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中国型新幹線で行く、広州・長沙・武漢 駆け足旅行 (その5)-final

2011年05月28日 10時23分54秒 | -旅日記-

4月25日。
旅の最終日は、広州市のオールドエリアを散策して、広深高速鉄路を利用して深セン経由で香港に戻り、
今回の駆け足の旅は終了です。



■沙面の租界エリアを歩く

広州市は広東省の省都であり、中国南部最大の都市でもあります。
古くから貿易港として栄え、18世紀以降はヨーロッパ向けの積出港としても繁栄しました。

しかし、1840年のアヘン戦争でイギリスに敗れてからは、欧米列強の侵略を受けて各国の租界が設けられました。
20世紀初頭には、中国革命の舞台となり、中国の近代史で重要な場所となりました。

現在は日系自動車会社(トヨタ、ホンダ、日産)が広州に進出するなど、猛烈な経済発展を遂げている都市となっています。
昨年2010年にはアジア大会が広州で開催されて、都市インフラが大幅に整備され、便利な街になりました。


さて、広州には仕事では何度も来たことがあり、さらに3年前には仕事で1ヶ月滞在したこともありました。
でもちゃんと広州を観光したことが無く、今回せっかくなので観光地・広州として街歩きをしてみました。


広州で宿泊したホテルは、珠江沿いの古い西洋建築が立ち並ぶエリアで、そこは戦前欧米各国の租界があった場所です。
武漢で戦前の租界エリアを散策しましたが、広州でも租界エリアを街歩きをすることにしました。

朝、ホテルを出て珠江沿いを歩いて、沙面という租界島を目指します。


おばちゃん、これも朝の運動??


珠江には渡し船があります。夜は遊覧船も楽しめます。


重厚な古い洋館も街に溶け込んでいます。



前方に時計台ともなっている洋館が見えました。


ここは「粤海関」、すなわち広州税関の建物です。


このおばちゃんはフラフープ。


笑顔がかわいい男の子。


広州の朝のひとコマです。


前方に狭い運河に架かる橋が見えました。
ここから先が沙面と呼ばれる、かつてイギリスとフランスの租界だった珠江に浮かぶ小さな島です。


アヘン戦争の結果、当時の清王朝はイギリスに破れ、南京条約が結ばれ香港島が割譲されイギリス植民地・香港が誕生。
それと同時に、広州の沙面島はイギリスとフランスの租界となりました。

その後広州が開港すると、欧米列強の貿易の拠点として、護岸工事やインフラ整備、洋館の建設などが進みました。
20世紀初頭にはほぼ現在の姿になりました。



当時、沙面と陸地の間には1本の橋しか架かっていなかったそうです。
これは清王朝が外国人と中国人の接触をあまりさせない政策を採っていたからですが、
日本の江戸時代に長崎に設けられた出島のようなかんじですね。

当時のイギリスやフランスの領事館、商館、ホテルだった西洋建築の建物が並んでいます。



沙面の租界ができて植えられたガジュマルの樹は樹齢100年を超えるものばかり。
大樹が租界時代の洋館を覆っている景観は異国情緒たっぷりです。


緑が多く、静かで落ち着いた雰囲気の沙面。
ここが広州の街のど真ん中にあるところだとは思えない。


途中、公安の新人訓練に出くわしました。


教官が整列、行進などを厳しく指導していました。
がんばれ新人!


1892年に建てられたフランス・カトリック教会。


武漢の租界エリアにあった台湾銀行が広州の沙面にもありました。
建物は今は使われていないようでした。


税関ホテル。


沙面に並ぶ洋館に混じって、小学校もありました。おしゃれな建物の学校ですね。


学校の目の前の広場で、小学生が体育の授業中。


洋館が並ぶ通りは公園として整備されていて、多くの市民の憩いの場となっていました。



すっかりこの銅像が気に入った女の子。


さりげなく、古い洋館を使ったスターバックスがありました。
それにしてもスタバはどこにでもあるなあ。



■かつてはゲテモノ市場だった清平市場は、今…

沙面で租界時代の広州の雰囲気を味わった後は、そのすぐ北側にある下町エリアを歩いてみました。
緑が多く落ち着いた雰囲気の沙面とは正反対の、ごちゃごちゃして人が多く活気のあるザ・中国という街並みです。

