしてしまうわけにはいかない三権分立の制約がある、という考慮が、この判決の行間ににじみ出ているように思います。
しかし、もしそうだとすれば、むしろこの問題は、立法・行政による補償問題として解決されなければならないのではないでしょうか。この点について、裁判所は、積極的に立法府・行政府に対して提言をすべき責務があるのではないでしょうか。
私たちは、控訴審において、行政府への交渉を並行させながら、裁判所にも、いま一歩の奮起を求めていきたいと考えています。(はやし・かずお)


■裁判 「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件」のまとめ

▽提訴裁判所 東京地方裁判所 民事第17部
▽提訴日 1991年12月6日(旧日本軍人・軍属16人、遺族16人、金學順ら元 軍隊慰安婦3人計35人)。原告追加1992年4月13日、元軍隊慰安婦6人─計41人、のち1人離脱し現在40人
▽被告 日本国
▽原告 朴七封ら40人(韓国・太平洋戦争犠牲者遺族会)。うち元日本軍軍人・軍属─16人、遺族─16人、元日本軍軍隊慰安婦─8人
(原告のうち金學順さんら死亡7人)

▽原告訴訟代理人 高木健一(代表) 幣原廣 林和男 山本宜成 古田典子 渡邊智子 福島瑞穂 小沢弘子 渡邊彰悟 森川真好 梁文洙各弁護士

▽請求の趣旨 人道に対する罪及び国際法、また国内法(憲法、民法等)での違法・不法行為責任による補償 1人あたり2000万円の支払い
▽口頭弁論 1992年5月1日第1回口頭弁論以来33回
▽結審 2000年1月31日(第33回口頭弁論)
▽判決 2001年3月26日 「原告らの請求をいずれも棄却する。」

判決・丸山昌一裁判官(署名 草野真人裁判官)、判決言い渡し(代読)大竹たかし裁判官

■訴訟原告(名單)

▽元日本軍軍人、軍属、遺族
1 朴七封(パク・チルボン) 2 金載鳳(キム・チェボン) 3 金恵淑(キム・ヘスク 犠牲者の妻)=死去 4 金泰仙(キム・テソン 犠牲者の長女) 5 趙鍾萬(チョ・チョンマン) 6 ペ=裵在鳳(ペ・チェボン) 7 金判永(キム・パニョン) 8 丁起夏(チョン・キハ 犠牲者の長男) 9 李良順(イ・ヤンスン 犠牲者の妻) 10 鄭王其=琪永(チョン・キヨン) 11 鄭淑姐(チョン・スクチョ 犠牲者の妻) 12 朴炳王賛=瓉(パク・ピョンチャン) 13 李永桓(イ・ヨンハン)=死去 14 金鍾大(キム・チョンデ 犠牲者の長男) 15 安相浩(アン・サンホ犠牲者の長男) 16 崔金順(チェ・クムスン犠牲者の妻) 17 申成雨(シン・ソンウ) 18 趙武雄(チョ・ムウン 犠牲者の子)=死去 19 李種鎮(イ・チョンジン 犠牲者の子) 20 金堯攝(キム・ヨソプ) =死去 21 文炳煥(ムン・ピョンファン)=死去 22 朴鍾元(パク・チョンウォン) 23 高允錫(コ・ユンソク 犠牲者の子) 24 李潤宰(イ・ユンジェ) 25 韓文洙(ハン・ムンス 犠牲者の子) 26 金容王其(キム・ヨンギ 犠牲者の弟) 27 朴壬善(パク・イムソン犠牲者の子) 28 呉壬順(オ・イムスン 犠牲者の妹) 29 成興植(ソン・フンシク) 30 姜仁昌(カン・インチャン) 31 徐正福(ソ・チョンボク) 32 韓永龍(ハン・ヨンニョン 犠牲者の長男)

▽元日本軍軍隊慰安婦
33 A(軍隊慰安婦) 34 B(軍隊慰安婦)=のちに離脱 35 金学順(キム・ハクスン軍隊慰安婦)=死去97.12 36 李貴分=粉(イ・キプン 軍隊慰安婦) 37 盧清子(ノ・チョンジャ軍隊慰安婦) 38 文玉珠(ムン・オクチュ 軍隊慰安婦)=死去97.10 39 金田きみ子=仮名(軍隊慰安婦) 40 沈美子(シム・ミジャ 軍隊慰安婦) 41 C(軍隊慰安婦)


