日韓往来 [Journal Korea]

いま・ここ・実感から=はらだブログ
「現在──過去・未来」

「韓国併合は無効」:日韓知識人が声明(追記込み)

2010-05-28 12:42:03 | 日々

直感・印象──から始める。

(冒頭の繰り返し)日韓知識人は、この共同声明で、なにをねらうのか? あると信じている効果とはなにか? 
ここで「声明」を取り上げる理由は、
⑴ 日韓関係と知識人の役割の検証 なんの特権かただの幻影か
⑵ 韓国併合100年 顧みてせまられる本当の課題は何か
──二つにある。

報道した新聞記事には、日本側・和田春樹会見発言と、署名した荒井信一、大江健三郎の名が使われた。韓国側では金芝河など。
韓国「中央日報」紙・日本語版引用──「韓国側では詩人の金芝河(キム・ジハ)氏、世界平和フォーラム理事長の金鎮(キ ム・ジンヒョン)氏、白楽晴(ペク・ラクチョン)、李泰鎮(イ・テジン)ソウル大学名誉教授らが出席した。日本では和田春樹東京大学名誉教授とノーベル文 学賞受賞者である小説家の大江健三郎氏、坂本義和東京大学名誉教授らが賛同した。」

だれかがいった。
「自分で、自分が〝知識人〟というセンスがすごいよね」
そして代表的署名人に、権威付けとする露骨な魂胆。
記者発表の「共同声明文」(下に掲載。修正などされない映像ファイルだから、そのまま)に、確かにかれら自身が知識人共同声明としている。編集者や記者が名付けたのではない。学者らの「世話人」が案文をつくり、タイトル、プラン名を考えたのだ。
これはただのチャチャ(茶化し)ではない。


◆知識人は日韓問題で何をしてきたか? いま何を「代表」できるのか?
 署名連名簿には、世話人が表示*されている。いつもの顔ぶれ、いってしまえば「日韓業界人」。総じて日韓の「左派」(北朝鮮に宥和的)といえる。見ていると、プロジェクトを提起し進めたのが日本側であることを推測できる長老が並ぶ。かつ、業界に配慮された勢力バランス。まじめに考えれば「連名の誘い」には応えておこうという方々がほとんだろうと思われる。だからこそ「世話人」の面々が相変わらず「日韓」の主導者とされ、それに雪崩をうつという現象が起きているのだ。
「危ない日韓関係者」は排除されている。(連名を了承して後から外した人がいるようだが、氏名は不明だ。)
いかに自分が韓国を理解しているか、その主張に同調しているか、日本に問題があるとの立場をもっているか、さらに韓国に知識人の知人を知っているか──の競争が、この世界にある。
「きみぃ、日帝36年(の植民地支配)があるんだ。それはいうべきでないよ」
なるほど、韓国でいう「日帝36年」をわがことのように、日本、日本人の発言を制する手合いが生きている。右派が日本の中の反日派といっていらだつ事情はたしかにあった。
態度として、少なくとも世話人は、韓国・日本の人びとに対して堂々区別された「知識人」を自ら名乗る心性をもちあわせ、作業を準備した面々なのだ。加えて、代表するものを自任して、韓国に近いですよ、理解しますよという。実はこういう風情の日韓人はもう風前の灯火かもしれない。

こうした声明を出す人たちは、さて、何の資格、何の権威か、代理か代表なのか? だれに向かっていっているのか?
歴史的な評価と行動提起を、双方200人の知識人は、権力への制動なのか、大衆指導なのか、ただの個別見識の集合なのか?
(警察が「自称知識人」と発表したらどうだろう。日本の警察は逮捕した容疑者を意地悪く「自称ルポライター、自称アルバイト」などと発表する癖がある。そのまま書く新聞もある。)


◆体験的日韓声明「世話人」たち知識人の本性
知識人と名乗り、声明した。その資格と責任が、どこにあるのか?
その客観的根拠は「日帝36年」を背景にものをいってきた知識人にあるのか? 
そこからどんな効果を生むというのか──。
つぎには、そうした主導知識人の実態の検証も必要だろう。
実体験した話──面と向かって強く質問、異議、異論をぶつけると、しだいに苦しくなって、対抗して出る口癖が「何が」「何がーっ!」になる方。拒絶したあげく、論理破綻すると、遮二無二威圧、強圧し、権力的になり、差別視線丸出しになる。
文章を書かせると理詰めで丁寧。しかし総じて慇懃無礼だが、「権威」と「上位者」視線まるだし。そんな神話、権威を認めなければ何の価値もなくなるだけだ。
つまり、「わたしに盾突くか! 下がれ!」。位階極めてあらわになる態度は「左右」関係がない。どっちもどっちの人物が両ウィングに君臨する。(体験上、いわゆる保守派の方たちのほうが「左派」ほどに、人間として下品にはならない。)
つまり「知識人=権威、指導性、支配性」の図式,神話にのった「共同声明文発表」。署名200人で日韓メディアは扱うだろうと。ところが日本での報道は朝日新聞とベタ記事・東京新聞くらいだった。知識人、メディア、その連携に巣くうある種の遺伝子も検証課題だ。(知り合いの韓国人記者は10年も前から、報道、メディアのパラダイムの変換が日韓のために必要だという見解だった。)
こういうはまり方、なだれ込み方しかないという、歴史反省と行動の仕組みは、もはやほんとうに有害になりつつある。