このエリアには、広州の古建築が並ぶ古い街並みがあり、地元民で溢れている歩行者天国の上下九路や第十甫路があり、
ローカル色がぐっと高まります。


ここに、前から行ってみたかった清平市場と呼ばれる市場があります。
歩行者天国の第十甫路近くに、清平路という通りがあり、その通り沿いに清平市場があります。

4つ足のものは椅子とテーブル以外、空を飛ぶものは飛行機以外、海のものは船以外、
あとは何でも食べると言われる広州の食文化、「食在広州(食は広州にあり)」。

いわば、何でも食べてしまうのが広州人でした。

清平市場は、その象徴的存在として、ありとあらゆる「野味(野生動物料理)」の食材が生きたまま並ぶ
ある意味、動物園よりも野生動物たちを見ることができる市場だったようです。

カエル、ネズミなどはもちろん、イヌ、猫(ペットではなくもちろん食用)、サソリ、蛇、亀、サル、トカゲ、昆虫類などなど、
狭い通路に様々な食材が並べられ、むせ返るような熱気の活気ある市場だったそうです。

しかし、2002年に発生し世界を混乱に陥れたSARS騒動の後、中国政府は市場でも売られているハクビシンという
ネコ科の動物を感染源として大量処分。
さらに「疑わしきは罰せよ」との方針で、一切の野生動物の販売・流通を禁止。

SARS騒動のおかげで、結局このゲテモノ市場は閉鎖に追い込まれました。

で、この話を聞いた上で、現在の清平市場はどうなっているか、行ってみることにしました。


清平路に入ると、人通りが多くごちゃごちゃしている市場特有の雰囲気です。
でもまず気づいたのが、漢方薬の独特の香り。

そもそも生き物ではない、漢方薬卸市場となってしまっていました。


うーん、なんだか面白みに欠ける。。こんな市場はどこにでもある。

巡回する警備員もいて、漢方薬以外のものを売っているとすぐに注意されます。
漢方薬屋のにいちゃんが店前でニセモノ?のアクセサリーを並べていると、「片付けろ!」と、即指導が入っていました。

でもこの警備のおっちゃん、真面目に仕事してるのかしてないのか良くわかりません。
店番しているおねえさんに「今日は綺麗だねぇ~」とかちょっかいを出しながらプラプラ歩いているだけのようにも見えます。。
でも言われたおねえさんも「やだ~もう。」とか言いながら喜んでいます。

下町の一風景といったかんじですね。


道の真ん中で募集貼り紙を作るおっちゃん。


あまり活気が感じられない清平市場。



さて、さらに清平市場を進んでいくと、動物発見!

が、どう見ても金魚です。


亀やカエルもいますが、観賞用水槽に入れられていて、どうも食用ではなさそうです。


おっちゃんが子犬をあやして遊んでいました。


ふと、このおっちゃんに「この子犬は食用ですか?」と聞いてみたくなった。

おっちゃんの子犬を見つめる優しい眼差しを見てしまうと、「これは食いもんじゃねぇ!かわいがるもんだ!」
と怒られそうなのでやめました。。

明らかにペットフード。。


どうやら、かつては野生動物が食材として並んでいたゲテモノ市場は、完全にペット市場に様変わりしてしまっているようです。

食い物の動物が駄目なら、ペットを売ってしまえ!というすばらしい発想。
中国人のたくましい商魂には感服いたします。

しかし、すっかりゲテモノ市場の面影は無くなった清平市場。
残念ですが、これが時代の流れというものでしょう。



■飲茶を食って足ツボ行って、香港へ戻る

旅の最後は、ゆっくりと旅の疲れを癒して香港へ戻ることにしました。

まずは、清平市場からすぐの第十甫路へ向かいました。
歩行者天国になっている第十甫路。


第十甫路沿いに、陶陶居という広州で有名な飲茶屋があります。


この飲茶屋で飲茶をすることにしました。

入り口は豪華な造りの陶陶居。


時間が早かったせいか、点心の種類は少なめ。


でも普通にうまかった。



陶陶居でお腹を満たした後、付近の下町エリアを散策して最寄の地下鉄の駅へ向かいました。


途中、足ツボマッサージ店に寄って、旅の疲れを癒しました。

そして広州東駅へ向かい、再び広深高速鉄路に乗り込みます。



約1時間後、深セン駅に到着。


ここからイミグレを越えて香港へ戻り、4泊5日の中国型新幹線で行く、広州・長沙・武漢の3都市巡りは終了しました。
こんなに中国の新幹線に乗ることはもう無いな。。


(おわり)


じゃらんnet


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