韓国・遺族会、控訴をつよく希望
高木弁護士ら受ける

3月25日夜、早稲田奉仕園セミナーハウスで、韓国・太平洋戦争犠牲者遺族会幹部たちと代理人弁護士、それにハッキリ会も同席して、判決を前にした協議を行った。

高木弁護士からは、この裁判の意義と今後の課題が話された。
・この裁判は戦後補償で中心的・代表的訴訟だ。個人でなく最大団体による裁判。軍人軍属など原告40人だが代表訴訟にあたるものだ。日韓の未解決の戦後処理を追及してきた。「慰安婦」でも社会的に大きく問題提起をしてきた。
・審理にも特徴がある。原告本人の陳述、尋問25人、吉見義明教授など証人4人が申請通り行われた。33回の口頭弁論の内容も、充実したものだ。
・法律論の特徴は、本格的に国際法─人道に対する罪を論点として提起したこと。また憲法・国内法でも、未払給与問題で、日韓条約や協定で解決したのではなく、「措置法」で消滅したのだと国が持ち出したが、これは憲法違反であるとして対抗した。
・弁護団だけではいい結果を出すのは困難。市民団体の支援と社会の変化が大事だ。韓国・遺族会は大挙来日しデモや座り込みを行い、政府も特別の対応をした。93年の河野官房長官談話、95年にはアジア女性基金を引きだした。「基金」評価で運動は割れ、足を引っ張る動きもあった。臼杵代表が2年数か月も入国拒否にあわされたため日韓の間のパイプを欠き、深刻な事態となった。この件で遺族会の政府に対する対応は不十分でなかったか。そうした中で、弁護団は最後までやってきた。
・判決は、事実認定と不法・違法行為責任にどこまで認定するかが注目点だ。
─控訴は簡単に考えてはならない。運動に不協和音が出るようなら控訴審は苦しい。また、控訴審で一審が逆転することは考えにくい。控訴するなら、遺族会・原告と日本の市民団体が緊密な関係をもっていくことが不可欠だ。国はこうした問題で和解しないだろう。過大な期待はしないでもらいたい。
韓国・遺族会から会長、名誉会長から質問と意見が出されて協議。そして判決後、「全面敗訴」を受け26日、控訴方針の発表となった。その後、11人の代理人弁護士が全員同意し、継続して控訴審を進めることになった。


■ドキュメント 3・26
抗議の’アリラン’

3月26日10時、東京地裁法廷
原告席も傍聴席も、しばらく固まり、シンと静まり返っていた。
「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」
と朗読するや、3人の裁判官は法服を翻して、あっという間に専用のドアから消え去った。いつもの「起立」さえない。ものの3分とかからない法廷だった。
「何だこれは!」原告から最初の声が上がった。一気に法廷にふき出す憤まん、抗議。こぶしを振り、「恥を知れ」「これが正義か」。残った国側代表らに食ってかかり、机をたたき書類をまき散らす。席を埋めきった傍聴者の何人もが涙を流した。日韓の新聞や通信社の記者たちが、じっと見守った。
やがて原告たちから「アリラン」の歌。梁順任(ヤン・スニム)名誉会長が最後まで床に座り込み、遺影を胸に涙の抗議をつづけた。(原告でも7人が死亡、遺族の掲げる遺影ともども法廷を見守った。)法廷吏員や職員たちも、声をあげたり力づくの規制にも入らない。これ以上大きな事件にはならなかった。
この日の朝、6時。雨音がする。かさ、ウサン、どうする? 飛び起きて、新宿へ。安売りのドンキホーテで14本手に入れる。1本100円。タクシーで忘れ物をとってくるついでもあり、100円ならもとはとれた。その雨も閉廷ごろには止んでいた。

覆せなかった判例

10時20分、控室
法廷前の控室。原告たちと傍聴者を前にして、高木健一弁護団長の低い声が響く。
「残念な結果だ。判例を変えるものをつくりだそうと頑張ってきたが、裁判長はついに勇気を貫けなかった。裁判長は本人尋問、証人尋問などの申請をすべて受け入れ、よく聞いてくれて、問題の本質を訴えることができた。国際法、国内法上請求権があるということで、国連人権委でもクマラスワミ、マクドゥーガル報告があり、審理経過を踏まえ、こうした方向で世界指針となる判決を期待した」
「91年の提訴以後つづいた多くの戦後補償裁判に、法律構成で下地をつくった。それらが先に判決となり、判断が出そろってしまっていた」
「人道に対する罪、ハ-グ条約、憲法違反、国内法での時効などで敗訴判決となった。こうした戦後補償の裁判では、社会的にも『おかしい』という同じ認識が大事だ。そういう背景によって控訴して頑張っていくことができる」
戦後補償のための共同行動を分裂、敵味方のようにしてしまい、対決方向を違えた残念な運動の状態を指摘した。しかしこの日、在日韓国人、フィリピン人「慰安婦」などの運動や「女性戦犯法廷」に寄っていた人たちも傍聴に。「被害者支援」「戦後補償実施」で連携するなら、手段・行動の違いは超えられるという一面をのぞかせた。