「彼は、本を書いてないだろう?」
韓国でも新しいタイプの教授で、こうこう、こういう人でと説明しても、聞かない。日韓知識人(関係)というのは、そういう選別眼の世界なのだ。本を書いていない輩、といってあっさりぶったぎる。
たしかに学者は論文であり、書籍に実績が残るのだろう。しかし大学内や学会ではそうでも、日常会話で「本を書いていない」で断ずる姿勢には唖然とする。戦後も大学紛争もあっさりくぐってきた、時代がかった帝大様という心性を保ったままなのだ。


◆専門、権威、効果──批判に強圧(右翼・左翼独裁は同質の権力志向)
批判、口ぶりとして悪口まがいは面と向かっていうことにしているから、ここに書くのも伝達済みの批判だ(多少配慮)。
疑問、批判は、「それほど知識が、活字が、学的地位が大事なんですか」ということが第一。日韓で知識人同士、学者同士でつるみ、議論をし、あいまいな「同志」のように関わってきた。そしてついには学でも知でもなく、「どっちが悪いんだ」に行き着いて喧嘩になる。まるで日韓関係を変える、前進させることができなかったのはそういう態度、知識人関係ではないですか──というところにある。

品性に欠け、差別的な人物が韓国でもてはやされる。その実、じっとみていると、韓国、韓国人をはらの底で馬鹿にし、指導の対象にする「根性」が見え透いているのだ。(逆もある。韓国でひどい評価の人物が日本インテリ界で英雄扱いになることもある。)


◆人かコンクリートか…でなくて、人より紙が大事
まずは「知識人」の自称にこだわって、その心性と品性、民主とは反対の権力ぶり、立場の保守性、社会や生活感からの遊離ぶりをここで主に書いてきた。
そして次に、歴史と人間の問題への視線への疑念がある。

──「慰安婦」問題はね、簡単なんだ。政府、日本軍の「慰安婦」を集めろ」の文書、紙一枚が出ればいいんだよ。
といい放ったのを忘れない。じゃあ、毎日国立国会図書館や防衛庁図書室などに、自分で足を運んで資料に当たったりしたのか? ある訳がない。
紙一枚と人の訴えの対比エピソードがある。
目の前で韓国の被害当事者が日本の偉い教授様に聞いてもらおうと、もうれつに訴えてしゃべる。それを聞き流し、目もくれず、用意された弁当をぱくぱくと食う。この手の学者になると、「慰安婦」問題は紙の、歴史の資料の問題であって、被害事実や人間としての訴えなぞは、どうでもよいのだ。
「弁当」話では、「またそれをいう」と反応する。しかしほんとうに、声明や論文、記者会見などでの物言いがどれほどうまくても、学や知の権威や肩書きがあっても、少しつきあって知る挙動に本質がみえるのだ、人は。(物書き、ルポライターの目は、ことば、活字、肩書きとともに,人の一点の動き、もらしたことばの事実を重視する。帝国大、知識人ってその程度だよというしたり顔の達観もしないつもりだ。)

こんどの声明でも、資料の公開、そのあとに韓国側の被害者支援…を書いている。
(日韓関係論で、歴史学者の果たしてきた役割の検証がひとつの課題にできる。)
「ぼくたち歴史学者は、すべての資料、文書は残したい、いつか見たいんですよ」
また、戦後処理に関わるある組織に人を誘うとき、「論文も書けるよ」といった。気概とか卓見とか史観とかいう前に、市井での言動、人としての品性で疑われてしまう人物、面々。(こっちもまるで自信はないが、公私を区別して評価するなどという大人ぶり、甘さは嫌いなほうだ。)


◆歴史学者の立場──歴史対話より全面屈服?
韓国併合の事実関係、資料、論点などは「学ばせていただく」。だが、古くさいイデオロギーがぷんぷんにおい、日韓で旧知の関係、日本知識人が「併合条約、併合自体が無効」「不義不正、不義不当」といい及んで、「おお、そうかそうか」と韓国側が迎える構図が見えるのはどうしてか。
韓国紙の見出しを引用しよう。
──「韓日併合、国際法上でも無効」…日本、100年ぶりの良心宣言(中央日報)
署名の人物を少々知っているからかもしれない。もちろん主たる「世話人」を想定していっている。署名した方々の、それぞれの態度や意思をすべて否定などしない。行き着くところ、こういうド壺になるのだなあと、嘆きたくなる。
力関係が「大差」。それによって「不義不正、不当」との評価、結論は史的事態を100年後に「無効」という。学者の世界はわからない。事実と評価…こういうことでいいのだろうか。
入り口としての学者、知識人の「声明」する資格、効果、立場、内実をまず問うた。
そして声明内容。
韓国併合は過程と力関係で、条約からして無効、不義不当と声明は断ずる。
一般に、合意したって力関係ははたらいている。韓国併合条約が対等であったとは思わない教育、理解はすでにあった。そして、韓国併合条約などは政治外交的な現実,実態としてすでに「無効」になっている。双方で政治的には1965年に決着した。さらに88年(小渕・金大中共同声明)に日本の謝罪とたがいの「未来志向」を文書にした。
なお現在、はじめから無効であった、不義不正であったと「200人」がいう。政治権力,当事者が決着したことにものを言う、再評価するのがこの知識人声明というわけか。
時々の政治的背景はあっても、1965年からも1988年からも、双方の社会、生活、時代世相はどんどん変化している。先へと進んでいる。ぼんやりともの言える環境の変化に気づいた知識人が「歴史の見直し」? 自分の「立場」の、現在からする正当化か、知識人同士のもたれ合い? ちょっとわかりにくい。不毛や邪気、蜃気楼を感じるというほかない。

非知識人の分際としては、日韓知識人声明を呼びかけた人たちの「日韓関係」小舞台を、ありがたくおし頂く気持ちにはなれない。社会、生活場面で動くものとして、きっちりいっておきたい。
知と情とかいう。知的な押し出しの裏のうさんくささ。体験と感覚をもとにすれば、知識人の奇怪さがわかる。遠慮などしない。一部、いまも〝ベルリンの壁〟が崩壊していない「立場性」の固着の異常さにもあきれる。
知識人、学者、著名人がリードして間違いないという説得性は無前提にあるのではない。それも「不義不当」かもしれないと予定してかからねばならない。かつて国難を説き、やむを得ない戦争と論理だてし旗を振ったのはエリートたちや追随者、追従者だった。敗戦後は、戦後体制も我が世の春と歓迎し別の旗を立ててきた知識人。いままた正当、不当、不義不正のことばを高みから垂下することの意味と効果に注意していきたい。
権威をかざした物言いをとくに批判しつつ、独自に、また日韓それぞれの地で人の間で、根っ子から草創、再生すべきものを期待し、さがし、見守っていきたいと思う。
(署名簿や世話人の氏名、姓名をのせずにこのように書いて申し訳ないです。ネット上には全名簿が出ていますが)


これからメモ(わからないこと,視点、論点)
*脱・非知識人的に…
戦後日本国憲法も占領軍軍政下であり無効、幕末からの不平等条約も無効──か?
サンフランシスコ講和条約も強制だから無効?
日韓基本条約・協定1965も力関係からして無効?

条件、環境,動機と結果、評価──歴史?
大韓帝国──大日本帝国
東アジア──東洋思想、韓国、日本? 
儒仏道、册封──西欧、近代
文化の基層と固有文化
政治、政府、思想,民族──社会、生活、文化、感性
歴史の肯定・否定──事実より善悪・黒白論議──検証と克服、担い手





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2 コメント

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1000人超は水増し (hs)
2010-09-23 22:21:07

7月28日公表の日韓知識人共同声明署名者
日韓で1000人超える──

日本側の追加名簿をみると、「運動体」の羅列になっている。その「知識人」とした根拠、有効性と意味作用の説明はなされていない。超水増しをする意図と背景こそが問われるのではないか。

「赤旗」──このほど1000人を超えました。同声明の発起人が28日に東京都千代田区の参院議員会館で開いた記者会見で発表しました。日本側署名者は531人、韓国側署名者は587人に達しています。
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元を正せば (わからない)
2012-09-08 15:48:50
字が多すぎて読めないのですが。

そもそも韓国を植民地化したから
今のような日韓の責め合いが起きている
と言えなくも無い・・・
日本も思い上がりがあったのでしょう。

「無効」にしたところで、100年も前のこと。
これを言い出したら、国際法はすべて
時間が経てば無効となりますが
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