隠せない虚脱感

午後1時、弁護士会館
夜来の雨はあがって、春の日差しが白いチマ・チョゴリを浮き立たせる。裁判所から出る際、法廷では許可された遺影をめぐって、また警備職員にとがめられ、もめた。
弁護士会館に移り、緊張と期待と興奮で忘れていた空腹を、ハッキリ会で用意していた握りめしと菓子パン、お茶でうめる。いつものにぎわしさがない。状況をはかりきれず、虚脱感が支配した。
この間に、92ページにおよぶ判決文本体を最少限必要な部数、コピーする。さっと目を通すと、原告たち40人一人ひとりについて事実認定を行っている。「慰安婦」の事実、実態について完全に認定をし、8人すべて主張通り「軍隊慰安婦として働かされたことが認められる」と言い切っている。
つぎの日程、村山富市元総理・アジア女性基金理事長への要請面談に向かう。あまりに気持ちが重そうなので、期せずして全員タクシーを使うことに。(短距離で、地下鉄と大差ないという計算も働いた。)

人道的問題、協力を

午後2時30分、半蔵門の会館
きびしい判決を引きずったまま、村山富市理事長を待って席についた。アジア女性基金の役員である福山眞劫自治労副委員長、笠見猛政治政策局長も同席。自治労の支援はかねて知られており、感謝のあいさつを交した。自治労表敬・報告の訪問に代えるものでもあった。
すぐに村山理事長が席に。35分、ハッキリ会臼杵代表の遺族会紹介のあと、金鍾大(キム・チョンデ)会長が立つ。ハッキリ会からの通訳は、この日のため関西から駆けつけた松井聖一郎さん。
「きょう、判決では敗けたが、人道的問題として村山元総理にご協力、ご尽力をお願いしたい。遺骨収集、現地追悼などぜひ実現したい。また未払給与は当然返還してもらいたい」(父金判龍さんは第四海軍施設部に海軍軍属〈工員〉として所属していたが、その後昭和19年8月8日南洋群島で戦死した〈=判決文〉。遺骨も帰らない息子として未払給与は「形見」として待ち望んでいる。)
沈美子(シム・ミジャ、元軍隊慰安婦)ハルモニは、みずから歴史教育館をつくる計画を披露、協力を求めた。ペ・海元(へウォン)前会長からも、「道義的責任でアジア女性基金をつくった総理として、韓国・遺族会の要望について支援していただきたい」と語った。
村山理事長は、「政府は日韓条約などで終わったという立場。裁判もそういう判断なのだろうが、(解決方法は)法律だけではない。『慰安婦』問題についても国の道義的責任で償いを行ってきた。みなさんの切なる気持ちはよくわかる」。
梁順任名誉会長がさらに聞く。
「アジア女性基金は(他の問題も扱うため)再構成できるのか。法・制度上、どうなのか」
「償いの事業は5年となっている。その後のことは、その時点で協議しなければならない」と村山理事長は慎重に答える。
臼杵代表から、最後に、「老いていく当事者に解決の道を開いていくため、政治的に解決していくことも重要になる。政党や国会に影響力を。自治労ともども、協力をお願いしたい」と締めた。
終始なごやかな懇談となり、全員で記念写真。ツーショット写真の申し出にも、村山理事長はにこやかに応えた。時計は4時を回っていた。

男たちの革命

午後4時30分、早稲田奉仕園セミナーハウス
6時過ぎからの集会までにと、高校の教師たちによって食事の用意がされていた。昼食を追いかけるように黙々と食べる人、軽くすます人。「集会後はお酒で宴会だよー」と伝えてある。
テーブルには定番、持参のキムチ。小女子の佃煮風。ノリ。そして「食事班」からカレーの献立。関空まわりで到着した25日当夜は、8時を過ぎていたから、前もって四国住まいの臼杵代表から届けられていた讃岐うどんだった。うどんでも、茶わんをもたない韓国流儀の人、やっぱり手にする人…さまざま。
様変わりしたのは、男性陣だ。いつも「両班」然として女性陣の据膳を待ち、終わるとそのままにして当然の振る舞いが一変。金鍾大会長が「自分で食器洗いもするように」と号令して自ら流し場に立つ。さすがにほとんどの男たちもつづいた。これは「慣習法」に定立されそうだ。昨年の1月の結審のとき、「食事はまだか」の問い掛けに、女性陣が、「自分でやったら!」と一喝。ストライキしたことが効いたらしい。
それにつけて思い出すのは金惠淑(キム・ヘスク)さん。数年前来日した際、流しに立つのを見て、即座に高い声で「何をなさいますかァ」と茶わんを取り上げられた(男にそんなことはさせないということ)。みごとに日本語を話し、うつくしい敬語までわがものにしていた。そのキム・ヘスクさんも昨年、亡くなったことが今回、知らされた…。

あらたな活動へ決意

午後6時30分、早稲田奉仕園小ホール
壇上に、黒リボンをかけた遺影。原告で亡くなった、金惠淑(キム・へスク)、趙武雄(チョ・ムウン)、文炳煥(ムン・ピョンファン)、李永桓(イ・ヨンハン)、金學順(キム・ハクスン)、文玉珠(ムン・オクチュ)さん。後に金堯攝(キム・ヨソプ)さんの死亡も確認され、7人がこの日を迎えることもできなかった。
「私は裁判だけやっていきたい」とアジア女性基金を受けなかった金學順さんもいまはない。説明に自宅を訪ねたのが最後となった。同じ軍隊慰安婦、金田きみ子ハルモニは、「日本全部をくれても、元には戻らない。10年経っても日本は補償しないだろう。苦労してくれたのだから『基金』を受ける」と自分の選択をした。それぞれの選択をハッキリ会は受け入れた。
「3.26東京地裁判決を受けて─韓国・遺族会戦後補償請求10年の報告」。集会は、いまは黙してしまった人たちに、敗訴の報告となってしまった。まず、この原告たちに、黙とうを捧げて始まった。梁順任名誉会長、金鍾大会長と、ひどい判決に批判を語り、たたかいの継続を訴える。
弁護団の要として尽力してきた林和男弁護士が、判決の分析を語った。

評価できる事実認定

─事実認定ではかなりの結果があった。一人ひとり、証拠と主張によって認定。中でも「原告金在鳳関係について」「原告金惠淑関係について」ととくに触れて事実認定をしている。軍隊慰安婦の事実を全面的に認定し、個々のハルモニたちを「軍隊慰安婦として働かされたことが認められる」としたことに注目し指摘した。
参加者から平和遺族会全国連絡会の小川武満さん、同事務局長の西川重則さんから、この裁判を通して韓国・遺族会と共同行動を重ねてきた立場からあいさつ。「日本人として恥ずかしい判決。あの戦争の事実、加害の事実について、きちんと受け止め、歴史の改ざんを行うような教科書を許してはならない」と決意の表明と訴えを行った。
「戦後補償のいわゆる運動の中で、あれこれあったが、相手を間違えてはいけないと思う。目標は時間のない被害者への結果を出すことだ。そのためにこれからもがんばっていきましょう」
ハッキリ会臼杵代表が、裁判の現実と政治的・社会的課題の重さを語った。東京は、折から、さくらの季節。花が散って、実をつけるべき第二ラウンドが、もう始まった。(原田信一)

今後の活動に、ご提案を

▼裁判はひとつの区切りだが、コトは終わっていない。韓国・遺族会は控訴をのぞみ、すぐに弁護士たちが気持ちよく受けてくれた(提訴時の全員)。被害者たちの訴えに応えること、それはまた私たちの課題だ▼裁判を通じ、被害者たちの肉声を聞いてきた。裏には訴訟原告になりえなかった人々が控えている。犠牲となった無数の人々がいる。引き下がるわけにはいかない。判決の事実認定を基礎に、補償につなげることが大きな課題だ。控訴して第二期ハッキリ会活動に入る▼数人が暗中模索ではじめた実態調査と裁判提起、戦後補償のための活動は、大きな渦を巻き起こした。献身的に働いてくれた弁護士、傍聴や集会、行動にかけつけてくれた人、各地からカンパを寄せてくれた人、報道してくれたジャーナリスト。一人一人に感謝しつつ、再度奮起を訴えたい▼戦後処理の問題は世界でまだつづいている。「自虐史観」どころではない。記憶の傷は消せない。否応なく歴史は背負うことになる。「外」あっての歴史だし、学んだ関係史が生きる。学習を放棄したら自滅につながるだろう▼政治は動いている。ドイツは「人道的」に「補完的」基金を設立。代わりに集団提訴を止めるるよう求め、独米間で政治交渉が行われた。日本で立法の動きや「基金」の提案もあるが、もっと厳しい判断と交渉力が必要だ。時間と政治をにらみ、被害者のために結果を引きだす責任がある▼被害者に「早く答えを出す」のが先決である。原則対置、責任の指摘だけではコトはすまない。判決の法廷で響いた涙の「アリラン」はつぎへのステップだ。裁判は重要な軸。政府・国会への働きかけも課題だ。いずれにしても、今後の行動指針について、みなさんからご提案・ご意見を寄せていただき、仕切り直していきたい。(は) 

◎e-mail:kj8899@zephyr.dti.ne.jp(はらだ)
ホームページ:
http://www.zephyr.dti.ne.jp/~kj8899/
https://www.blog.goo.ne.jp/nhs_001/
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